医師免許取得→バックパッカーになった女医 イタリアで血だらけ号泣も…得たのは「圧倒的な愛国心」
長らく経済低迷と円安の進行が続き、若者の海外離れが指摘されて久しい。しかし、世界を旅することはいつの時代でも、かけがえのない経験を与えてくれる。医師の資格を取得後、バックパッカーとして延べ3年間の世界一周を敢行した異色の女医がいる。現在は「TOKYOインフルエンサーアカデミー」を主宰する中島侑子さんだ。安宿に泊まり、ヒッチハイクで移動し、時に現地で医療支援にも加わった。なぜ中島さんは長期の一人旅に踏み出したのか。

医師免許取得し、バックパッカーに転身…極めて異例な姿
長らく経済低迷と円安の進行が続き、若者の海外離れが指摘されて久しい。しかし、世界を旅することはいつの時代でも、かけがえのない経験を与えてくれる。医師の資格を取得後、バックパッカーとして延べ3年間の世界一周を敢行した異色の女医がいる。現在は「TOKYOインフルエンサーアカデミー」を主宰する中島侑子さんだ。安宿に泊まり、ヒッチハイクで移動し、時に現地で医療支援にも加わった。なぜ中島さんは長期の一人旅に踏み出したのか。(取材・文=水沼一夫)
「知らないもの、見たことないもの、行ったことないところを全て行きたい」
中島さんが世界一周の旅に出たのは、医学部を卒業し、2年間の研修医を終えた2009年のことだった。ようやく医師としてのスタートラインに立った時、彼女が選んだのは「病院勤務」ではなく「世界」だった。
「どうせ行くなら世界一周しようかなって、その響きに憧れて。怖さはもちろんありましたが、圧倒的に好奇心のほうが勝っていました」
きっかけは大学5年の終わりから6年の春に経験したタイへの1人旅だった。
「そこで本当に、何にも縛られずに自由に生きている人たちに会って、すごくうらやましいなって思ったんですよね」
宿で出会った旅行者は英語教師やルポライターなど、世界を巡りながら働く人々。まだSNSが普及する前の時代に、中島さんは強い衝撃を受けた。帰国後に休学を願い出たが両親の猛反対に遭い、いったんは卒業。研修医として働きながら資金をため、区切りがついたところで航空券を手に入れた。
中国から旅を始め、「ずっと左に左に」進むルートで3年間を過ごした。年1回ほど帰国したものの、大きなバックパックを背負い、小さなバッグを前に抱えた姿は、当時の医師としては極めて異例だった。
「当時は本当に誰もいなくて、調べても医師で世界一周している人は見つかりませんでした。私がブログを書いていたので、それを見てその後、世界一周に出るドクターが出てきたとよく言われます」
道中では各地で医療活動に参加。インドでシャーマンの治療を体験し、ネパールでは診療のボランティアに同行、ケニアのスラム街では日本のNPO団体と共に巡回診療を行った。
「日本の免許は海外では使えないので稼ぐことはできませんが、ボランティアならどこも受け入れてくれました」

イタリア・ナポリで血だらけ号泣…ひったくり被害で警察署へ
印象深いのはパキスタンでの2か月。報道で抱いていた「危険」のイメージとは異なり、人々の優しさに触れた。初対面でも家に招かれ、道に迷えば大勢が教えてくれる。「自分が日本で聞いていたことと実際が違いすぎて」と、メディア情報と現実の乖離(かいり)を実感した。
一方で危険な目にも遭った。イタリア・ナポリではバイクによるひったくりに巻き込まれた。
「私がひったくられたカバンにつかまったので、そのまま引きずられて、血だらけになりました」
必死に抵抗したものの、道路には対向車が迫っていた。
「前から対向車が来たので、もうこのままだとひかれる! みたいな状況になり、カバンを離しました」
何が起きたのか理解できないままぼう然と座り込んだ。
「衝撃的でしたね。1人ポツンと残されて……。そのあと警察に行き、もう号泣でした。屈強な警察官のおじちゃんたちにすごい慰められ、帰ってきました」
体は傷だらけで、一眼レフカメラも奪われた。大きな代償を払ったが、旅をやめることはなかった。
「旅が長くなると危機感や第六感が働くようになる。ここは行かないほうがいいという感覚が鍛えられました」
危険な地域を避け、夜間外出を控えるなど徹底。ひったくり被害は「唯一」と振り返る。

海外を旅することで得たものは「圧倒的な愛国心」
円安の影響で海外旅行のハードルが上がっている現在、中島さんは若者へ強いメッセージを投げかける。
「絶対に全員行ったほうがいいと思っています。日本しか見ていないと井の中のかわずになる。海外に行くと日本の常識がいかに常識ではないかが分かるし、何より日本がいかに素晴らしいかがよく分かります。愛国心が圧倒的に芽生えました」
費用の高さを理由に海外を敬遠する風潮にも疑問を呈する。「高いと思い込んでいるだけ」ときっぱり。バックパッカーのような格安旅行なら「特にアジアとかであれば、東京で暮らすより圧倒的にお金がかからない」と、“割安感”があると訴えた。
「インドでは1泊100円ほどの宿に泊まっていました。現地の人が行くローカルレストランや移動手段を使えば、全然お金はかからない。安く旅をしようと思えばいくらでもできます」
研修医を終えた節目で世界に飛び出した中島さん。デジタル化で人間関係が画面上に集約される時代だからこそ、旅でしか得られない価値に重みがある。
□中島侑子(なかじま・ゆうこ)東京都出身。母の病気をきっかけに、医師を志す。主に救急救命医として勤務。第一子妊娠中に起業を決意し、2017年に「TOKYOインフルエンサーアカデミー」を立ち上げ。8月に5冊目の著書『ミニマルインフルエンサー主義』(Gakken)を発売した。
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