人間国宝・片岡仁左衛門、文化勲章受章に喜び&照れ笑い「子孫への置き土産です」
歌舞伎俳優で人間国宝の片岡仁左衛門が今年度の文化勲章に選ばれ、17日に受章を受けての会見を行った。

襲名前には大病と休演も経験「『神様がくださった命』への責任を感じた」
歌舞伎俳優で人間国宝の片岡仁左衛門が今年度の文化勲章に選ばれ、17日に受章を受けての会見を行った。
文化勲章は1937年に文化勲章令により制定され、科学技術や芸術といった分野で文化の発展にめざましい功績をあげた人に贈られる単一級の勲章。橘の五弁の花の中央に三つ巴の勾玉(まがたま)を配している。文部科学大臣が、大学教授や芸術家らで構成する文化審議会の意見をもとに選考し、首相に推薦して閣議決定する。毎年11月3日の「文化の日」に皇居で天皇陛下から直接授与される。
受章の連絡を受けた時の様子を聞かれた仁左衛門は、「まずお電話で連絡を受けた時は、正直『え?』って思ったんですね。その時は『喜んでお受けさせていただきます』と喜んで、お仏壇の父や母、亡くなった兄弟たちに報告しました」と振り返った。しかし「落ち着いて考えた時に、私がこんな大きな賞をいただいていいのかなと。自分を見返して、ちょっとこれは大き過ぎるんじゃないかな」と戸惑いも。「でも、いただけることはありがたいことで、わたくしの子孫への置き土産といいますか、そんな気持ちです」と照れ笑いした。
仁左衛門は1964年に大阪・朝日座で初役で挑んだ『女殺油地獄』の河内屋与兵衛が高く評価され、その後は義太夫狂言を中心に力量を発揮。評価と人気を集めていった。その中でも父・十三代目片岡仁左衛門から継承した『菅原伝授手習鑑』の菅丞相は、知性と憂い、清廉さがにじみ、“最高の当たり役”と言われている。
98年に十五代目片岡仁左衛門を襲名する2年前の96年には、大葉性肺炎から膿胸と食道亀裂などの重い病を得て、1年間の休演を経験。当時を振り返った仁左衛門は、「ちょうど仁左衛門という名前を襲名させていただく時に、一時期、生死の境を行ったり来たりしていたようですけれど、その時に思ったのが、『神様が、命をくださった』という責任感ですね。そして舞台に立てた喜び」と語り、「とにかく1年間、舞台に立てない。チラシを見たりするとね、みんな活躍しているでしょ。本当に、つらかったんでね」と当時の心境を明かした。翌97年1月に歌舞伎座で復帰。「復帰の公演であれだけのお客さまが喜んでくださった。非常におこがましい言い方ですけども、私のこと待っていてくださったんだなという喜びですね。そして先に申しましたように、改めて責任を感じました」と思い返した。
文化勲章について、「こういう家に生まれて、しかも自分が好きでやらせていただいてきたことで、こんな大きな評価をいただいて、本当に幸せだなというのが実感ですね」と喜びをかみしめ、「とにかくこの文化勲章というものの大事さ、質を落とさないように、これからなお一層精進して、多くの方々に、長い歴史を持つ歌舞伎に親しんでいただけるように努力しなければならない、というのが今の気持ちです」と意気込んだ。
□片岡仁左衛門(かたおか・にざえもん)1944年3月14日、大阪府生まれ。49年9月、大阪・中座にて『夏祭浪花鑑』市松で本名の片岡孝夫で初舞台を踏む。98年1、2月に歌舞伎座で『吉田屋』の伊左衛門、『助六曲輪初花桜』の助六ほかで十五代目片岡仁左衛門を襲名。2006年12月に日本芸術院会員となり、同年には紫綬褒章を受章。15年10月に重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)。16年に読売演劇大賞で大賞・最優秀男優賞を受賞。18年11月には文化功労者に選ばれている。
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