秋吉久美子、浅丘ルリ子から言われた言葉「あなたはバカか、利口か、わからない」
妹から勧められてオーディションに応募、女優の道に
――女優デビューは高校生の時に、映画「旅の重さ」(72年)の主役オーディションをラジオで知って、高橋洋子につぐ次点になったのがきっかけでしたね。
「受験勉強のプレッシャーに耐えかねて、もういいや、と。一緒に勉強していた妹が『お姉ちゃん、応募してみたら』と言ったんです。主演だったら、四国ロケで夏休み1か月逃げられると思っていた。なんだろう、その短絡的な思考って(笑)。その分、受験勉強が遅れるってことだったんですよね。そういうところが幼いというか、頭がちょっとワルいところなんです。なんかうまくやったつもりで変になっちゃう……」
――本の中では自身を宿命論者と言っていますね。女優というのは運命づけられていた?
「今となっては、妹の一言は当たっていたのかなと思います。弁護士と精神分析医を兼ね備えたものが女優だと思います。俳優は、その役に対して弁護していくんですよ。そして、精神分析医はその人のことを分析していく。そして、気持ちを投げかけ、同調していくわけですから」
――これまで演じた中で印象的な役は? 賞をお取りになった作品もありますが。
「それはないです。好きな役はいっぱいあるし、1本じゃない。気分によっても違う。賞は、社会の流れとか、プロデューサーの能力とか、監督のクオリティー、バランスがマッチした時に賞があったり、なかったりもの。私たち俳優は粛々と修道者のようにその役を見つめていくことしかできないんじゃないかな。賞を取ったから、素晴らしかったってことはないですね」
――70年代は「シラケ女優」と言われる一方、アイドル的存在でした。80年代には大林宣彦監督の「異人たちとの夏」では、母親像を自然に演じられた。時代時代によって、さまざまな役を演じていらっしゃいます。
「それも監督のおかげですね。監督さんは指揮者。いろんなことに敏感じゃないといけないし、引っ張っていかなきゃいけないし、体力もなきゃいけない。コケたら、次作が難しい。大変な仕事だと思います。だから、監督は文化・文化・芸術、全てのスペシャリスト。監督職って、もっと社会からのリスペクトがあるべきなんです。日本の文化度の弱いところですよね。韓国では政府も文化に対して、すごくお金をつぎ込んでいますよね。日本もバブルの時に、同じようなことをやるべきだったんじゃないのかな。そうしたら、文化度も、もっと上がっていて、映画も世界にもっと羽ばたけたんじゃないのかと思います」