吉井和哉、歌えない日々と向き合った3年間 がん診断時は「自分の一部が消えたような感覚」

THE YELLOW MONKEYのボーカル吉井和哉の3年間を追ったドキュメンタリー映画『みらいのうた』(エリザベス宮地監督)が、12月5日に公開された。吉井が、密着当時の思いから、映画完成、未来への思いを語った。

THE YELLOW MONKEYのボーカル・吉井和哉【写真:横山マサト】
THE YELLOW MONKEYのボーカル・吉井和哉【写真:横山マサト】

ドキュメンタリー映画『みらいのうた』が公開

 THE YELLOW MONKEYのボーカル吉井和哉の3年間を追ったドキュメンタリー映画『みらいのうた』(エリザベス宮地監督)が、12月5日に公開された。吉井が、密着当時の思いから、映画完成、未来への思いを語った。(取材・文=平辻哲也)

 本作は、2022年に宮地監督が吉井への密着を始めてから数か月後、彼に喉頭がんが見つかったことを契機に、予期せぬ“未来”と、これまでの“過去”が交差してつづられていくドキュメンタリー。藤井風、back number、BiSH、優里など数々のミュージシャンのドキュメンタリー映像やミュージックビデオ、俳優・東出昌大の狩猟生活を1年間密着した映画『WILL』などを撮った宮地氏が監督を務めた。

 映画の企画は吉井の所属事務所社長の発案から始まった。当初は“音楽活動の記録”のはずだったが、撮影開始から半年後に状況は一変する。診断の結果は喉頭がんだった。

「『まさか自分が』と信じたくありませんでした。でもツアー中の“できたて”の状態で見つかったのは幸運でした。眠れないほどではなかったですが、歌えなくなることは本当につらかった。シンガーにとって“朝起きてどんな声が出るか”は生命線なので。毎朝ガラガラで、鼻歌すら歌えず、曲も作れず、ものまねもできない。自分の一部が消えたような感覚でした」と振り返る。

 映画では、吉井の生い立ちも追っていく。1966年に東京で生まれた吉井は、5歳の時に父を事故で亡くし、母の郷里・静岡へ移り住んだ。

「父のいない家庭は当時珍しかったし、母が水商売だったこともあっていろいろ言われました。それがロックに走った動機のひとつでもあります。すべては繋がっていると、今になって感じます」

 一方、吉井を音楽に導いた人物も登場する。吉井は中学卒業後、静岡の喫茶店でアルバイト生活を始め、地元で活動するロックバンド・URGH POLICE(アーグ・ポリス)のリーダー、“ERO(エロ)”こと高林英彦と出会う。EROも現在、脳梗塞の後遺症を抱えながら生活しており、映画は2人が“再びそれぞれのステージに立つまで”の軌跡も記録している。

「僕だけが主人公ではつまらないと思っていましたし、EROが脳梗塞の後遺症で生活が厳しい状況だったので、彼にも“軸”になってもらえればと思いました。僕にとっては師匠のような存在ですし、彼のカリスマ性を通して僕が浮かび上がるとも思ったんです」

ドキュメンタリー映画の密着は500時間以上にも及んだ【写真:横山マサト】
ドキュメンタリー映画の密着は500時間以上にも及んだ【写真:横山マサト】

歌えなくなる一方で「言葉やフレーズはむしろ増えた」

 カメラの密着は500時間以上。吉井は時折、弱さもさらけ出し、その中にある誠実さを丁寧にすくい取っていく。吉井が歌えない日々、治療の過程、そして彼が再び声を取り戻していく瞬間を捉えた。2024年4月、東京ドームのステージに立つまでの長い時間を追った。

「カメラが気になったことはありません。ただ、ライブ後、疲れている時にカメラがこちらを向くと『また回してるな』と思うことはありました(笑)。でも宮地監督は絶対にカメラを下ろさない。その姿勢が信頼につながりました」

 現在、声の回復は「80%」。医師からは「完治まで5年」と告げられているが、「今が3年目。あと2年でさらに良くなる気がします。ヒアルロン酸治療でよくなっていくと思うので、きっと“ヨーデル吉井”と言われるくらいになっていると思いますよ」と冗談半分に語る。

 第38回東京国際映画祭(10月27日~11月5日)の「Nippon Cinema Now」部門にも正式出品され、吉井は8年ぶりに映画祭に参加し、レッドカーペットも歩いた。

「慣れていない世界ですが、とても華やかでした。EROや宮地監督とあの場を歩けたのは感慨深かったです。人生にはいろんな色のカーペットがあるんだな、と感じました。歌えなくなる一方で、言葉やフレーズはむしろ増えました。人はいつか死ぬという事実を突きつけられたことで、表現が豊かになった気がします。この映画を残すために、すべての出会いが用意されていたようにも思えるんです」

『みらいのうた』は、父の死、静岡の青春時代、EROという伴走者、そして喉頭がん。吉井の人生を形作ってきた“点”が線となっている。

□吉井和哉(よしい・かずや)1966年10月8日、東京都生まれ。5歳で父を事故で亡くし、母の郷里・静岡で育つ。10代でURGH POLICEにベーシストとして加入し、ロックに傾倒。その後THE YELLOW MONKEYを始動、89年より現メンバーで活動を本格化。92年にメジャーデビューし、95年のアルバム『FOUR SEASONS』で初のオリコン1位を獲得。2001年に活動休止(04年解散)。03年にソロ活動を開始し、06年から「吉井和哉」名義へ。16年にバンドは再集結。22年、喉頭がんを患い治療に専念。24年4月の東京ドーム公演で復活し、アルバム『Sparkle X』とツアーも成功させた。現在もソロ、バンド双方で精力的に活動を続けている。

ヘアメイク:Cana Imai
スタイリスト:Shohei Kashima(W)

トップページに戻る

あなたの“気になる”を教えてください