「みんな頭がおかしい、わけわかんない」 川田利明が説くプロレスラーとして生き残っていく条件
“暴走王”小川直也のYouTubeチャンネル「暴走王チャンネル」で、“デンジャラスK”川田利明との対談動画の最終回が公開された。今回は対談イベントの参加者の質問に回答するものだったが、両者から意外な話が飛び出した。

“1・4事変”の前にあった猪木からの指令
“暴走王”小川直也のYouTubeチャンネル「暴走王チャンネル」で、“デンジャラスK”川田利明との対談動画の最終回が公開された。今回は対談イベントの参加者の質問に回答するものだったが、両者から意外な話が飛び出した。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
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対談イベントの参加者からの質問は、「橋本真也とのデビュー戦(1997年4月12日、東京ドーム)の前に、師匠であるA猪木からどんなアドバイスがあったか」というもの。一説によれば、「好きなようにやれ」と猪木は小川に伝えていたとの噂があったようだ。
「ハッキリ言えばそんなアドバイスなんですよ。ニュアンスなんですよ、常に。どうすればいいですか、って答えはないんですよ。いつも猪木さんが言うのは、白いキャンパスに自分で絵を描けと。プロレスやりながら。で、手のひらにお客さんを乗っけろと。それしか言わないです。で、『俺は外で、リング外で見ているから』って」
そう話した小川は、「とくに、大きな指令はない」とコメントした。
それでも小川が「あの時に司令があった」と話したのが、物議を醸した“1・4事変”(1999年1月4日、東京ドーム)だった。
「その日、大仁田(厚)の試合があるから、『それを超えるようなヤツをやってくれ』って、それは(猪木から)言われた」
小川いわく、大仁田の試合を組むことを、猪木は反対していたそうだ。
実際、猪木は小川が近くにいた場所で、「なんでこんな試合を組んだんだ」とその試合を組んだ担当者に対して声を荒げていたという。
ちなみに“1・4事変”に関して、部外者でしかなかった川田は口を閉ざしたが、もちろん、川田にも似たような経験はあったはず。そうした話に対して川田に水を向けると、「どうなんだろうね。でも、それはそれで対応するのがプロレスラーなんじゃないかなと思う」と話し、「それができないとプロレスラーじゃないんじゃないかと思う」と続けた。
これに対して小川が「川田さんはバリバリ対応だよ。全部対応できるからすごいよ」と口を挟むと、「その時その時で対応できるのがプロレスラーだなって思って」と川田は話した。
さらに川田は、プロレスラーとして最後まで生き残っていくための条件を口にする。

小川「馬場さんに会いたくなった」
「レスラーはみんな頭がおかしい。みんなわけわかんないですよ。でもそれぐらい頭がおかしいような、特徴のあるようなヤツじゃないと、最後まで生き残っていけないってことなんですよ。個性がないと。普通に、普通のレスラーでいれば目立たないですよ。何か個性があるから目立つんであって、だからそういう飛び抜けた個性を持っている人が最後に残っている」(川田)
これはプロレスに限らず、それがボクシングだろうと MMAだろうと、リング上で殴り合い・蹴り合う姿を晒しながらビジネスをしていく仕事は、路上でやったら警察沙汰になる。
だからこそ、リングで闘うファイターは一本どころか何本かネジが抜けているくらいでないと、他の個性にかき消されてしまうに違いない。
なお、この対談イベントは、8月19日に京王百貨店で企画された「デビュー65周年記念 アントニオ猪木EXPO」の一環で開催されたものだが、動画では小川の音頭により、川田が生涯初の「1、2、3、ダー!」とハッスルポーズ(?)を披露して終了している。
その後、イベントを終えた小川に心境を確認すると、小川は「川田さんの話を聞いて、(川田の師匠のジャイアント)馬場さんに会いたくなった」と話していた。
一方、川田もイベント中、当時の猪木の側近だった人物に猪木と引き合わせる話があったものの、「これで俺が行っちゃったら、猪木さんの〝魔力〟に引き寄せられちゃうんじゃないかという発想があって、これは会っちゃまずいと思って」(川田)と断ったことを明かしていた。
お互いに馬場・猪木の愛弟子でありながら、神様の悪戯か、川田と小川はお互いの師匠のライバルには会う機会がなかった。もし川田が猪木に、小川が馬場に一度でも会っていたらどうなっていたのか。
意外と気が合う関係になったのか、逆にアレルギー反応を持ったのか。そして、それによってプロレス界の歴史はどう変わっていったのか……。それを想像するのもまた、プロレスの楽しみ方のひとつである。
(一部、文中敬称略)
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