網浜直子、次男はライバー兼インスタグラマー 昨年事務所独立→自身もライバーに「これからが青春」
1985年に歌手デビューし、その後は俳優としてドラマや映画など数々の作品で活躍した網浜直子が、10月9日、10日に都内で同期の元アイドル、芳本美代子、松本典子とともに歌とトークの40周年記念ライブイベントを開催した。最近まで2人の息子の母親として子育て中心の活動を続けてきたが、昨年末に所属事務所を独立。現在は意外なセカンドキャリアを歩んでいる彼女の近況について話を聞いた。

芳本美代子、松本典子と40周年ライブでデビュー曲『竹下涙話』を熱唱
1985年に歌手デビューし、その後は俳優としてドラマや映画など数々の作品で活躍した網浜直子が、10月9日、10日に都内で同期の元アイドル、芳本美代子、松本典子とともに歌とトークの40周年記念ライブイベントを開催した。最近まで2人の息子の母親として子育て中心の活動を続けてきたが、昨年末に所属事務所を独立。現在は意外なセカンドキャリアを歩んでいる彼女の近況について話を聞いた。(取材・構成=福嶋剛)
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――網浜さんは、今年から“想定外”なセカンドキャリアをスタートさせたそうですね。
「そうなんですよ。セカンドキャリアというほどではないんですが、カッコよく言うと私は今、ライバー(ライブ動画を配信する人)なんです(笑)。息子にTikTokを教えてもらって週に3回、夜の9時から深夜1時まで4時間TikTok生配信をしています」
――それを聞いて驚きました。きっかけは何だったのでしょう。
「長い間、お世話になってきた芸能界なんですが、50歳を過ぎてから年々芸能のお仕事が限られてくる中で、ここ数年は、女優としてもタレントとしても自信をなくしてしまい、この先のことで悩んでいました。それでリフレッシュしたいと思い、昨年11月いっぱいでお世話になっていた事務所を円満退所してフリーになりました。それからは家にいることも多くなり、息子たちには『芸能の仕事をもっとやったら?』って言われるんですけど『芸能界ってそんなに甘くはないのよ』って話をしていたら、ライバー兼インスタグラマーをやっている23歳の次男が『じゃあ、こんなのがあるけど、どう?』と言ってTikTokを教えてくれたんです」
――それでTikTokを始めたと。
「はじめは『若い人がやるものでしょ』と言ったんですけどいろいろ教えてもらったら、意外と60歳以上の方も使っていると分かって『これだったら私にできるかも』と思い、息子に手伝ってもらいながら始めてみました」
――やってみていかがでしたか。
「これがめちゃくちゃ楽しかったんです。自宅でコーヒーを飲みながらまったり4時間、ラジオの生放送みたいな感覚で視聴者のコメントや質問にどんどん答えたり、リクエストをもらって歌ってみたり、時には人生相談をしたり(笑)。今の自分にピッタリなものを見つけられました。配信は若い人たちのものだと思っていましたけど、私たちも楽しめるものだって分かりました。何より同世代の方たちがたくさん遊びにきてくれて、ファンの方の口コミなのか分かりませんが、『網浜直子が配信をやっている』って拡散してくださり、『こんなにたくさんの方が私のことを覚えていてくれているんだ』って実感できて、なくしかけていた自信を取り戻しました」
――息子さんが新しい道を見つけてくれた訳ですね。
「そうですね。長男は24歳で次男は23歳になりました。この20年は子育て中心の毎日で、特に小さい頃は年子だったので誰にも預けられず大変でしたね。でもまさかそんな息子がきっかけを作ってくれるなんてね。『こんな日が来るんだ』って改めて2人が生まれてきてくれたことに感謝しています。実際にライバーをやってみて改めて出会いの大切さを感じています」
――ところで網浜さんは、昨年12月に亡くなった中山美穂さんと仲が良かったことでも知られています。
「美穂ちゃんとは、85年組の同期としてデビューした頃から何でも話せる友達以上の存在だったので、亡くなったと聞いたときは、すごいショックでしばらく私の記憶を封印していました。あの頃は私のお家にもよく来てくれて一緒にご飯を食べながらすごく濃い時間を過ごしました。その後はしばらく会えないことも多くなって連絡も途絶えてしまったんですが、昨年、40周年のタイミングで『突然サプライズで逢いに行こうかな』と考えていた矢先でした。もっと前に逢いに行けばよかったのにとすごく後悔して自分を責めました。ライブ配信でもファンの皆さんから美穂ちゃんの歌をリクエストされたのですが、しばらくは『ごめんね、今は美穂の歌は歌えないの』って話をしていたんです。でも、やっぱり封印していたら美穂に悪いなって思ったんです。美穂のことは忘れてはいけないし、美穂だけでなく本田美奈子ちゃんだって、歌はずっと生き続けるから、『みんなで歌おう』と言って解禁しました。私たちができることって、忘れないように伝えていくことでもあると思います」
