「米を作るな」“弾圧”で死を選んだ農家も…令和の米騒動に続く、減反政策が招いた悲劇の過去
日本中を騒がせた“令和の米騒動”発生から1年。備蓄米の放出や新米の出荷が始まった現在もなお、米価は高止まりの状況が続いており、騒動の影響が尾を引いている。背景には国が長年進めてきた減反政策の失敗があるが、その政策に真っ向から反対し、「ヤミ米」と呼ばれながらも農協(JA)に依存しない農業の形を模索してきた農家がいる。大潟村あきたこまち生産者協会の二代目・涌井信社長に、苦難の歴史とその先に目指す未来の農業の在り方を聞いた。

国が示した「減反政策」により、米が作れず入植者が自死を選んだ悲劇の歴史も
日本中を騒がせた“令和の米騒動”発生から1年。備蓄米の放出や新米の出荷が始まった現在もなお、米価は高止まりの状況が続いており、騒動の影響が尾を引いている。背景には国が長年進めてきた減反政策の失敗があるが、その政策に真っ向から反対し、「ヤミ米」と呼ばれながらも農協(JA)に依存しない農業の形を模索してきた農家がいる。大潟村あきたこまち生産者協会の二代目・涌井信社長に、苦難の歴史とその先に目指す未来の農業の在り方を聞いた。(取材・文=佐藤佑輔)
かつて、琵琶湖に次ぐ日本第2位の面積を誇った湖、八郎潟。秋田県の沿岸部、男鹿半島の付け根に“目”のように位置するこの湖は、1950年代から60年代前半にかけて大規模な干拓事業が行われ、その大部分が陸地化された。広大な干拓地の上にできた大潟村は、日本で類を見ない本格的な大規模農業のモデル農村と位置づけられ、新規就農を志し全国から集まった入植者には、1人あたり15ヘクタールもの農地が与えられた。涌井社長の父で、大潟村あきたこまち生産者協会創業者の涌井徹会長も、そんな夢を持った若者の1人だった。
ところが、入植直後に国が示した「減反政策」により、大きな面積で米を作ることを夢見た入植者は、米作りを禁じられ、所有面積の半分となる7.5ヘクタールを畑作物へ転換するよう迫られた。水田にはうってつけだった大潟村だが、干拓地特有の水はけの悪さにより、畑作農業では難航。減反政策に従わず植えられた稲は収穫前に青刈り(作物を生育途中で刈り取ること)をさせられるなど、入植者の中には大潟村での米作り農業をあきらめ、自死を選んだ者もいたという。
「15ヘクタール分の借金を返すには、15ヘクタールすべてで米を作るしかなかった。父を筆頭に、このままでは生きていけないという農家と、行政に逆らうなんてもっての外という農家で村は二分されました」。干拓地での畑作では生活できないとの危機感を抱いた多くの農家は、「強制的な減反は不当」との裁判を起こすに至った。
いくつも行われた訴訟の中で、最高裁判所が「減反は適法だが、義務違反に対する過大な罰則は違憲」との判断を下したものもあったが、それでも国の方針に逆らう行為は歓迎されなかった。そのため、農家は自らの判断で米を植えることになったが、減反を守らない農家の米は「ヤミ米」と呼ばれ、村外に販売されないように、大潟村の出入口に検問所が設けられ、米を積んだトラックが取り締まられた。
「そういったことが全国放送のワイドショーで取り上げられ始めると、だんだんと風向きが変わっていった」
地元の冷ややかな視線とは裏腹に、首都圏の消費者からは「頑張れ」「理不尽な政策に負けるな」と励ましの声がたくさん寄せられた。皮肉にも、地域からの孤立が、JAに頼らない産地直送という新たな販路確立のきっかけとなっていった。
大潟村で生きていくため、米の産直販売だけではなく、加工にも着手。東日本大震災後にはアレルギー対応の非常食を製造し、アレルギーがあり通常の非常食が食べられない被災者にも安心して食べられるようにした。5年前から取り組んだパックライス事業は、今では基幹事業に。大手企業も毎年生産ラインを追加する成長市場で、急成長を見せている。
「今の新規就農は、農業をやりたい若者がいても、いきなり数千万円の借金を負って農地や農業機械を買うのはリスクが高すぎる。会社員になるのに借金をする人はいませんよね? 農業も同じであるべきなんです。金融機関など民間企業の協力も得て、若者が初期投資なしで農業に従事できる環境を整備し、技術を身につけ、独り立ちできるようになったら独立する。農業を『家業』から、誰もが選択できる『産業』へ変えていかなければ、担い手不足は解消しません。もうからないと続かないし、夢がないと人は来ない。サラリーマンより稼げる、そんな農家の在り方を模索していきたい」
同社が目指すのは、日本の農業が抱える構造的な課題の解決だ。令和の米騒動が世間を騒がせていた今年6月、創業者の涌井徹会長は「日本農業再生機構」の設置を国に提言。金融機関、ファンド、農業機械メーカー、肥料・農薬メーカー、商社、量販店など、主旨に賛同するあらゆる企業が参入し、若者の新規就農を支援するという仕組みだという。その先駆けとして、2016年には三井住友銀行や秋田銀行と共にスマート農業の推進や若手農家の育成を担う新会社「みらい共創ファーム秋田」を設立。「農業を誰もが選択できる普通の就職先にする」「人口減少著しい秋田で、若者たちの雇用の受け皿を作る」という夢の実現に向け、さまざまな取り組みを進めている。
かつて「ヤミ米」とさげすまれながらも、農業者として生き残るために国や常識と戦った大潟村の生産者たち。その開拓者精神は、高齢化と担い手不足に悩む日本の農業にとって、新たな可能性を示している。
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