扇久保博正、“塩いじり”に複雑も「こうなったらキャラにするしかねえ」 泥臭さの裏に地道な努力

大みそか恒例の「Yogibo presents RIZIN師走の超強者祭り」(埼玉・さいたまスーパーアリーナ/ABEMA PPV ONLINE LIVEで全試合生中継)に出場する扇久保博正。RIZINバンタム級GP優勝など華々しい実績を持つ彼だが、その歩みは決して順風満帆ではなかった。貧しかった10年前や「塩試合」への思いに迫った。

貧しかった10年前を回想する扇久保博正【写真:増田美咲】
貧しかった10年前を回想する扇久保博正【写真:増田美咲】

10年前の行きつけは「ゆで太郎」

 大みそか恒例の「Yogibo presents RIZIN師走の超強者祭り」(埼玉・さいたまスーパーアリーナ/ABEMA PPV ONLINE LIVEで全試合生中継)に出場する扇久保博正。RIZINバンタム級GP優勝など華々しい実績を持つ彼だが、その歩みは決して順風満帆ではなかった。貧しかった10年前や「塩試合」への思いに迫った。(取材・文=島田将斗)

 RIZINに継続参戦している扇久保の愛車はボルボのSUV。土曜日の午前中にはキッズに空手を教え、楽しそうにしている。練習を外から見守る親御さんの表情も穏やかだ。

 格闘家として成功を収めているいまだが、10年前は全く違う生活を送っていた。住んでいたのは、所属するパラエストラ松戸の近くだった。

「当時は指導員だったので、馬橋駅(常磐線)の近くに住んでいました。火曜日と木曜日が馬橋、月曜日と金曜日には柏に行って、水曜日には千葉のジムに行っていました。子どももいたのに、車も持ってなくて移動手段は原付で……」

 ファイトマネーと指導員の給料だけで生活していた。駅の近くの交差点の角にあるそばチェーン「ゆで太郎」で腹を満たした。「本当にカツカツでした」と苦い表情を浮かべる。

「修斗のファイトマネーは正直あまり多くはないので、結構きつかったですね。試合前1か月は指導員の仕事を休んでいたんですけど、逆にそうするとその期間は無収入になってしまうんですよね」

 選手はいまでこそ、スポンサーを募り、ファイトウエアにロゴなどを入れている。多い選手は表だけで10社以上のロゴが並ぶこともあるが、当時はまだその風潮はなかった。

「パンツにスポンサーさんのロゴを入れたとしても、焼肉をごちそうしてもらって終わり、という状態でした。『ここにいくら』みたいな知識はなかった時代ですよね」

扇久保博正が幼少期から続けるストレッチルーティン【写真:増田美咲】
扇久保博正が幼少期から続けるストレッチルーティン【写真:増田美咲】

塩試合の批判は「正直いい気持ちはしない」も心境に変化

 そんな泥臭い生活で培われたハングリー精神は、ファイトスタイルにも表れている。RIZINでは最多判定勝利の記録を持ち、表彰されているが、ネット上では「塩試合(しょっぱい試合)」と揶揄(やゆ)されることもある。

「正直、あまりいい気持ちはしないです(笑)。もっと動きのあるアグレッシブないい試合をしようとは思っていますしね」

 そういったネットの声を無視してきたが、最近では自らネタにしていることもある。RIZINフライ級グランプリの出場選手を決める総選挙では選挙ポスターのようなものを作成し「塩漬けに市民権を!」と記していた。また「おぎの塩」なる岩塩も販売している。なぜここまで変わったのか。

「悲観してもしょうがないんで(笑)。『こうなったらキャラにするしかねえ』みたいなイメージでやっています。『この塩をお金にしてやろう』みたいな(笑)」

 相手を制圧するファイトスタイルはむしろ強み。「ネガティブに捉えられますけど、他と違うところなんです。僕は塩で勝ち続けてきているので、そこを出さないと。もちろんフィニッシュは狙っていますけど、ここ(塩)が僕の持ち味ですよね」

 このスタイルを遂行するためにはタフさも必要だ。自らが動き続けるだけでなく、KOされない、一本を取られない、これを可能にしているのは日頃のルーティンだ。

 筆者が別の選手の取材のため「THE BLACKBELT JAPAN」を訪れると、毎回、扇久保が入念にストレッチをしている。約30分間、選手の話を聞いて、帰ろうとしたそのときもまだ体を伸ばしていた。打たれ強さや長く続けられている理由はこの柔軟性だと本人は分析している。

「僕の打たれ強さの根源は、多分『柔らかさ』だと思うんです。硬いと被弾したときにストンと落ちちゃうんですけど、体が柔らかいと全部吸収できる。そんなイメージでやっています」

 30分かけるストレッチは幼少期の極真空手時代からの習慣。それをこなしてスイッチを切り替えるという。「スポーツ科学的には、練習前の静的ストレッチは良くないらしいんですけどね」と付け加えた。

家族の存在が扇久保博正のモチベーションとなっている【写真:増田美咲】
家族の存在が扇久保博正のモチベーションとなっている【写真:増田美咲】

加齢との戦い…スパーリングは5分×10Rから激減

 10年前の肩の脱臼以来、大きなケガはしていない。それは年齢に応じて練習の仕方を変えているから。現在まで、毎日練習メニューをノートに記してきた。38歳の現在、スパーリングの数はかなり減っている。

「オーバーワークになっちゃうんですよね。その日はできるんですけど……。プロ練って5分×10Rのスパーリングをやるんですけど、昔はそれを週6やってました(笑)。今もその日は頑張ってできるんです。ただその後に3日間ぐらい体が動かなくなって練習ができなくなる。今はやっても1日5分×3Rです」

 全体練習には参加せず、他の選手を呼んでマンツーマンで行っている。「他の子に迷惑かけちゃうので」と理由を明かした。

「僕が無名の若手の時に、出稽古に来た有名な選手に『お願いします』って言ったんですけど『ごめん、やらない』って断られたんです。知らないやつだから当たり前じゃないですか? でもあのときはすごく嫌な気持ちになったんです。

 自分の場合は3Rやって、その次のタイミングで『お願いします』と言われたら断っちゃう。『扇久保さんやってくんねえのかよ』って思いをしてほしくなくて別でやっています」

 それでも小さなケガは常に負っている。若いころは2~3日で治った打撲が、いまでは3か月たっても治らないという。「出来るだけけがをしたくないですけど、やらなきゃって気持ちになって激しい練習しちゃうこともありますよ」と苦笑いした。

 精神的にも肉体的にも疲労が抜けるのが遅くなったいま、支えになっているのが家族の存在だ。

「家族は自分のすべてです。家族のために頑張ってるって言っても過言ではないです。きつい時にね、子どもの笑顔とか見るとやっぱり『頑張れ』って言われてるような気がするんですよ」

 過去の苦い経験があるからこそ、今の幸せを噛みしめている。扇久保は、自分に言い聞かせるように言葉をつむいだ。

「稼げるようになった時に今いる家族、奥さんを本当に心から大事にしたいなと思っています。一緒にいてくれる家族を」

 かつて原付で街を走っていた男は今、ボルボのハンドルを握り、後部座席には家族を乗せている。「塩試合」と揶揄(やゆ)されながらも、泥臭く己を貫いたからこそ、この確かな幸せをつかみ取ったのだ。

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