「一発逆転なんてない」 74歳・小林薫、名優への道に分岐点の数々「人生って紙一重」
アニメ映画『ホウセンカ』(公開中、木下麦監督)で主人公・阿久津の声を務めた俳優・小林薫。その演技はもちろんだが、彼自身が歩んできた人生観にも作品のテーマが重なる。物語が提示する「逆転」について尋ねると、小林は少し間を置き、静かに口を開いた。

アニメ映画『ホウセンカ』で主人公・阿久津の声を担当
アニメ映画『ホウセンカ』(公開中、木下麦監督)で主人公・阿久津の声を務めた俳優・小林薫。その演技はもちろんだが、彼自身が歩んできた人生観にも作品のテーマが重なる。物語が提示する「逆転」について尋ねると、小林は少し間を置き、静かに口を開いた。(取材・文=平辻哲也)
『ホウセンカ』の主人公は無期懲役刑で刑務所に収監されている年老いたヤクザ・阿久津。死を目前にした彼はホウセンカ(ピエール瀧)と語らい、かつての恋人、那奈との生活、破天荒だった30代のヤクザ時代を振り返っていく。阿久津には、人生逆転にかける夢があった。
「逆転って言うけどね、僕は一発逆転なんてないと思ってるんです。人生って紙一重ですよ。右に行くか左に行くか、その時のちょっとした違いで決まっていく。だから大逆転っていうのはなくて、積み重ねでしかないと思うんです」
その言葉には、74歳を迎えた俳優が歩んできた実感がにじむ。これまでの人生を振り返っても、分岐点は数えきれないほどあった。「僕だって、どっかで違う方に行ってたら、全然違う人生になってたかもしれない。ほんの少しの違いでこうしてここにいるんだと思うんです」
もともと俳優を志していたわけではない。京都でアルバイトをしながら過ごしていたころ、偶然観た唐十郎率いる状況劇場の芝居が決定的な出会いになった。
「最初は演劇なんて全然考えてなかったです。唐さんの芝居を観て、それが衝撃でね。ああいう世界があるんだって初めて知って、そのまま飛び込んだんです」
のちに唐十郎の劇団に参加し、舞台に立ち始める。演技を学んだというより、現場に身を置き、先輩たちの背中を見ながら必死に吸収した。小林にとって、それが役者としての基礎になった。
1980年代に入ると、ドラマや映画の世界に活動の場を広げ、一気に頭角を現す。当時の現場は今とは比べものにならない熱気に包まれていた。
「全然違いましたよ。バブルのころで、夜な夜な飲みに行くのが当たり前で。役者もスタッフも音楽や美術の人も、みんなで騒いでましたね。今の若い人には信じられないと思うけど、あの空気の中でいろんなものを吸収できたんです」
飲み会は単なる遊び場ではなかった。互いに刺激を受け合い、役者同士で芝居を語り合い、映画監督やスタッフとも混ざり合うことで、新しい発想が生まれた。若手だった小林にとって、それは「役者とは何か」を学ぶ大きな時間でもあった。
時代は移り変わり、今の若い世代を小林は羨望の目で見ている。
「今は媒体が多いですよね。映画もドラマも配信もあって、組み合わせ次第で若い人が成功できる可能性がある。うらやましいですよ。僕らのころはそんなに場がなかったから。でも、恵まれている分だけ、選択も難しいだろう」とも感じている。
自身の生き方について問われると、小林は肩の力を抜いたように答えた。
「大事にしてきたっていうほどのものはないんです。ただ、やってきたことを続けること。それだけです」
舞台から始まり、テレビ、映画、そしてアニメーションの声優まで。小林薫のキャリアはジャンルを横断して積み重なってきた。その背景には、一発逆転を狙うのではなく、日々の小さな選択を大事にしてきた姿勢がある。
□小林薫(こばやし・かおる)1951年9月4日生まれ、京都府出身。71~80年まで唐十郎主宰の「状況劇場」に在籍。退団後、映画・舞台・ドラマ・CM・ナレーションなどで幅広く活躍。映画『それから』(85年/森田芳光監督)、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(07年/松岡錠司監督)で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。ドラマ『深夜食堂』シリーズ(MBS/TBS/NETFLIXほか)は15年・16年に劇場版も公開。近作として映画『でっちあげ~殺人教師と呼ばれた男』(25年/三池崇監督)、連続テレビ小説『虎に翼』(24年/NHK)、特集ドラマ『憶えのない殺人』(25年/NHK)など。現在、ドラマ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(25年/CX)が放送中。待機作として連続ドラマW『1972 渚の螢火』(25年/WOWOW)が10月19日から放送予定。
