【プロレスこの一年 ♯13】猪木がハンセンに逆ラリアット “掟破り”はここからはじまった!? 1980年のプロレス

今からちょうど40年前の1980年9月25日、新日本・広島大会にてアントニオ猪木VSスタン・ハンセンのNWFヘビー級選手権試合が行われ、猪木が防衛に成功した。この年、両者は何度もこのベルトを懸けて対戦。ハンセンはすでに外国人レスラーのエース格として活躍しており、猪木からベルトを奪った期間もある。ではなぜ、この日の試合が重要なのか。数ある猪木VSハンセンでも特筆すべき事項が、この日の広島にはあったのだ。

ハンセンはNWF王座をかけて猪木と何度も対戦した(写真は83年)【写真:平工 幸雄】
ハンセンはNWF王座をかけて猪木と何度も対戦した(写真は83年)【写真:平工 幸雄】

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 今からちょうど40年前の1980年9月25日、新日本・広島大会にてアントニオ猪木VSスタン・ハンセンのNWFヘビー級選手権試合が行われ、猪木が防衛に成功した。この年、両者は何度もこのベルトを懸けて対戦。ハンセンはすでに外国人レスラーのエース格として活躍しており、猪木からベルトを奪った期間もある。ではなぜ、この日の試合が重要なのか。数ある猪木VSハンセンでも特筆すべき事項が、この日の広島にはあったのだ。

 それは、猪木の逆ラリアット。ハンセンの必殺技であるウエスタンラリアットを意表を突いて繰り出し、フィニッシュの逆さ押さえ込みにつなげたのである。まだまだ相手の得意技を盗むことは御法度の時代。藤波辰巳(現・辰爾)が長州力とのライバル闘争で仕掛けた「掟破りの逆サソリ」以前の“掟破り”は、両選手の師である猪木のひらめきによって現出したのである。

 この年、猪木VSハンセンのNWF王座戦は6度行われている。まずは2・8東京体育館で猪木がリングアウトで敗れ、28度目の防衛に失敗、4年8か月に及ぶ長期政権にピリオドが打たれた。この試合は極真空手のウィリー・ウィリアムスが視察観戦という物々しい雰囲気の中で争われた。この敗戦により猪木は2・27蔵前国技館における「格闘技世界一決定戦」に丸腰で挑むこととなったのだ。

“熊殺し”の異名を持つウィリーとの一戦は、モハメド・アリ戦(76年6月26日)を代表とする猪木の格闘技路線におけるもうひとつのクライマックスとなった。試合は両者リングアウトのドローとなるも、立会人・梶原一騎の指示により延長戦に突入。格闘技戦史上もっともエキサイティングで殺気に満ちた戦いは猪木が場外マット上でウィリーに腕ひしぎ逆十字固めを仕掛けるも両者ドクターストップで決着つかず。試合後、猪木は「格闘技戦に一区切り」とコメント。つづく格闘技戦(84年9月20日、猪木VSアノアロ・アティサノエ)までには4年半を要することとなる。

 ウィリー戦から帰還した猪木は再びハンセンとのNWF戦に意識を向ける。山本小鉄引退前日の4・3蔵前で猪木がフォール勝ちを奪い王座奪回。5・9福岡では猪木がハンセンからの反則勝ちで初防衛に成功した。6・5蔵前は「第3回MSGシリーズ」決勝で両者が激突し、猪木がハンセンから反則勝ちをおさめV3を達成した。このシリーズには途中からハルク・ホーガンが参戦。これがホーガンの初来日で、リーグ戦にはエントリーせずシリーズ後半への“特別参戦”という形だった。ホーガンの初戦は永源遥にベアハッグを極めてのギブアップ勝ちだ。9月11日にはリングアウトでハンセンを退けた猪木が再びNWF王座を防衛。そして25日、逆ラリアットの広島へとつづいていく。

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