――一方で網浜さんは歌手デビューした頃から俳優としての活動も目立ちました。
「たくさんの役を演じさせてもらいましたね。お芝居をすることは今でもすごく好きなんですが、しばらくテレビから離れていて意外とガラスのハートなので、周りから何て言われるのかちょっと怖さもあったりするんです」
――俳優として思い出深い役を挙げるとしたら。
「1998年に『白衣のふたり』(フジテレビ系)という昼ドラで主演の小高恵美ちゃんに意地悪を仕掛ける異母兄弟の姉の役を演じた時ときに、女優の仕事は楽しいなって思いました。それから殺人犯の役とか、崖から突き落とす役、反対に死体の役も面白くてハマっていった時期がありました。その時に鍛えられた、『どんな状況でも1分で泣ける技』とか死体の役で『ずっと目を見開いたままの技』を今、ライブ配信で披露しています(笑)。ファンのみなさんからよく『また女優をやってほしい』『ドラマに出て』って言われることも多いんですね。60歳を過ぎたら意地悪なおばあさん役とかやってみるのも面白いかもしれないですね」

芳本美代子、松本典子と歌った40周年ライブ「令和にこの3人で立てるなんて」
――そして10月9日、10日に都内で芳本美代子さんと松本典子さんと結成したアイドルユニット『ID85』(アイドルの英語表記の文字とデビュー年から命名)の40周年ライブを行いました。人前で歌うのは久しぶりだったそうですね。
「いつぶりだろう? ものすごく久しぶりでしたね。私は『ミス・セブンティーンコンテスト』がデビューのきっかけで、もともと歌手になりたくて応募したんです。それで松本典子ちゃんとダブルグランプリをいただき、アイドルとしてデビューしたんですけど、曲が売れなくて気が付いたら女優にシフトして歌わなくなっていたんです。いつかまた歌いたいと思いながら今に至る感じで、今回、みっちょん(芳本美代子)から『典子ちゃんと3人で歌ってみない?』って声を掛けてもらい、うれしくてすぐに『やろう!』って返事をしました。私の曲はサブスクとかでも解禁されていないのでファンのみなさんにちゃんと届けたいと思って歌いました。令和の時代にこの3人で一緒のステージ立てる日が来るなんて本当にあり得ないことでしたね」
――ソロコーナーではデビュー曲の『竹下涙話』を始め、『ホット・サマー・ナイト』『恋は微熱』『シリアス』といった代表曲を次々と歌い、85年組デビュー曲メドレーのコーナーでは親友の中山美穂さんに届ける『C』も披露して、連日、大盛況でした。
「ライブ当日は、緊張というよりワクワクと楽しみの方が大きかったように思います。なぜなら、1人じゃなくて3人だったし、来てくださった皆様の待ちに待った気持ちと温かく見守ってくださっている雰囲気が、ものすごく伝わって来たからだと思います。40年、それぞれの人生を歩んでここに集合できた喜びを『しっかり噛みしめなくちゃ』と思ってパフォーマンスできたかなと思います」
――ID85はこれからも継続したいそうですね。歌にライバーにとても充実している様子です。今後のID85としての3人の活動も期待したいです。
「今後は『3人が楽しい!』を一番に、全国のファンのみなさまのところに伺って、少しでも多くの方々と久しぶりに再会できる機会を作ることができたらいいなって思っています。『これからが青春』と思えるキッカケを私たち世代が発信していけたら幸せですね」
□網浜直子(あみはま・なおこ)1968年8月12日、兵庫県神戸市出身。84年8月、『第5回ミス・セブンティーンコンテスト』で松本典子とダブル優勝を果たし、芸能界入り。85年、1stシングル『竹下涙話』で歌手デビュー。俳優としても活動し、TBS系ドラマ『夏・体験物語』(85年、86年放送)で中山美穂さんと共演。85年公開の映画『バロー・ギャングBC』では松本典子、シブがき隊と共演した。ほかにも、映画『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎完結篇』(89年)やドラマ『愛という名のもとに』、『温泉へ行こう』、『同・級・生』、『ママまっしぐら!』など数多くの作品に出演。2024年に事務所を独立。2男の母であり、現在はタレント活動と並行してライバーとして動画配信を行っている。25年、10月9日、10日の2日間にわたり、座・高円寺2(東京)で1985年にアイドルデビューした芳本美代子、網浜直子、松本典子の3人がデビュー40周年を記念したライブを開催した。
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