「俺が一曲、面倒みてやるよ」 桑田佳祐から驚きの提案 36歳“流しの歌手”・田内洵也 夢の武道館にも…奇跡連発の舞台裏

酒場で演奏して回る、若手の“流し”の歌声を気に入ってくれたのは、国民的歌手だった。サザンオールスターズの桑田佳祐に見いだされたシンガー・ソングライター、田内洵也(じゅんや)。8年前、都内のバーで歌っていたところ、桑田が来店したのをきっかけに、交流が始まった。今年の春、桑田から「俺が一曲、面倒みてやるよ」と声をかけられ、どんどん話が進んでプロデュース楽曲を発表。10月には桑田が企画した音楽イベントで、前座出演で聖地・日本武道館の舞台に立った。一躍注目度が高まっており、「本当に奇跡、その一言です」。あれよあれよの快進撃を見せる36歳の“夢の人生”に迫った。

注目度を高めているシンガー・ソングライター田内洵也【写真:増田美咲】
注目度を高めているシンガー・ソングライター田内洵也【写真:増田美咲】

「ビートルズ好きだよな。1曲歌わせてもらってこいよ」 父の一言がきっかけ

 酒場で演奏して回る、若手の“流し”の歌声を気に入ってくれたのは、国民的歌手だった。サザンオールスターズの桑田佳祐に見いだされたシンガー・ソングライター、田内洵也(じゅんや)。8年前、都内のバーで歌っていたところ、桑田が来店したのをきっかけに、交流が始まった。今年の春、桑田から「俺が一曲、面倒みてやるよ」と声をかけられ、どんどん話が進んでプロデュース楽曲を発表。10月には桑田が企画した音楽イベントで、前座出演で聖地・日本武道館の舞台に立った。一躍注目度が高まっており、「本当に奇跡、その一言です」。あれよあれよの快進撃を見せる36歳の“夢の人生”に迫った。(取材・文=吉原知也)

 愛知・春日井市で育ち、小学生の頃からザ・ビートルズを聴いてきた。中学1年生の時、新聞記者だった父親の転勤で、タイ・バンコクへ。日本人学校に通い、自由な校風でのびのびと過ごした。これが人生の転機になる。

 それまでは“聴く専門”だった音楽との関わり方が一変した。レストランではバンドが生演奏、バックパッカーが路上でギターを弾いている。そんな音楽にあふれた環境で、アコースティックギターを購入し、自分で弾いて歌うようになった。13歳の時、近所のライブバーで、人生で初めてステージに立つ機会が訪れる。「父親から『ビートルズ好きだよな。1曲歌わせてもらってこいよ』と言われて。タイの人たちは本当に優しくて、バンドの皆さんが『坊や、ちょっと歌ってみなよ』となりました」。歌ったのは『A Hard Day’s Night』だ。「あの感動は忘れられません。これが音楽の原点です」。その後は路上ライブにのめり込んだ。

 3年間のバンコク生活を終え帰国。地元で過ごした高校時代も名古屋駅を中心に路上で歌い、音楽漬けの日々を送った。映画監督になりたいという夢を持っていたが、「高校1年の時に音楽スタジオで、(伝説的ブルース歌手の)ロバート・ジョンソンを弾いていたら、『プロ目指さないの?』と褒められて、『そういう道があるんだ!』って調子乗っちゃいました(笑)」。音楽で食べていくことを心に決めた。

 ここで、天性の思い切りのよさを発揮する。高校卒業後に工場で働き、ギター講師をしながらお金を貯めて、「本場のルーツミュージックを体感したい」と、19歳でギターを担いでアメリカへ単身渡航したのだ。ロサンゼルスでライブバーの前座出演、ニューヨークのタイムズスクエアで演奏するデルタブルースの老ミュージシャンと共演。勢いのままヨーロッパを回り、ロンドンの地下鉄でビートルズを歌い、パリの路上でギターをかき鳴らした。「本物を追い求める」のが人生の信条。武者修行は「音楽の可能性を感じた旅でした」。

 20歳、都内の大学に入学するタイミングで上京。ところが、東京行きの前日に悲劇に見舞われる。「車上荒らしに遭って、ギターを盗まれちゃったんです」。愛器・ギブソンJ-45が盗難されたのだ。上京時に手元にあったのは、いとこにもらった1万円のギターだけ。なんのつてもない状態で、飲食店に直接売り込むことを始めた。これが思わぬ成功につながる。

「浅草でアルバイトしながら、小さなバーを検索して、『最近上京したんですけど、ライブさせてもらえませんか』と頼みに回ったんです」。運よく一軒目のマスターから「面白いやつだな」と気に入られ、初ライブが決まった。そこから浅草・人形町・蔵前と、下町を中心にライブを重ねていく。投げ銭から始まり、月3万円、5万円と収入が増えていった。腕前を買われ、最盛期は5店舗で歌うように。自主企画のライブも行い、23歳の頃には音楽で生計を立てられるようになった。披露するのは、自作曲に加えて、カバー曲はビートルズ、ブルース、そして、子どもの頃から大好きなサザンオールスターズと桑田佳祐ソロの曲だ。「桑田さんは中学の時からずっと聴いていて、僕にとっての音楽の師匠です」。

“令和の流し”としても活躍【写真:増田美咲】
“令和の流し”としても活躍【写真:増田美咲】

8年前に運命の出会い…流しで歌っていたバーに桑田佳祐が来店

 2017年、運命の出会いが訪れる。流しで歌っていたバーに、桑田が来店したのだ。雲の上のあこがれの存在。自分を知ってもらう千載一遇のチャンスが到来した。店の雰囲気には少々合わなかったが、「桑田さんは絶対お好きだろうなと勝手に思いまして、空気を読まずに歌いました」。ロックンロールの名曲、エディ・コクランの『Twenty Flight Rock』を全力で歌い上げた。緊張のあまりほとんど話せなかったが、「桑田さんは楽しそうに聴いていらっしゃいました」。後日、桑田は自身のラジオ番組で田内のことを紹介。それ以降、何度か来店した桑田に、流しとして歌を披露するチャンスに恵まれ、少しずつ交流を深めていった。

 コロナ禍を経て昨年、桑田に聴いてもらった自作曲がある。上京して隅田川沿いに暮らしていた頃を思い出して下町の人情劇をつづった『深川のアッコちゃん』という曲だ。すると今年の春、桑田からいきなり人生を変える言葉をかけられる。「これすごくいい曲だから、良かったら、俺プロデュースするよ」。すでに一度自主制作のアルバムに収録した曲として発表されていた中で、まさかの提案を受け、「衝撃的過ぎて、その日は眠れなかったです」。

 こうして急きょ、桑田佳祐によるプロデュースが実現。ビクタースタジオなど普段桑田が使用している制作環境で録音が行われた。桑田は細部にわたりこだわりのアレンジを手がけ、『深川のアッコちゃん(produced by 夏 螢介 a.k.a. KUWATA KEISUKE)』として今月19日にリリース。さらに、10月12日に開催された桑田佳祐企画の音楽イベント『九段下フォーク・フェスティバル’25』に前座で出演。ビートルズゆかりの武道館で歌うことができた。テレビ番組の出演も果たし、「ヘリコプターで桑田さんに拾い上げてもらったような、そんな感覚でいます。桑田さんはもちろんのこと、これまで関わってきた皆さんに感謝の思いでいっぱいです」。想定外の大化け。そんな“ジャパニーズ・ドリーム”を、その手につかむ異例の旅は始まったばかりだ。

次のページへ (2/3) 【写真】快進撃を続ける“令和の流し” 出演時の貴重ショット
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