関東最大級ギャングの肩書きは「誇れる話でもない」 田中雄士、高校生で年収5000万も「前面には出したくない」
かつて東京・千葉を拠点に活動し、警察から110件以上の起訴を受けるなど、世間を騒がせた関東最大級のギャング「KGB」。その2代目リーダーとして1000人を超えるメンバーを束ねていたのが田中雄士だ。現在は実業家、ヒップホップアーティスト、ジム会長など多彩な肩書きを持ち、当時とは全く異なる新たな道を歩んでいる。そんな田中に、当時の記憶と現在の思いについて話を聞いた。

中学時代はバスケットボールに熱中した
かつて東京・千葉を拠点に活動し、警察から110件以上の起訴を受けるなど、世間を騒がせた関東最大級のギャング「KGB」。その2代目リーダーとして1000人を超えるメンバーを束ねていたのが田中雄士だ。現在は実業家、ヒップホップアーティスト、ジム会長など多彩な肩書きを持ち、当時とは全く異なる新たな道を歩んでいる。そんな田中に、当時の記憶と現在の思いについて話を聞いた。
最初からワルだったわけではない。田中の両親は中華料理店を営んでおり、「普通の家」「愛情のある家庭」だったと語る。格闘技との出会いは小学生の頃。家の近くに空手道場があり、習い始めた。中学まで続け、黒帯を授与されている。
中学時代はバスケットボールに熱中。ちょうど『SLAM DUNK』が流行していたが、通っていた学校にはバスケ部がなかった。当初は遊び感覚だったが、やがて自ら部を立ち上げ、部長として仲間を引っ張った。
「先生が、自分(田中)にリーダー気質があるって見抜いてたのかな。絶対リーダーになりたかったわけじゃなくて、思うようにしたかった。自分で自分の人生をコントロールしたい、っていう気持ちはあったかもしれない。人に言われて、じゃなくて、自分で切り拓きたかったのかなって」
中学までは不良的な要素はほぼなかった。そんな自身を「真面目でもないけど、ヤンキーでもなかった」と振り返る。世界が変わったのは高校進学後。千葉市の外れから市の中心部の高校に通うようになり、これまで足を運ばなかった地域に出る。行動範囲が広がったことで、東京へ遊びに出ることも増えた。
「高校に入って、世界が広がりました。当時はチーマーやギャルが流行っていて、“10代が主役”みたいな時代だった。俺は強くてカリスマ的なヤンキーでもなくて、空手をやってて、バスケを真面目にやってた普通の人間でした」
そんな中、夜遊びをしているうちにKGBとトラブルに。流れで同組織の支部となる道を選んだ。
「自分も強くないし、周りの友達も強くない。千葉の弱小の仲のいい4~5人で加入しました。でも田舎の片隅から都心へ向かって勢力を拡大していき、身内を幹部にして組織を大きくしていった。ヤンキーに分類されない中途半端な15歳が2年で関東中のギャングのトップに立ったっていうのは、やっぱり珍しいですよね」

「外道なことはやめようぜ」ボス時代には不良少年のブレーキ役
最初は数人だった仲間は1000人規模に膨れ上がり、田中は2代目リーダーとして頂点に立った。組織力を高めるため、画期的な集金システムを導入し、イベントなども開催。高校生にして年収は5000万円に達していたという。なぜそれほどまでの影響力を持てたのか。
「“最強”って幻想だと思うんです。『誰が強いの?』って聞かれたら、MMAのヘビー級王者が一番強い。でも、最強ってそんなに意味ない。無敵の状態を作ること、そして周りに“最強っぽく”思わせることで、快適な状況を作れる。当時の俺はそれを理解してたと思います。ヤンキー漫画みたいに一番強い奴がすごくなるとは限らない。それよりも組織の威力や、自分の立場、ブランディングを上げる方が重要だった」
現在ではKGBは“伝説のチーム”とも呼ばれている。
「凶悪な集団を率いる以上、行くときは行かないといけない。でも行き過ぎると捕まるし、死人も出る。集団心理も使って、大したことない奴らまで強くなった気になれる。良いリーダーって、その人がいるだけで周りが強くなる。魔法がかかったように全員の気持ちが強くなる。それを目指していたし、実際にできていたと思います」
ただし、「個人の能力はそこまで違いがない」とも語る。集団をまとめることで本当に悪に染まってしまう危険もあった。だからこそ、自らブレーキ役に回ることもあった。
「周囲には“危ない集団”と思わせつつ、『外道なことはやめようぜ』って言ってました。今みたいに老人を襲うとか、オレオレ詐欺とか、そういう発想すらなかった。同年代をビビらせて、関東中にその威力を分からせて、自分たちが快適に過ごせる状況を作りたかっただけなんです」
「真面目」な一面はその後の行動にも表れている。アウトローな道を貫くのではなく、大検を取得し大学へ進学し卒業。格闘家としても知られるが、複数の会社を経営する実業家でもある。自身の特殊な過去に何を思うのか。
「KGBのことはあまりしゃべりたくないんです。誇れる話でもないし、自慢できる経歴ではない。当時が頂点だとは思っていないから、今もいろいろなことに挑戦してる。確かにその過去で一部からリスペクトされたり、格闘技のタイトルマッチが組まれたりしたことはありますけど、前面には出したくないんですよね」
過去に後悔があるわけではない。
「あのときの自分にとって最良の選択だったと思っています。関東中に悪いやつらがいて、そいつらが好き勝手していた。その祭りに参加しないという選択肢はなかった。だから後悔じゃない。“違う人生もあったな”と思うこともあります。たとえば慶應を目指して大学生活をエンジョイするとか、いい大学行って留学して、証券会社に入って……そんなエリート人生も想像したことはあります。でも結局、社長もやって、格闘技もやっている今の生活に行き着くと思うんですよ」
実業家として収入を得ながら、格闘技ではタイトルも獲得。周囲からは「成功者」と見られているが、自身はそう思っていない。
「『こんなに頑張っているのになんで結果が出ねぇんだろう』って、いまだにくすぶっている感覚はあります。人生は楽しんでいるけど、自分の中では“成功している”とは思わない。一つ言えるのは、俺はいつも遠回りで時間がかかるタイプ。でも、神様が大きな成功のために、楽しみを後に残してくれてるのかなって思っています」
社会を震わせた当時の不良少年たちの頂点に立っていたという事実は、時が流れても消えることはない。田中はその過去を否定せず、かといって美化もしない。ただ今は、「真面目に」現在を積み重ね続けている。
あなたの“気になる”を教えてください