「箱入り娘」が銀座ホステス経験、借金地獄からの大逆転…今や不労所得で年1000万円、波瀾万丈の半生
大企業の取締役を父に持ち、箱入り娘として育った女性は、あえて「家を出る」決断をした。“自分探し”にもがきながら、商社営業と銀座ホステスのダブルワーク、プライベートではイベント企画に打ち込んだ。20代中盤で心身を壊してダウン。うつ病に苦しみ、数百万円の借金を抱えた。どん底から這い上がり、今では年商1億円超えの経営者ながら、不労所得だけで年間約1000万円を稼ぐ投資家へと変貌を遂げた。人前にはサングラス姿で登場する、ミステリアスな39歳“成功者”の、波瀾万丈の半生に迫った。

26歳でうつ病を経験 借金は数百万円にまで膨れ上がった
大企業の取締役を父に持ち、箱入り娘として育った女性は、あえて「家を出る」決断をした。“自分探し”にもがきながら、商社営業と銀座ホステスのダブルワーク、プライベートではイベント企画に打ち込んだ。20代中盤で心身を壊してダウン。うつ病に苦しみ、数百万円の借金を抱えた。どん底から這い上がり、今では年商1億円超えの経営者ながら、不労所得だけで年間約1000万円を稼ぐ投資家へと変貌を遂げた。人前にはサングラス姿で登場する、ミステリアスな39歳“成功者”の、波瀾万丈の半生に迫った。
主に働く女性向けのライフスタイルコンサルタントとして活動する奥井まゆさん。内向的な性格だったが、中学でバドミントンを始めると才能が開花。スポーツ推薦で高校に進学したが、けがによって競技を断念せざるを得なくなった。「16歳の時に、最初の挫折を経験しました。漫画を読む日々に戻りました」。思春期は悩みの日々を送った。
父は大手企業で出世街道を駆け抜けたビジネスマンで、部下はエリートばかり。「東大や京大に行かないんだったら、キャリア形成は無理」と言われ、「穏やかな仕事をして適齢期で結婚してほしい」という両親の期待を背負い続けてきた。もちろん、「やりたいことは全部やっていいよ」と背中を押してくれる存在だが、過保護なところを窮屈に感じてしまい、反抗期は反発することも多かった。
自然と“商才”を発揮するように。両親の期待には応えないことになるかもしれないが、「生涯食いっぱぐれないようにするには何をやったらいいのかと、真剣に考えるようになりました」。高校時代にインターネットの広告サイトを作って、お金を稼ぐことを覚えた。「マーケティングは将来的にもいけるかも」。大学も学部と教授から学ぶことを決めた。
両親の希望は、将来的に発展する分野の企業で事務職に就くことだった。実際に医療メーカーの事務職で内定をもらっていたが、内心は「30歳以降のキャリアが見えない」と不安だった。
ここで大胆な決断をする。「内緒で零細企業の営業職を受けて、しれっと就職することにしました。就職と同時に家を出ました。残業もある仕事だったので、親に心配や迷惑をかけないように、一人暮らしを始めました」。家を決めたあとに報告すると、両親は驚がくして大反対。それでも、金銭的な支援は受けず、自らを貫き通した。
だが、新卒1年目で、住宅手当が出るような会社ではないから、とにかくお金がない。「就活中に銀座のホステスにスカウトされていたこともあり、週2のバイトで生活費の足しにしました」。一方で、内気な性格をどうにかしようと悩んでいた。「内向的過ぎると社会に置いていかれるかもしれない」。24歳から26歳頃にかけて、クラブイベントや100人規模のクリスマス会を友人のつてを使いながらも企画、ハロウィーンイベントを仕切るなど、個人で積極的に人と関わる活動に勤しんだ。
フリーランス起業、いきなり2300万円
言わばトリプルワーク。無理を重ねた結果、26歳でうつ病になってしまった。「朝起きたら涙が出ているような状態で、動けなくなりました」。1年間、全く働けなくなった。最終的には会社を自主退職することになった。
内気であるのに外交的な付き合いを優先していることで、体が悲鳴を上げているのに、いくつも無理をした。「そこそこ羽振りのいい生活を送っていたし、付き合いがあればほとんどの金額を支払うこともあって、背伸びしていたんだと思います。それに、親には働けなくなったなんて絶対に言えなくて……」。両親には黙っていた。貯金が切れ、再就職するまでの3か月間、カードローンで生活費を捻出。新しいキャリアを積むために新たな勉強を始めたこともあり、借金は数百万円にまで膨れ上がった。
