24歳で余命3か月…ステージ4肝臓がんの格闘家が起こした奇跡 母の涙に奮起「生きないといけない」
24歳で余命3か月を宣告された格闘家がいる。高須将大さんは、ステージ4の肝臓がんと闘いながら絶望の日々を乗り越え、何度もリングに復帰してきた。手術と再発を繰り返す壮絶な闘いの中で、這い上がる原動力となったのは、家族の存在だった。高須さんの不屈の闘志と復活の軌跡に迫る。

8時間の開腹手術…目覚めた時は「地獄」
24歳で余命3か月を宣告された格闘家がいる。高須将大さんは、ステージ4の肝臓がんと闘いながら絶望の日々を乗り越え、何度もリングに復帰してきた。手術と再発を繰り返す壮絶な闘いの中で、這い上がる原動力となったのは、家族の存在だった。高須さんの不屈の闘志と復活の軌跡に迫る。(取材・文=水沼一夫)
「もう生きることはできないのかな」
絶望的な問いが高須さんの胸に去来したのは、初めての手術からわずか2か月後のことだった。定期検査で肺への転移、さらに肝臓に7か所という最悪の再発が発覚。まさに生死の境をさまよう状況に、高須さんの不安は極限に達していた。
病魔発覚のきっかけは、格闘技の練習中だった。プロデビュー3戦目が決まり、激しいスパーリングをしていると、前蹴りが腹部に当たった。「かすった程度」だったが、その瞬間から激痛が襲い、練習を続けることができなくなった。
「あばら折れたのかなと思って」。会社の診療所で検査を受けたところ、エコー検査で肝臓内に巨大な影が見つかった。翌日、大学病院での精密検査で10センチ以上の巨大な腫瘍が確認される。
格闘技を始めたのは20歳の時。山本“KID”徳郁さんに憧れ、地元・茨城の道場に入門した。バックボーンもなく、「覚えが悪い」「不器用」と言われ続けたが、フィジカルの強さでカバーしながら技術を磨いた。
23歳でプロデビューを果たし、2戦目で初勝利。これからという矢先の出来事だった。
「幼少期から丈夫な方で、風邪とかそういう病気になることは今まで一度もなかったので、まさか自分ががんになるというのは思っていなかったです」
心の整理がつかないまま、2週間後に開腹手術を受けることになった。告知の際、父親が付き添ってくれたが、診察室で読み上げられた病名は受け止めきれなかった。
8時間に及ぶ大手術。肝臓の半分以上を切除した。目覚めた時は地獄だった。体中が痛み、激しい寒気に襲われた。その後、高熱が出て大汗をかいた。
「意外にこたえたのは、喉の渇きでした。3日、4日は水飲んじゃいけませんと言われて」
口がパサパサの状態で、朝まで一睡もできなかった。2週間の入院を経て退院したが、体重は10キロ近く減った。
それでも高須さんはリング復帰を目指した。「腫瘍取ったイコールもう完治したと自分の中では思っていた」からだ。歩くことから始め、2か月かけてリハビリに励んだ。
しかし、現実は残酷だった。1回目の定期検査で再発が発覚する。
「取って終わりだと思っていたし、これからだっていうのもあったし、開腹手術が何よりもつらかった。2か月後にまた再発というのは、闘病を通して一番きつかったです」
病院では泣かなかったものの、帰りの車の中で涙があふれた。両親は「また治療すれば大丈夫だから」と励まし続けてくれた。

それでもリングに立つ…満身創いの決断
セカンドオピニオンで4人の医師を訪ねた。どの医師も「厳しい状況」としか言わなかった。ステージは4b。後に主治医は「治療していなかったら、余命3か月の状態でした」と明かしている。
もう助かる可能性は低いのか。半ば諦めていた時、毎回付き添ってくれていた母親の姿が目に浮かんだ。
「医師からは厳しいことしか言われていなくて、母親が毎回、帰り道に泣いてしまっていて。母親のためにも、生きないといけないなと思って」
希望の見えない状況だったが、頑張ろうと決意した。医療従事者の姉も病院を探してくれた。家族の支えが、高須さんに生きる力を与えた。
5か月間にわたり、肝臓への特殊な治療を続けた。カテーテルを使い、腫瘍への栄養を遮断する「塞栓術療法」と、腫瘍に直接薬剤を入れる「肝動注療法」。全身への抗がん剤投与も含め、2週間の入院を4回繰り返した。
治療は効果を上げ、肝臓の全ての腫瘍に薬剤を入れ、死滅させることができた。肺の小さな腫瘍も大きくならず、経過観察となった。
そして2018年8月、高須さんはプロのリングに復帰。勝利を収めた。
「死ぬまでにあと1回リングに上がりたいなって思っていたんですけど、無理だろうなと心のどこかで思っていて」
実現できた喜びと勝利に、涙がこぼれた。道場の仲間も友達もみんな泣いて喜んでくれた。
翌月、肺のがんを切除する手術を受ける。主治医の紹介で関西の病院まで行き、背中から針を入れるラジオ波焼灼療法で腫瘍を焼いた。さらに同年11月、2回目の開腹手術を行った。死滅していた肝臓の腫瘍を除去し、根治させるためで、肝臓の半分を再び切除した。
19年は再び復帰し連勝を重ねたが、9月にまた肺にがんが再発した。その後、肝臓にも4か所の再発が見つかったが、再び治療が奏功。そこから現在まで6年間、再発はない。
高校時代は野球部に所属していたが、レギュラーになることはできなかった。
「高校の時に野球を頑張りきることができなくて、すごく後悔があった。今やっている格闘技は、最後までやりきりたいなという気持ちがあって」
自分の人生に悔いを残したくない。その思いが、何度も高須さんを立ち上がらせた。
主治医には、闘病中にリングに上がっていることを伝えていなかった。「止められたら嫌だなと思って内緒にしていた」。ところが、ある日、診察に行くと、「チケット取ってくれませんか。応援に行きたいです」と背中を押された。その日から、主治医は一人のファンとして、1試合も欠かさず観戦に訪れている。

夢はRIZIN参戦…切り開く未来への道
病気と闘いながら、高須さんはパーソナルジムもオープンした。
「運動を通して体がよくなる、かっこよくなるのももちろんなんですけど、運動を通して前向きに、健康になってくれたらいいなと思っています」
がん患者も何人か通っている。抗がん剤治療中に運動許可を得た人が、社会復帰前に体力をつけるために訪れている。
余命3か月と言われてから8年。高須さんは今も格闘技を続け、夢であるRIZINへの出場を目指している。
練習は週6日。「まだ、小さい団体のチャンピオンにもなれていない。まずチャンピオンベルトを取りたい」と未来を見据えた。
想像もできないような苦しみを乗り越えた不屈の闘志と、生きる意味を教えてくれた家族の存在。その教訓は、今も高須さんの胸に深く刻まれている。
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