『仁義なき戦い』『極妻』…名キャッチコピーの生みの親 東映の顔、惹句師・関根忠郎氏が87歳で死去(主な作品一覧)
東映の映画作品で名キャッチコピーの数々を生み出した惹句師(じゃっくし)および映画ライターの関根忠郎(せきね・ただろう)さんが、11月11日深夜0時30分に間質性肺炎のため都内の病院に亡くなったことが14日、分かった。同日、東映が発表。関根さんは87歳だった。葬儀は家族葬として既に執り行ったとしている。

東映会長「他社から依頼があった程、皆に愛された」
東映の映画作品で名キャッチコピーの数々を生み出した惹句師(じゃっくし)および映画ライターの関根忠郎(せきね・ただろう)さんが、11月11日深夜0時30分に間質性肺炎のため都内の病院に亡くなったことが14日、分かった。同日、東映が発表。関根さんは87歳だった。葬儀は家族葬として既に執り行ったとしている。
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関根さんは1937年12月25日、東京生まれ。56年、東映に入社。東京撮影所などを経て、62年本社宣伝部に異動し、97年、映画宣伝部長付チーフ宣伝プロデューサーとして東映を定年退職するまで、東映作品の大半でキャッチコピーの制作を担った。そのジャンルは、やくざ映画、実録映画、時代劇、アクション映画、ヒューマンドラマやポルノ映画まで幅広く、退職後は惹句師のみならず、フリーランスの映画ライターとしても精力的に活動した。
関根さんの訃報を受け、東映は代表取締役会長・多田憲之氏の追悼コメントを発表した。
「映画の内容を一言で語ってくれる惹句、成績を左右させる惹句、そんな伝説の惹句師の関根さん。もっともっと仕事をして欲しかった。ポスターに躍る関根さんの惹句は東映在籍時も他社から依頼があった程、皆に愛された。移転前の7月、銀座の本社にふらりと訪ねてくれたのが最後だった。心よりお悔やみ申し上げます。 東映株式会社 代表取締役会長 多田憲之」
<関根さんがキャッチコピーを手掛けた主な担当作品>
『昭和残侠伝 破れ傘』(1972年) 「旅人(たびにん)です花田秀次郎 仁義渡世は男の闇か 闇と知ってもなおドスぐらし!」
『緋牡丹博徒 お竜参上』(70年) 「つろうござんす浮世のしがらみ 純子は何んにも言いません 文太も何んにも言えません ここで別れりゃ二度とは会えぬ 熱いものがこみあげる だが美しい―――無言で見せて無言で演じたラブシーン」
『仁義なき戦い』(73年) 「暗殺、裏切り、報復……残虐な死闘の日々の中で怒り、苦悩する男たち! 殺しが殺しを呼ぶ非情なやくざ社会の内幕を暴いた「美能組」元組長 美能幸三の手記『広島やくざ・流血20年の記録』をここに映画化!」
『トラック野郎 御意見無用』(75年) 「腕っぷし、気っぷがドンと気に入った!スピード・バクチ・酒・喧嘩 車体飾り(デコレーション)もNo.1 だから通称一番星〈菅原文太〉 女にモテたいばっかりに相棒ジョナサン七人子持ちがなぜやもめ〈愛川欽也〉 にっぽん列島 男の意地と汗・ほこり ハードに行くぜ痛快豪放トラック野郎」
『柳生一族の陰謀』(78年) 「我(わし)につくも 敵にまわるも 心して決めい! 親も子も仏もない凄絶な権力争い! 超豪華スターと巨大スケールで蘇る本格的時代劇ロマンの面白さ!」
『鬼龍院花子の生涯』(80年) 「愛に染まれば 女は狂女」
『極道の妻たち』(86年) 「愛した男が、極道だった。 日本を一分する暴力抗争??男たちの銃後(かげ)で、妻たちはどう生きているか!?」
『ヒート』(95年) 「叫ぶか、黙るか。二人は出会った。いま高鳴る銃撃のシンフォニー!」
『あなたへ』(2012年) 「大切な想い 大切な人に 届いていますか――」
『ブラック・スキャンダル』(15年) 「信じられない真実――。アメリカは正義を見失っていた。」
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