元宝塚・真琴つばさ、コンプレックスから解放された友人の言葉 低い声が武器に「中性的だからこそ」
元宝塚歌劇団月組トップスターの歌手で俳優・真琴つばさが、今年芸能生活40周年という節目を迎えた。12月12日には、東京・コットンクラブで1年を締めくくるクリスマスライブ『Christmassy★』を開催する。ハスキーな歌声で多彩な楽曲を歌い続けてきた彼女が、音楽との縁や舞台で変幻自在に演じ続けてきた思い出、さらに今後の“夢”も明かした。

12月12日にクリスマスライブを開催
元宝塚歌劇団月組トップスターの歌手で俳優・真琴つばさが、今年芸能生活40周年という節目を迎えた。12月12日には、東京・コットンクラブで1年を締めくくるクリスマスライブ『Christmassy★』を開催する。ハスキーな歌声で多彩な楽曲を歌い続けてきた彼女が、音楽との縁や舞台で変幻自在に演じ続けてきた思い出、さらに今後の“夢”も明かした。(取材・文=大宮高史)
1985年に花組で初舞台を踏み今年で40年。在団当時、宝塚きってのエンターテイナーとして絶大な人気を誇ったスターは「気づいたら40周年ですね。でもなんだか区切りのいい、50年や25年と違って、まだ道半ばみたいな感覚です」とお茶目に笑った。
「昨年還暦を迎えましたが、『華やかな年』の意味で『華年(かねん)』だと思って、人生が新たなステップに行く時なのかなと感じています」
そう話すと、前を向き背筋をピンと伸ばした。この1年は精力的にステージに出演した。今春上演した宝塚卒業生によるショー『未来へのOne Step!~世界を結ぶ愛の歌声~』は大阪・関西万博会場でもパフォーマンスを披露し、6月には自身の芸能生活40周年記念コンサート『40th Anniversary Concert明日へのZensokyoku』を開催。8月にはその追加公演も実施した。走り続けた日々について「本来の自分以上のものを経験できて、贅沢すぎた1年でした」と振り返り、充実感をにじませた。
その締めくくりとなる12月12日開催のクリスマスライブ『Christmassy★』では、憧れの英ロックバンド、ザ・ビートルズへの思いも込めたという。
「中学時代に初めて習った英語の歌がビートルズの曲でした。人生の後半にはビートルズを歌いたいなと思っていて、今回のライブはちょうどいい機会だなって。ただ、他にも歌いたい曲を選んだ結果、英語で歌う曲が多くなってしまい、自分が歌う英語の曲は3曲までにしようと思っていたのに超えてしまいました」
英語など原語へのこだわりも、「私の音楽の教科書」とする宝塚時代にさかのぼる。
「ジャズやシャンソンも在団中に経験してきましたが、ほとんどの場合原曲の歌詞ではなく日本語で歌います。その中に戦前から宝塚ファンの方に日本語の歌詞で親しんでいただいている曲もありますが、そのオリジナル曲を最近知って、今回原語で歌いたいと思ったので、クリスマスライブでは新しい色彩で染める感覚で歌いたいですね」
音楽に対する思いが言葉の端々から伝わってくる。1997年から2001年まで務めた月組でのトップスター時代には、今も歌い継がれる名曲にも出会えた。1999年に上演されたショー『BLUE MOON BLUE』の主題歌『Endless Dream』は、3人組ロックバンド・THE ALFEEの高見沢俊彦が書き下ろした楽曲だ。
「高見沢さんの声が入ったデモテープをいただいたんです。聴いた瞬間、『格好いい!』とすごくうれしくなったのを覚えています。同時に、高見沢さんの方がキーが高かったことにもびっくりしました(笑)。私のために、キーを下げていただいたんですが、後輩たちが今でも歌ってくれているのはうれしい限りです」
2001年に宝塚を退団後は、舞台やドラマ出演、ライブ開催やCDリリースなど幅広く活動を展開してきた。特に音楽活動について、ここまで継続できたのは、人の縁が大きかった。
「退団公演の時はとにかく千秋楽まで無事に舞台を務めることに精一杯で、その後のことは何も考えていませんでした。ただ、卒業後にエイベックスさんから『在団中にCDを出した曲のミュージックビデオ(MV)を撮りませんか』という話をいただいて、それなら、新しい曲でMVを作ってコンサートをやりたいとお願いしました。でも、先輩歌手の方々のように、“歌が大好きです”と胸を張れるほど自信もスキルもないと思っていたので、『歌手です』と自ら名乗るには迷いがありました」
そんな彼女の背中を押したのが、歌声を聴きたい、というファンの思いだった。独自に磨いた低い声――それが武器になった。
