桜庭和志の長男・大世の現在地 衝撃デビューから10か月、“親の七光り”批判も「虹色みたいでいいじゃないですか」

“桜庭ジュニア”はスターか凡才か。日本総合格闘技界のレジェンド、桜庭和志の長男・大世(26=サクラバファミリア)の真価が問われる試合が近づいてきた。衝撃のデビュー戦勝利から約10か月。東京ドームでの初黒星をへて、プロ3戦目の舞台となる格闘技イベント「RIZIN LANDMARK 12 in KOBE」(11月3日、兵庫・GLION ARENA KOBE)で、ボクシング元高校6冠の実績を持つ、宇佐美正パトリック(25=クレイス)と対戦する。キャリアの分岐点となる一戦を前に何を思うのか。インタビューで明かしたこととは。

デビュー戦でKO勝利した桜庭大世(左)【写真:山口比佐夫】
デビュー戦でKO勝利した桜庭大世(左)【写真:山口比佐夫】

デビュー戦KO勝利は「人生で初めてのパウンドだった」

“桜庭ジュニア”はスターか凡才か。日本総合格闘技界のレジェンド、桜庭和志の長男・大世(26=サクラバファミリア)の真価が問われる試合が近づいてきた。衝撃のデビュー戦勝利から約10か月。東京ドームでの初黒星をへて、プロ3戦目の舞台となる格闘技イベント「RIZIN LANDMARK 12 in KOBE」(11月3日、兵庫・GLION ARENA KOBE)で、ボクシング元高校6冠の実績を持つ、宇佐美正パトリック(25=クレイス)と対戦する。キャリアの分岐点となる一戦を前に何を思うのか。インタビューで明かしたこととは。(取材・文=浜村祐仁)

 年の瀬のプレスルームに大きなどよめきが起きた。衝撃のKOシーンはもちろん、長年MMAを取材してきたベテラン記者達の驚きに満ちた表情も記者の目に焼きついている。

「バーンって殴ったら当たって。おー倒れてるって感じでした。ラッキーって。でもパウンドなんか人生でしたことなかったんで、全然これやってるけど当たってねえなって思ってたら(レフェリーが)止めてくれました」

 1R・26秒。24年大みそかのデビュー戦は圧巻のTKO勝利だった。対戦相手はキャリア40戦以上を誇る実力者の矢地祐介。桜庭の左ミドルをキャッチして無防備となった矢地の顔面に左ストレートを叩きこみ、追撃のパウンドで試合を終わらせた。

「さすがにあれで倒そうとは思ってなかったですよ。でもいくつか必殺技を考えていて、その中の1つではありました。蹴りが得意で、よく持たれちゃうんですよね。矢地選手も持ちに来るタイプだと思ってて。コーチからも大世は変な当て勘があるから、当たると思うって言われてた。バンバン蹴ってキャッチされたらぶん殴るっていうのは練習してました」

 入場曲は父と同じ「SPEED TK REMIX」。覆面スタイルで花道を歩く姿に、往年のファンは心を揺さぶられた。

「会場には数万人とかいた訳じゃないですか。全員僕のことを見てるんだって思うと、素直に気持ちよかったです」

 セコンド入りした父から直前に送られたアドバイスは極めてシンプルだった。

「あんまり喋らないんですよね。でも、結局いつも言われるのは、自分の得意なことをやれ。自分の色を出せっていうことで。具体的な話はあんまりされないです」

 勝利後はリングで共に抱擁。「これ言うと毎回怒られますけど、(父は)家じゃ本当に酔っ払いおじさんなんですよ。飲んだくれっすね」と笑いながら語るが、親子2世代で掴み取った勝利は格別だった。

父・桜庭和志(左から2番目)も試合ではセコンド入りする【写真:山口比佐夫】
父・桜庭和志(左から2番目)も試合ではセコンド入りする【写真:山口比佐夫】

父に告げたMMAへの“転職”「お前が思ってるほど甘くねえぞ」

“IQレスラー”としてグレイシー一族を次々に撃破し、日本人として唯一となるUFC殿堂入りも果たした男の長男として生まれた大世。幼少期は大人しい性格だった。

「自分性格がコロコロ変わるタイプで。小学校4年くらいまではすごい自己中で、友達もあんまりいなかった。休み時間はみんなドッジボールとかやるじゃないですか。めっちゃ苦手で、いつも図書室に行っていました」

 スーパースターの子どもという認識はもちろんあった。しかし、父の試合に大きな興味は抱かなかったという。

「多分友達とかの方が知ってました。(会場にも)毎回行ってた訳じゃない。本当に(興味は)なかった。あんなうるさいとこ行きたくないじゃないですか。家にいる時もお父さんが勝ったか負けたかを聞くだけ。でも入場だけは見たかった。いつも変なことしてくれるんで。1番はマリオで入場したやつ、すごい覚えてます」

 小学校高学年からは、父と飲み友達だったという元UFCファイターの中村和裕氏の勧めをきっかけに柔道を始めた。高校は一般入試で強豪校に進学。大学まで競技を続けたが最後まで芽が出なかった。

「(高校は)レベルが違いすぎました。付属校だったので、この前まで小6だった中1にボコボコにされたりとか。最初は同級生と練習するなんて夢のまた夢でした」

 大学卒業後は、不動産会社に就職。営業職として充実した日々を過ごしていたが、身体に流れるファイターとしての血に逆らえなかった。2年で退職し、父と同じプロMMA選手への“転職”を決断した。

「(動機は)カッコつけバージョンと、本音バージョンがある(笑)。女の子とかにモテたい、目立ちたいという理由もあります。でも決め手は友達と飲んでる時。おっさんになってあの時あれやってれば人生変わったかなとか話すのが絶対嫌だなって思って。普通の仕事って50、60でも出来るじゃないですか。でもスポーツ選手は今しかできない。想像したらそっちの方がすごい楽しそうに思えたんです」

 二世アスリートの成功に大きな壁が立ちはだかることは歴史が証明している。周囲からの期待、重圧。これまでも多くの選手がそうした声に押しつぶされ挫折していった。大世にも、デビュー前から“親の七光り”という批判が届いていた。

「別にやるとなれば、そういうものだと元から思ってました。あと僕、七光りって別に悪い意味じゃないと思ってます。虹色みたいでなんかいいじゃないですか。だから(重圧)はそんなに感じてはないっていうか。良い自分の使える武器だと思ってます」

 MMA転向を父に報告すると「お前が思ってるほど甘くねえぞ」と厳しい一言が返ってきた。その言葉がキャリア2戦目で的中した。朝倉未来の復活に約4万2000人が熱狂した、今年5月の「RIZIN男祭り」。東京ドームのリングを号泣しながら後にする大世の姿があった。

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