「最悪死ぬかも」妊娠5か月で緊急手術… “患者”になった女医が病室で決意した“第二の人生”

妊娠中や出産時は何が起こるか分からない。医師の中島侑子さんは、第1子妊娠中に腹痛に襲われ、勤務先の病院に入院。全身麻酔により、緊急手術を行った経験を持つ。患者を治療する側だった中島さんは、逆の立場になり、人生観が一変。現在は「TOKYOインフルエンサーアカデミー」を主宰するなど実業家として活躍中だ。中島さんの波瀾万丈の人生に迫った。

入院中の中島侑子さん【写真:本人提供】
入院中の中島侑子さん【写真:本人提供】

高校生の時、病に倒れた母…志した医師の道

 妊娠中や出産時は何が起こるか分からない。医師の中島侑子さんは、第1子妊娠中に腹痛に襲われ、勤務先の病院に入院。全身麻酔により、緊急手術を行った経験を持つ。患者を治療する側だった中島さんは、逆の立場になり、人生観が一変。現在は「TOKYOインフルエンサーアカデミー」を主宰するなど実業家として活躍中だ。中島さんの波瀾万丈の人生に迫った。(取材・文=水沼一夫)

「女性は命をかけて出産をしているということを男性に伝えたい」

 中島さんがそう力強く語る背景には、自身の壮絶な体験がある。妊娠5か月の時、卵巣嚢腫がねじれかけた状態となり、緊急手術を受けることになった。家にも帰れずそのまま入院し、全身麻酔での手術に臨んだ。

「めちゃくちゃ難しい手術でもないし、普通にやれば命を落とすものではないのですが、救急でずっと働いていると、命に絶対はないなというのをすごく感じていたので、本当に最悪死ぬかもしれないなって覚悟を決めて手術しました」

 無事手術を終えた中島さんに訪れたのは、人生観の大きな変化だった。1週間の入院生活の中で、「この命を今後どう使っていこうか」と真剣に考えるようになった。

 16歳の時、母がくも膜下出血で倒れ、医師を志した。医学部を目指すには、遅いスタートで、テストでは高校3年生の秋までE判定が続いた。それでも中島さんは努力を継続。「寝食以外全て勉強して。本当に泣きながら勉強していました。もう2度と戻りたくないぐらい」。“大逆転”で現役合格を勝ち取った。

 医師の仕事は楽しくやりがいもあったが、「私じゃなくてもいいんじゃないか」と感じるようになった。入院中に思い浮かんだのは、ママだから、女性だから、年齢がもう何歳だからといった理由で、自分に制限をかけて輝きを失っている女性たちの存在だった。

「そういった女性を解放するというか、何歳からでももっと自由に生きられるよということを私が示しつつ、みんなの背中を押す存在でありたいと思って、起業しようと決意しました」

 驚くべきことに、中島さんは入院中のベッドの上で事業計画書を作成し、事業プランコンテストに応募した。この行動力が、後の成功につながることになる。

 卵巣嚢腫は、ある分には悪さをしないが、ねじれた時に激痛を引き起こす病気だ。ねじれる確率はそれほど高くないものの、いつ起こるかは誰にも予測できず、中島さんも妊娠中は常に気に留めていた。ただ、まさか5か月で“急変”するとは……。

「お腹が大きかったので、全身麻酔で手術を受けられるギリギリの時期でした。ねじれかけている状態で、完全にねじれてもおかしくない状況だったため緊急手術となりました」

 医学部に入学し、すぐに解剖学を学んだ。手術と背中合わせの人生を送ってきたが、自らが手術台に上がることの衝撃は大きかった。

救急救命医として勤務していた【写真:本人提供】
救急救命医として勤務していた【写真:本人提供】

「女性は命をかけて出産をしている」

「不思議な経験でしたし、重複しちゃいますけど、本当にもうこれで目を覚まさないかもしれないって思いながら手術室に入りました」

 この体験を通じて中島さんが強調するのは、出産の過酷さだ。

「もともと病気がなくても、出血が止まらなくて亡くなる妊婦さんもいる。医療ミスでもなく、本当に不運という方もいるから、女性は命をかけて出産をしているということを男性に伝えたいです」

 退院後、中島さんは20歳頃から続けていたブログの経験を生かし、インスタグラムでの発信を開始。3か月で1万フォロワーを獲得するほどの成功を収める。

「憧れはありましたけど、手術をしていなかったら、起業してなかったかもしれないですね」

 子どもの頃は、「すごい引っ込み思案で人見知りで自信がない子でした」と振り返るほど内向的な性格だった。

 しかし、そのことをきっかけに、中学入試を決意。新たな環境に飛び込み、人生を変えると、大学では体育会のスキー部に所属する一方で、東京のネイルスクールにも平行して通学。さらに、研修医終了後は延べ3年間の世界1周にチャレンジするなど、内気な性格がウソのような行動力を見せていく。

 起業までの経緯もまさにそんな中島さんの真骨頂だった。

 周囲からSNSを教えてほしいという声が相次いだことから、最初はワンデー講座を開催していたが、参加者の95%が3か月後には投稿を継続できないという現実に直面。「人は行動しないんだということを痛感した」中島さんは、4か月間じっくりと向き合うアカデミー形式に切り替えた。

 現在までに500人超の卒業生を輩出しており、その中には73歳でロースイーツ教室を全国展開し月350万円を稼ぐ女性や、7人の子どもを持つシングルマザーが生活保護から脱却して会社を設立した例もある。

バックパッカーとして世界1周に挑戦、ギリシャにて【写真:本人提供】
バックパッカーとして世界1周に挑戦、ギリシャにて【写真:本人提供】

人生を切り開くのは“一歩踏み出す力”

 アカデミーでは筆記や面接などの入学試験を実施し、「すてきな人しかいない、熱がある人」だけが入学できるシステムを採用。何よりも人柄にこだわるのは、「環境と仲間」が継続の鍵だと考えているからだ。

 今年8月には5冊目の著書『ミニマルインフルエンサー主義』(Gakken)を発売した。中島さんが提唱する「ミニマルインフルエンサー」は、フォロワー数や再生回数などの数字を追い求めるのではなく、本来の夢をかなえるために発信するという考え方だ。

「薄い多数ではなく、濃い少数のファンに向けて発信することで、数に振り回されることなく目の前の人を大切にできる」

 命がけの出産をくぐり抜けてなお、一歩を踏み出す力は誰の中にもある――その実例を、今も中島さんは静かに示し続けている。

□中島侑子(なかじま・ゆうこ)東京都出身。母の病気をきっかけに、医師を志す。主に救急救命医として勤務。第一子妊娠中に起業を決意し、2017年に「TOKYOインフルエンサーアカデミー」を立ち上げ。発信力で人生を変える取り組みを行っている。

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