「元乃木坂46」の肩書きには「感謝しかない」 川後陽菜、アイドル卒業後も輝く“自分らしさ”
元乃木坂46で、アーティストの川後陽菜は現在、川後陽菜 & YONAKA Band名義での音楽活動だけでなく、モデル、プロデュース業などマルチに活躍している。“セカンドキャリア”で自分の色を貫く根底にあるものとは――。

乃木坂46時代も「川後P」として存在感
元乃木坂46で、アーティストの川後陽菜は現在、川後陽菜 & YONAKA Band名義での音楽活動だけでなく、モデル、プロデュース業などマルチに活躍している。“セカンドキャリア”で自分の色を貫く根底にあるものとは――。(取材・文=小田智史)
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2011年にアイドルグループ・乃木坂46の1期生として活動を開始した川後。選抜メンバーも経験するなど、卒業する18年12月までグループを盛り上げた。
卒業後は、フリー期間、2021年11月に加入したガールズグループ・Youplusでの活動を経て、現在はソロプロジェクト「川後陽菜 & YONAKA Band」で音楽活動をメインに行うほか、アパレルブランド「YONAKA」のデザイナー、商品のプロデュース、ブランドのアンバサダー、ラジオのDJ・パーソナリティー、絵本の作成など、さまざまなフィールドで才能を発揮している。
「できることは何でもやる」
多忙な日々を送る川後の創作意欲の源と言っていい思いだ。
「自分らしくいることは大事だと思っています。ずっと絵を描くのが好きだったから絵を描いてみよう、洋服が好きだったからデザインしてみようとか。もともと、自分から新しいものに手を付けたい性格なんです。最近こういうのがトレンドだなとか、世の中のニュースを見てこういうことをしたら楽しそうだなとか、日々の中で思い浮かんでくるので、いろんなところで打ち合わせをしている時にも『こういうのをやってみたいです!』と、自分から言えるタイプ。簡潔に言うと、自分がやりたいことをやっています(笑)」
乃木坂46在籍時から、メンバーにあだ名をつけたり、雑誌連載でメンバープロデュースを行うなど、「川後P」の愛称で親しまれた。「私の性格はずっと変わっていません」。アイドル時代も自分から積極的に意見や企画を出し、形にしてきた実績がある。
「アイドル時代も決められたことだけだと、自分が表現するのが得意な範囲じゃないと思うことが結構あったので、自分が好きな世界観をプロデュースする雑誌の連載をいただいて、そこで好きなファッション、髪型、メイクを発信したり、配信番組でコーナーをプレゼンしたり、自分で企画書を持っていったりしました。卒業の時もライブではなく、『川後陽菜のイベントをやりたい』とお願いしたんです。当時はみんな、卒業コンサートみたいな感じだったなかで、原宿のKAWAII MONSTER CAFEを貸し切って、企画やゲストの候補を紙に書いて出していました。その頃からやりたいことは言って、やらせていただいていましたね」

情報のアンテナは常に全開
今年はアートトイブランド「ASTOROID」とのコラボで、フィギュア制作にも挑戦した。
「ASTOROIDの400%サイズは(グラフィティアーティストの)エリック・ヘイズさんとのコラボです。ヘイズさんと私が掛け合わさった時に、『まだやっていないものを作ろう』というところで、フィギュアに行き着きました。もともとは『入浴剤の詰め合わせを販売しよう』という話から始まったんですけど、打ち合わせを重ねるうちに、『オリジナルでキャラクター性のあるものにしたいよね』という流れになって。そこで『フィギュアやぬいぐるみとかどうだろう』というアイデアが出て、じゃあ川後のビジュアルに寄せたもので、YONAKA Bandを想起させる“夜・宇宙”というテーマで作ってみよう――という形で進んでいきました」
プロデュースにおいては、自身のやりたいこと、世の中のニーズのバランスを考えることも必要になるが、川後は「正直、私はそこの部分はあまり得意ではないです」と苦笑いする。周囲のサポートに助けられているという。
「人でもモノでも次に何が来るか当たることは多いです。今の時代、SNSを開いたら情報が入ってくるし、普段からイラストの画像を見たり、雑誌も出ているものは毎月ほぼ全てチェックしています。ライフスタイル系、美容系、ファッション系……片っ端から見漁(あさ)っています。そういうところから情報を得ているんだと思います。ただ、そこにばっちり私の好きなものがハマるかというとそうではないこともあります。私はCREATIVE HOUSE “LAND”というクリエイティブを軸にした事務所に所属しているので、周りの人や企業の方々が助けてくれています」
川後がかつて所属していた乃木坂46は、言わずと知れた国民的アイドルグループ。「元乃木坂46」という肩書きで語られることも少なくないが、「マイナスなことは全くなかったです」と言い切る。むしろ、自分が卒業して7年が経過しようとしている今なお、アイドル界をけん引するグループであることが、OGとして誇らしいと話す。
「乃木坂46は今、もう1期生も2期生もいないなかで、ずっと活躍を続けている。私が関わった子たちがいなくても、私を『元乃木坂46』と記事とかで描いてくださる。それは乃木坂46が今も活躍しているからこそ。そこで私が声をかけていただくお仕事もあったりするし、いいイメージで元乃木坂46というのを私にもつけてくださっているので、すごくうれしいです。最近はわりと、乃木坂46以外で私のことを知ってくださって、インスタグラムとかTikTokをフォローしてくださったり、川後は今こんなことしているんだと思い出してくださったり、ネガティブに感じたことは一度もなく、感謝しかないです。それは所属していたメンバー全員かなと。みんな自分をしっかり持っているので、誰も(肩書きに)固執していないと思います(笑)」
フリーランス活動期間も「いい経験」
乃木坂46卒業後には約3年間、フリーランスとして活動した。当時はパソコンも使えず、フリーランスの知識もなかったという。しかし、その経験は今に生きている。
「あの時、(フリーランスとして)やって良かったなと思います。ずっと事務所に入り続けていて、『事務所とは何か』、フリーランスになってからようやく意味が分かりました。人がどう動いてくれていたか、お金の動きも分かるし、請求書の作り方や確定申告のやり方も仕事をする上ですごく役に立っているので、すごくいい経験でした」
マルチに活動する川後が、これからクリエイターを目指す人たちへ言葉をかけるとしたら――。
「私自身、『こういう経歴の人がやってないだろう』というものを見つけて、斬新なことをやりたいという思いが強いです。今はインフルエンサーと言われる人たちも多いですが、『自分にはこれしかないんだ』と思っている人がいたとしても、好きの幅を広げることで、別のプランが見えてきたりします。『不安にならず、何でもチャレンジしてみましょう!』と伝えたいです」
アーティストとして、プロデューサーとして、クリエイターとして、進化を続ける川後から今後も目が離せない。
□川後陽菜(かわご・ひな)1998年3月22日、長崎県出身。2011年に乃木坂46の1期生オーディションに合格し、グループ在籍時はファッション誌「Popteen」の専属モデルを務めた。18年12月にグループを卒業後は、アーティスト活動の他、モデル、デザイナー、パーソナリティー、プロデュース業などマルチに活動している。
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