「友人が、『真琴さんの声でジャズが聴きたい、っていうファンの方もいるんだから、大切にしてあげて』と言ってくれたんです。熟練の歌手の方々に勝手に抱いていたコンプレックスが、その言葉で解放された気がしました。私の声って、宝塚音楽学校時代はもっと高くて『女役やったら』と言われるくらいだったんですが、男役のための低い声を鍛えて、そのままで歌ってきました。でもこの中性的な声だからこそ、年齢を重ねても真琴でしか聴けない歌として支えてもらえたのかなと思います」

「これを逃したら舞台に立てないよ」と言われて
以来、数年ごとにCDアルバムなどをリリース。ライブやディナーショーも定期的に開催している。舞台俳優としても実績を積み、退団後初舞台となった2003年のミュージカル『BLOOD BROTHERS』への出演は転機になった。1983年に英ロンドンで初演され、以後、世界中で上演されてきた名作だ。
「私は『ナレーター』という狂言回しのような役でしたが、この役を女性が演じたのは、世界で初めてでした。もともとこの役の性別が決まっていたわけではないのですが、垣根を超えられた気がしましたし、当時の感激を今も覚えています。『これを逃したら舞台に立てないよ』と誘われて出演した舞台でしたが、ターニングポイントになりました」
さらに、宝塚OGによる2022年の舞台『8人の女たち』で演じたマミー役(主要な役・ギャビー姉妹の母親)も印象深い役になった。なかなか役のビジョンをつかめずに悩んだ末に、自意識が変わる経験を得た。
「演出のアドバイスの真意をつかめず、『型通りのセリフを守らなきゃ』と思い込んで、勝手に壁にぶち当たってしまっていたんです。それから1年ほど経って、ようやく『よりフリーに演じる“コミカルさ”を求めていたんだな』って自分なりに理解し、次につなげていきたいと思いました」
そして、演出のスタッフから「真琴さんは人に元気を与える人だね」と言われたことが、自らの強みを見つめる機会につながった。
「宝塚時代から、人に元気を与える『ドリンク剤』になりたいと思っていたことを思い出しました。それがいつか皆さんをあたたかく癒やせる『携帯カイロ』になりたいなと思っていたのですが、元気と癒やし、両方を届けられる人間になりたいと思いました」
そう心の中に“芯”を持った中、来年は3~4月に東京と大阪で上演のミュージカル『どろんぱ』に挑む。妖怪たちが織りなす物語で、真琴は土から生まれた人形神(ひんながみ)という異色の役を演じる。「台本を読んだ時、妖怪の世界にも人情ならぬ“妖怪情”があるのが面白くて」と語り、自身へのオファー理由について持論を繰り広げた。
「最初、役のイメージは男性だったようですが、『女性でもいいんじゃない?』というアイデアが出て、それで私にもチャンスがやってきたようです。あまり女性らしからぬところを見出してくれたのでしょうか(笑)。しかも人間らしからぬ役で、11年前にミュージカル『アダムズ・ファミリー』で魔女モーティシアを演じましたが、ビジュアルは彼女をパワーアップしたような感じですね(笑)。妖怪の総大将・ぬらりひょん役の吉野圭吾さんとは15年前に『スーザンを探して』という舞台で恋人同士の役だったのですが、今回は主役級の方々を吉野さんと一緒ににらんでいるようなビジュアルポスターを見て面白そうな舞台になりそうで、今から楽しみです」
最後に今後について聞くと、5年後の45周年やその後の50周年も見据え、新たな夢も語った。
「思えば、地元(東京・品川区)のお祭りの太鼓と笛が私の音楽の原点でした。そこから絶えず音楽との縁があって今に至ります。矢沢永吉さんが70代でドーム公演をされたように、挑戦は続けたいし、これからもその年齢にしか出せない味があると思っています。今後はシャンソンやジャズなどのライブを、小規模でもいいので、シリーズ化できたらいいなと思っています」
自らの持ち味を生かし、この先も自分らしく“つばさ”を広げて走り続ける。
□真琴つばさ(まこと・つばさ)1964年11月25日、東京都生まれ。85年、宝塚歌劇団に入団し、花組に配属。97年に月組トップスターに就任し、2001年に退団。その後は歌手・俳優として、舞台やテレビ、ラジオなど多方面で活動する。近年の出演舞台に22年の『行先不明』『8人の女たち』、24年のミュージカル『神が僕を創る時』などがある。25年に芸能生活40周年を迎えた。26年はミュュージカル『どろんぱ』(東京・日本青年館ホールで3月16日~29日、大阪・SkyシアターMBSで4月3日~7日)に出演。
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