柳家さん喬、文化功労者に選出 人間国宝・桂米朝に続く落語家2人目の栄誉「えーっ!という感じ」

落語協会会長で、柳家喬太郎(61)ら12人の弟子を育てている落語家の柳家さん喬(77)が本年度の文化功労者に選 ばれ先ごろ、東京・台東区の落語協会で喜びの会見を開いた。人間国宝に認定された桂米朝(2015年没)に続く、落語 家として2人目の栄誉。若手落語家に対し「遠慮なく稽古に来てください」と呼びかけ、「自分が主催して、若い落語 家の会を開きたい」と落語のすそ野を広げることに一肌脱ぐことを誓った。

文化功労者に選ばれた柳家さん喬【写真:ENCOUNT編集部】
文化功労者に選ばれた柳家さん喬【写真:ENCOUNT編集部】

若手落語家に呼びかけ「遠慮なく稽古に来てください」 落語の幹を枯らさず、次世代へ

 落語協会会長で、柳家喬太郎(61)ら12人の弟子を育てている落語家の柳家さん喬(77)が本年度の文化功労者に選ばれ先ごろ、東京・台東区の落語協会で喜びの会見を開いた。人間国宝に認定された桂米朝(2015年没)に続く、落語家として2人目の栄誉。若手落語家に対し「遠慮なく稽古に来てください」と呼びかけ、「自分が主催して、若い落語家の会を開きたい」と落語のすそ野を広げることに一肌脱ぐことを誓った。(取材・文=渡邉寧久)

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「まず驚きました。想像もしていませんでした。連絡にびっくりして、え!っという感じですね、えー!っていう感じ」と、予想外の出来事に戸惑ったことを第一に明かし、「若い方への希望とか勇気につながればいいなと思ったりしました」と率直に語った。文部科学省の担当者から電話がかかってきたのは、今月初めだったという。

 多くの海外公演を含む長年にわたる落語家として活動が評価された。「見てくださっているのかな、やってよかったな」としみじみ伝えつつ、「(落語の)幹を枯らさなければ次の世代が枝葉を伸ばしてくれるし、花を咲かせてくれる。しっかりした幹を先輩たちから頂だいして、落語400年の歴史の中でやってきたことですね」と、伝統芸としてリレーされている落語に感謝を示した。

 1968年、今はなくなってしまった東京・人形町末広で初高座をつとめた。以来、芸歴は半世紀を超え、やがて60年に手が届く。

「噺家になって思ったことは、10人とすれ違ったら3人が自分のことを知ってくれているような噺家になりたいな、ということ」と振り返る。

「噺家ってマイナーな存在だと思いますし、誰も知らなくても、高座に上がったときに『あいつはすごいね』と思われるような、マイナーな中でメジャーな部分にいられたらな、と思いましたね」としつつ、「(師匠で人間国宝の五代目柳家)小さんみたいになりたいな、というのが本音ですかね、寄席から出ていろんなところで活躍して、いろんな分野で評価されるようになっても、基本的には落語ができないといけない」と噺家の本分の大切さを語った。

 後輩芸人に伝えたいことは「シンプル・イズ・ベスト」と至って短め。その真意について「なにもいじりまわさなくても、落語というものをシンプルに、純粋に感じればいい結果が出る。無理やりいじりまわさなくてもいい、と思う。どうやったらうまくなるか、どうやったら笑ってもらえるか、急がないでください。どうしても急ごうとします。真打ちになったらすぐ何かに、二つ目になったらすぐ何かになれる、というわけではなく、シンプルに携わっていれば、いい結果がでると思う」と、仕掛けすぎること、売れるがために奇をてらう若手に対して、ゆっくり構えることの重要さを解いた。

 師匠の小さんの言葉「芸を磨くより人を磨け」が好きな言葉で、「ずるいことをせずにまっとうな芸をしていれば、いい芸ができる、そういうことをおっしゃているんだと思いますけど、なかなか磨けないものですね」と笑いながら首を傾げた。

 今後の目標について聞かれると「素直に申し上げると、初めに帰りたいな」と原点回帰願望をチラリ。「一に戻ってやってみたい、ということがありますね。スタートラインに戻りたい。古い噺でも違う表現ができると思う。自分がこれまで活動したことを、またどっかでやっていきたい」と話す一方、「自分が主催して、若手の噺家さんの会をやっていきたい」とプランを明かし、「稽古に遠慮なくきてください。芸のすそ野を広げるための稽古はやりたい。若手同士で、ネタを交換し合うのはよくない」ときっちり苦言を呈した。

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