さだまさし、財団設立10年を回顧 バトンを次へ「僕らはもう晩年に指しかかっている」
シンガー・ソングライターのさだまさしが12日、都内で行われた「風に立つライオンオブ・ザ・イヤー2025」の贈賞式に登壇。財団設立10年を振り返った。

「ステーキ食べましょう」から始まった財団が10年の節目
シンガー・ソングライターのさだまさしが12日、都内で行われた「風に立つライオンオブ・ザ・イヤー2025」の贈賞式に登壇。財団設立10年を振り返った。
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さだが2015年に設立した公益財団法人「風に立つライオン基金」は、25年で設立10周年を迎えた。設立のきっかけは、ケニアのナイロビで障害を持つ子どもたちとその家族を対象にした療育支援を行う日本人の小児科医・公文和子さんと出会い、献身的な活動をする日本人をサポートすることができないか、という思いからだ。さだは「もう10年たつのか、まだ10年しかたっていないのかって思いです」としみじみ。
設立当初は「作る段階でまず鎌田(實)先生にご相談して評議員になっていただいて、古田敦也さんが最初から評議員になってくれるなど順風満帆な出だしでしたが、最初はお金がなかった」と振り返った。
15年9月9日に鬼怒川が氾濫した際には「歌手のさだまさしのファンの人たちが寄付してくれた100万円しかなかったんですが、常総に泉谷しげるさんと一緒に行って、240人の避難所に行ってステーキを食べましょうと。ご存知の通り皆さん避難所にいる人たちは遠慮している。負い目があるようなのでそうではないってことでね」と当時の支援について語った。続けて「『100万円あれば食べられるでしょう』って常総市の市長にお話したとき、我々なりの支援の仕方があるんじゃないかと思った。ここで腹を括りました」と回顧した。
贈賞式後には囲み取材を実施。報道陣から「この10年で特に思い出すこと」を聞かれると、再び最初に支援に向かった「常総」を挙げ、「あのときの泉谷の苦笑いね」と笑った。その後も「熊本の震災、北九州豪雨、西日本豪雨災害、能登の震災」など日本各地で災害は起きており、これに「この国は災害と戦っているんです」とコメント。支援を続ける中で「一番大事なのは何かってわかってきた」と言い、「心ですね。心が折れてしまったら何も始まらない」と断言した。
同財団は10年を迎えたが「まだまだ我々の力は小さい」とし、「でも、小さいなりにやれることはやってきたなって実感を持てた10年。大したことができないのはわかっていますが、被災地に行くと金額だ、何をしてくれたかではなくて、忘れないで声掛けをしたり、忘れないでこの街に来てくれることが一番の元気につながるって言っていただく。それだけは続けてきたかった」と思いを語った。
贈賞式の中では「僕たちがいなくなっても」という発言があった。この真意は「活動が育ってきた実感」だそうで、「最初はやれるところまでやろうって走り出しましたが、僕らはもう晩年に指しかかっている。どうにか次にバトンをもらってくれる人を探してつないで、この運動がずっと続くようにしたい。礎をどう作れるかなってことで心を砕いていますね」と胸中を明かした。
同法人の顕彰事業は、設立から毎年夏に開催している「高校生ボランティア・アワード」と、23年度より新設された「風に立つライオン オブ・ザ・イヤ―」を両輪としており、この日は主に海外で活動される団体・個人を表彰する「柴田紘一郎賞」と、国内で活動する団体・個人を表彰する「鎌田實賞」の2つの賞を選出した。「柴田紘一郎賞」は、「シリアをまた行きたい国にすること」を目標に、平和構築・復興の土台となるシリアの子どもたちへの教育支援と、シリアの文化的な魅力を伝えることを通して平和教育を行う「NPO法人 Piece of Syria(ピース・オブ・シリア)」が受賞。「鎌田實賞」には、岐阜県総合医療センター・新生児内科医師の寺澤大祐氏が選ばれた。
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