妻夫木聡、主演映画イベントで涙 コロナ禍に亡くなった祖母を思い「ずっと後悔していたんです」

俳優の妻夫木聡が2日、都内で行われた映画『宝島』(公開中、大友啓史監督)の東京キャラバン&名刺お渡し会に登壇。涙を見せて熱いメッセージを送った。

東京キャラバン&名刺お渡し会に登壇し涙を見せた妻夫木聡【写真:ENCOUNT編集部】
東京キャラバン&名刺お渡し会に登壇し涙を見せた妻夫木聡【写真:ENCOUNT編集部】

宣伝アンバサダーとして全国行脚

 俳優の妻夫木聡が2日、都内で行われた映画『宝島』(公開中、大友啓史監督)の東京キャラバン&名刺お渡し会に登壇。涙を見せて熱いメッセージを送った。

 宣伝アンバサダーとして全国行脚することを宣言した主演の妻夫木は、30都市目として東京訪問が実現。MCが沖縄に住む人々の感想を紹介すると、「僕たちは実際にその時代を生きていないし、沖縄で生まれ育ったわけではない僕たちが沖縄を描くことは、僕も監督もプレッシャーはあった。でも誰よりも沖縄の人の思いを背負ってきたという覚悟は持っていました。まず、沖縄の方々に受けいれてもらえたことが、作品にハンコを押していただいたような思いだし、真摯(しんし)に向き合ったのが届いた証拠だと実感しています」と喜びをかみしめた。

 上映時間191分の大作となったことについては、「アフレコをしたときに『どれくらいになったのですか?』と聞いたら、3時間11分と聞いて、『それは本気ですか?』と聞きました。(上映時間に)監督含め、みなさんの覚悟を感じたし、俺たちが向き合ってきたものは、2時間くらいでは語れることじゃないと思ったんです。信じて進むしかないという気持ちでした」とコメント。初めて完成した作品を観賞した際を振り返り、「本当に時間を忘れました。見終わったあと立てなかった。(主人公)グスクとして1日1日を生きることに精一杯だったんだけど、出来上がって初めて見た時に希望の話なんだなって(思いました)」と感想を述べた。

 本作の撮影を通じて、改めて沖縄や世界の歴史を知るきっかけになったことを説明し、「過去にあったことを過去で終わらせてはいけないと思いました。その事実を知ることで、僕たちは痛みを知ることができます。『同じ過ちを繰り返してはいけない』と言うことができる。教科書で見て、なんとなく分かっている気ではダメだと思う」と熱弁。「集団自決にしても、親が自ら子を手にかけてという現実が80年前まで起こっていた。僕は自分の子どももいますし……」と涙で言葉を詰まらせたが、「そんな未来は作りたくないですよね。絶対」と声を振り絞ると、会場があたたかい拍手に包まれた。

「僕自身この映画に携わって、沖縄に触れて死生観が変わりました」と話し、祖母がコロナ禍に亡くなったことを告白。「じいちゃんが亡くなってからずっと一人だった。おばあちゃんが亡くなった時にお医者さんが『おばあちゃん、痛みを我慢して暮らしていたかもしれない』と……」と回想すると、思いがあふれて涙。「じいちゃんに会いたかったのかな。さみしかったのかな。(コロナ禍で)会いに行っちゃダメだけどさ、会いに行けばよかったと思って……、ずっと後悔していたんです。でも、この映画に出合えて、死生観が変わって。『おばあちゃんはおじいちゃんに会いに行ったんだな』『どうしようもなく会いたかったんだな』と思ったら。(自分も)60年くらい頑張っていきたいけど、『また会おうね』と思えるようになった」と語り、「僕は『宝島』でいっぱい宝が見つかった。だから、みんないっぱい宝を見つけてほしいです。そういう力を映画だと思います」とメッセージを送ると、「本当に泣いてしまってすいません」と最後は笑顔を見せて謝罪した。

 同作は、アメリカ統治下の沖縄を舞台に、自由を求めて駆け抜けた若者たちの友情と葛藤を描いた感動物語。沖縄がアメリカだった時代、米軍基地から奪った物資を住民らに分け与える「戦果アギヤー」と呼ばれる若者たちがいた。いつか「でっかい戦果」を上げることを夢見る幼なじみのグスク(妻夫木)、ヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)の3人。そして、彼らの英雄的存在であり、リーダーとしてみんなを引っ張っていたのが、1番年上のオン(永山瑛太)だった。

 本イベントには、原作者の真藤順丈氏、大友監督も登壇した。

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