22年連続『紅白』出場の水森かおり、デビュー2年で受けていた“崖っぷち”通告…浮上できた理由とは
演歌歌手の水森かおり(52)が、デビュー30周年を迎えた。記念曲『大阪恋しずく』は初の幸せ演歌で、ファンへの感謝の思いを込めて歌っている。カップリング曲『我が輩は猫である』は、猫目線の異色作として話題だ。30周年の一環で、男性ボーカリストの名曲に挑戦した初のカバーアルバム『Heartful Songs』も発表した。デビュー日の今月25日には、記念コンサートもスタートさせる。22年連続で『NHK紅白歌合戦』に出場中の水森へのインタビュー企画。30年の思いを語った「前編」に続き、「後編」で実はあった“崖っぷち”を語っている。

デビュー30周年迎える…記念曲『大阪恋しずく』は初の幸せ演歌
演歌歌手の水森かおり(52)が、デビュー30周年を迎えた。記念曲『大阪恋しずく』は初の幸せ演歌で、ファンへの感謝の思いを込めて歌っている。カップリング曲『我が輩は猫である』は、猫目線の異色作として話題だ。30周年の一環で、男性ボーカリストの名曲に挑戦した初のカバーアルバム『Heartful Songs』も発表した。デビュー日の今月25日には、記念コンサートもスタートさせる。22年連続で『NHK紅白歌合戦』に出場中の水森へのインタビュー企画。30年の思いを語った「前編」に続き、「後編」で実はあった“崖っぷち”を語っている。(取材・文=笹森文彦)
町工場を経営していた父は、かつて歌手を夢見ていた。その影響で、2歳4か月で『せんせい』(森昌子)を歌い、子ども歌合戦には5歳で初優勝。以後、『のど自慢』優勝の常連になった。幼稚園の時の十八番は『愛の終着駅』(八代亜紀)。歌詞の女心は父が解説してくれた。
当然、将来は歌手志望と思いきや、高校で英語に興味を持ち、国際秘書を目指して短大に進学。米カリフォルニア州リバーサイドにある大学にも留学した。
「歌手になることについては、子ども心にどこかで『そんな夢みたいなことは叶うわけないだろう』みたいな思いはありましたね」
留学中のある日、ホストファミリーの前で『赤鼻のトナカイ』を歌った。日本語だったが、みんな感激してくれた。歌の力を実感した。ふたをしていた歌手への思いがよみがえった。
帰国後、すぐに『山川豊の妹分コンテスト』(1994年)に応募した。優勝は逃したが、主催の長良プロダクションから「レッスンを受けないか」と誘われた。
短大を卒業後、電話番などスタッフとして働きながら、レッスンを受けた。
「20歳の時ですね。もしかしたら、朝ドアを開けた時に『もう、来なくていいよ』って言われやしないか。もしかしたら、『デビューが決まったよ』って言ってもらえるかもという、不安とワクワクの2つの気持ちが存在していましたね」
そして、22歳の95年9月に『おしろい花』でデビューした。甘くはなかった。キャンペーンで歌っても、誰も止まってくれなかった。4作目の『いのち花』(97年)の時、スタッフに「この曲が最後かも」と言われた。
悔しさと焦燥感が募ったが、ふと父の言葉を思い出した。
「目は見ていなくても、耳は聴いている。だから、常に100%で歌え」。
ついに転機の曲と出会う。10作目の『東尋坊』(02年)。福井県の日本海にある有名な断崖絶壁である。歌手として、崖っぷちに立っていた水森を重ねた作品とも言われる。
その後、水森の方向性を決定づける歌詞が登場する。「♪右と左に分かれる影を 夕日が染めてく 日本海」だ。
「(作詞の)木下龍太郎先生が『東尋坊は別れ旅の歌だ。別れた女性が、1人になって次はどこに行くのか』とおっしゃったんです。先生の中に、ストーリーがあったのだと思います」
愛する人と別れ、日本海に向かって左に歩み出した女性がたどり着いたのは、紅白初出場曲の『鳥取砂丘』(03年)だった。
「以前にも『竜飛岬』(青森)や『尾道水道』(広島)がありましたが、しっかり意図を持ってご当地ソングとしてスタートしたのは『東尋坊』からと言っていいと思います」

ご当地ソング数170曲…全国制覇まであと2県
恋に破れた女性が、明日に向かって、全国各地へひとり旅を続けるという、水森独特のご当地ソングのコンセプトが確立した。デビュー記念日前日、9月24日発売の恒例アルバム『歌謡紀行24~大阪恋しずく~』収録の新たな書き下ろし作品を含め、水森のご当地ソング数は170曲になった。
「ご当地ソングの主人公は、私ではありません。お天気カメラのように、俯瞰(ふかん=高いところから見下ろす)で、こういう主人公が、こういう気持ちで、こういう場所を歩いていますよ、と伝える。それで、より皆さんにその土地の風とかにおいを感じてもらえると思っています」
秋の気配とともに、紅白の話題が出始める。23年連続23回目出場は有力視されているが、水森は常に謙虚だ。それは父の教えにある。「お前が出られたことで、出られなかった人がいる。光を浴びたところには必ず影ができる。その影を忘れてはいけない」。そして、ご当地ソングは、残す福岡県と徳島県を歌えば、47都道府県を制覇する。
「なぜ、福岡と徳島が残ったのか分かりませんが、(意図的に47都道府県制覇を)狙って作ってこなかった結果だと思います。ライフワークとして、日本の美しい風景を歌い続けたいと思います」
水森はこれからも、不動の「ご当地ソングの女王」であり続ける。
□水森(みずもり)かおり 本名・大出弓紀子。1973年8月31日、東京・北区生まれ。『釧路湿原』(2004年)で第37回日本作詩大賞、『五能線』(05年)などの歌唱で第47回日本レコード大賞最優秀歌唱賞、『島根恋旅』(14年)で第47回日本有線大賞を受賞。19年に東京・明治座などで初座長公演。鳥取砂丘観光大使、輪島市観光特別親善大使(石川)、日向市観光大使(宮崎)、希望郷いわて文化大使など、これまで28か所の観光大使等に就任。出身地の東京・北区ではアンバサダー(親善大使)。歌碑は「釧路湿原」「輪島朝市」「竹居岬」(香川)、「大和路の恋」(奈良)。血液型B。