友人らに支えられ、メンタルは徐々に回復。美容系の小さな商社に再就職して再スタートを切った。「うつ病の病気から学んだことがあります。働く意欲があっても働けない人の気持ちが分かるようになりました。逆に働けなくなった時があるから、自分が働く稼ぎ以外の収入を重視するようになったんです。投資という選択肢が人生に入ってきました」。この人生設計の基本的な考え方は、今に大きくつながっている。
借金返済で精いっぱいで元本がなかったため、ジレンマを感じながら働き、投資の勉強を進めていた。30歳の時、失恋をきっかけに人生を見つめ直した。「ちゃんとお金のことを勉強しなかったら、仕事が1つだけでは、次の10年のビジョンが見えない。可能性を狭める気がする」。元々は教育に興味があり、脳科学ベースのコーチング(相手の自己成長を支援するコミュニケーション技術)を受け、仕事への意欲を新たにし、営業成績でボーナスが過去最高額になった。その時、副業も自分に向いているものを見つけて、副業収入も7桁近く。過去最高月収を経験した。
副業は、働く女性のリアルやライフスタイルに関するブログに書いていたら、驚きの展開に。「いろいろな人から『教えてほしい』と言われるようになりました。イベント集客のコンサルを手始めに、イベント告知文を代わりに書いたり、経歴を生かして集客の方法を教えたんです」。あれよあれよで“受講生”が激増して、確信した。「すごくいい会社だったのですが、退職してフリーランスとして起業することを決めました」。
いきなり2300万円を稼ぐほど、滑り出しから好調。「余ったお金を日本株に入れたら、半年で100万円が200万円になりました。よし、ちゃんと株やろうって」。投資家としても本格的に活動を開始するようになった。
独立して軌道に乗った後、ようやく両親に本当のことを話した。「ダメだったらもう一回就職するから心配しないでほしい」。父も母も、聞いた最初はあ然とした表情。でも、「母はいつも応援してくれます。父は心配していましたが、『俺に似てるから、しょうがないよな』って」。娘のことを今も温かく見守ってくれている。
投資は「一獲千金を狙うより、地味でいいから増やしていく」
2020年に結婚した奥井さんの夫も経営者。上場企業で働いていた頃にうつ病を患った経験を持っているという。「二人ともうつになったことがあるので、無理な働き方はやめようね、と話しています。ちゃんとゴールを見据えて、働く時と働かない時のバランスを取ること。これが一番大切なことです」。夫婦になってから、働く場所と時間を自由に決める働き方で、奥井さん個人は月4日の稼働で年商1億円超を達成。夫も新事業の輸入業ですぐに1億円以上になり、夫婦では数億円を稼げるようになった。
30歳から始めた投資。「一獲千金を狙うより、地味でいいから増やしていく」という方針を選んだ。日本株のトレードを皮切りに、個人として“冒険しない”FX運用、成長株投資では米国株を選択した。場所を選ばずできることを重視し、全てネット証券で運用できるものだけで、配当金などの不労所得は年間約1000万円になっているという。法人としてのマンション一棟買いの不動産投資、金取引など拡大させている。
学び直しで自分への“投資”も。大学に社会人入学して教育システムを研究している。女性のライフプランを一緒に考えて支援する社会人塾の経営では、300人ほどの塾生を抱える。
ちなみに、なぜサングラス姿なのか。「最初の頃、身バレ防止のためにかけていたら、トレードマークになって印象に残っていただけるので、そのままにしています」と笑みを見せる。“素顔”は決して、明かさない。
挫折ばかりの20代を乗り越え、確かな歩みを続けている。これからについて、「時代の変化が著しい昨今、新しい環境や状況を楽しめる女性でいたいな」と答えた。「女性はライフプランにおいて、人によっては結婚・妊娠・出産という変化もあります。お母さんだったり、妻だったり、仕事の立場があって、私は経営者であり教育者でもあります。多面的な肩書をこなせる器用さ。それが女性の強みだと考えています。『肩書がまた変わっても大丈夫』。そうなれるよう、一つのキャリアにとどまらない女性でありたいですね」とほほ笑んだ。
あなたの“気になる”を教えてください