『あんぱん』誕生背景に制作統括の熱い思い 世界で目にした衝撃「次々と遺体が運ばれてきて」

NHK連続テレビ小説『あんぱん』(月~土曜午前8時)の制作統括・倉崎憲氏がENCOUNTの単独取材に応じ、放送終盤を迎え、同作を世に誕生させたそもそもの理由と視聴者に届けたかった思いを語った。放送前には「生きていて良かったと感じていただける朝ドラを届けたい」とコメントしていた。取材すると『アンパンマンのマーチ』の歌詞「なんのために生まれて なにをして生きるのか」と重なる倉崎氏自身の熱い思いと衝撃的な経験を背景に生まれた作品だと感じる言葉が次々と飛び出した。

『あんぱん』の制作統括・倉崎憲氏【写真:ENCOUNT編集部】
『あんぱん』の制作統括・倉崎憲氏【写真:ENCOUNT編集部】

学生時代に世界一周、帰国後に学生の国際協力団体設立しラオスに学校創設

 NHK連続テレビ小説『あんぱん』(月~土曜午前8時)の制作統括・倉崎憲氏がENCOUNTの単独取材に応じ、放送終盤を迎え、同作を世に誕生させたそもそもの理由と視聴者に届けたかった思いを語った。放送前には「生きていて良かったと感じていただける朝ドラを届けたい」とコメントしていた。取材すると『アンパンマンのマーチ』の歌詞「なんのために生まれて なにをして生きるのか」と重なる倉崎氏自身の熱い思いと衝撃的な経験を背景に生まれた作品だと感じる言葉が次々と飛び出した。(取材・文=中野由喜)

 まずは『あんぱん』を世の中に誕生させたかった背景と理由を聞いた。

「2022年12月に25年度前期の朝ドラの制作統括をやらないかという声がかかり、そこから題材を探しはじめたのですが、実は当時、私はNHKを辞めるかどうか迷っていました。自分の生き方にずっと迷っていて転職も考えていました。そんな時に声がかかったんです。それで朝ドラの題材を考えていたら『アンパンマンのマーチ』のフレーズ『なんのために生まれて なにをして生きるのか』が自然と頭に降ってきて、歌詞がまさに自分に問いかけられている気がしました。言い換えると、何のためにNHKにいて何のため働くのかとなった時、自分は今、朝ドラ制作のチャンスがあり、今は朝ドラに誠意をもって向きあうべきではないかという考えに至りました。では朝ドラで何をと考えた時、先ほどの歌詞とやなせたかしさんに興味がわいたんです」

 すぐさま書店でやなせさんの本を買いあさった。

「一番食い入るように読んだのが『ぼくは戦争は大きらい』という本でした。やなせさんの戦争体験と戦争への思いがありのまま書かれていました。今年は戦後80年。題材になりうると思いました。自伝を読むと『アンパンマン』は妻・暢さんがいないと世に生まれていなかったのではと思い、ならばやなせ夫妻の朝ドラをと思いました。その後、脚本家の中園ミホさんとお会いしたら、まさかのやなせさんと少女の頃からの知り合い。運命だと思いました。やなせ夫妻の人生の強さ、アンパンマンが生まれるまでの過程の物語の強さは世に出すべきだと強い思いを持ちました」

『あんぱん』誕生の過程を語る姿に熱い思いと並々ならないパワーを感じる。経歴を調べると、ただ者ではなかった。学生時代に世界一周の旅に出て、ラオスのある村では教育の機会の乏しさに触れ、帰国後、学生の国際協力団体を設立しラオスに小学校をつくったのだ。

「今37歳ですけど10代の時と悩んでいること、幸せに感じることは何も変わってないことに気付いたんです。僕は幸せの反対は退屈だと思っていて、一番しんどいのは退屈な時。逆に幸せな時は走っている時です。つまり『なんのために生まれて なにをして生きるのか』は学生時代から私がずっと考え続けてきたこと。立ち止まった時、壁にぶつかった時、何のためという部分はいつも自分に問いかけていました。このテーマは自分にとっても生涯、逃げられないテーマ。だからこの企画ができないと一生後悔するぞという気持ちで企画を通しました」

 世界一周の旅ではケニアで人が銃で撃たれる現場に遭遇した。命について深く考え、一生懸命に生きなければ、という思いをより強くした。

「死生観は今回の『あんぱん』でも大事なテーマ。戦争で大切な人を亡くした人も残りの時間をどう生きるかというのが大事なテーマの一つ。それを問いかけたいと思っていました。いろんな年代・立場のいろんな日常を送る方がいて、『あんぱん』に触れていただき、自分の人生、本当はどう生きたかったのかとか、残りの命をどう生きたいのかをあらためて考えていただける作品になっていたらうれしいです」

語った今後「感情をぐらんぐらんに揺さぶる作品を」

 インドでも命を深く考える場に遭遇した。

「インドでガンジス川のほとりに次々と遺体が運ばれてきて火葬される場面に遭遇し、自分と同年代の若者の遺体もありました。その光景を見ながら自分もいつか死ぬんだという思いが強烈に襲ってきたんです。それまで自分なりに精いっぱい生きてきたはずなのに、目の前の光景に自分はどう生きたいかとあらためて考えました。当時、NHK入局は決まっていたのですがドラマ制作を志したいと思い、すぐに映像を学ぼうとネットで調べてNYFA(ニューヨークフィルムアカデミー)に申し込んだ記憶があります。それほどまで残りの人生をどう生きようかを考えました」

 あらためて作品を視聴者に届けたい倉崎氏の思いを語ってもらった。

「アンパンマンのマーチ『なんのために生まれて なにをして生きるのか』が皆さんに響いてくれたらと思います。毎日がしんどい人もいるし、好調な人もいるし、いろんな世代、いろんな立場の人がいろんな毎日を送っていると思いますが、一人一人にとってこの物語が自分らしい人生、自分らしい考え方を後押しできている存在になっていたらうれしいです。作品の中に出てきたセリフ、シーン何でもいいですから5年後、10年後もお守りのように心の片隅に残ってくれたら……」

 言葉にあふれるエネルギーを感じる。今後、どんなドラマを世に誕生させたいのか。

「今回の作品にも通じますが生きる喜びを感じてもらえるようなドラマは作り続けていきたいです。ドラマに限らず、映画でも配信でも見てくださった人の感情をぐらんぐらんに揺さぶる作品を作り続けたいです。私自身、生きている中で一番うれしい瞬間は自分の感情がぐらんぐらんと動いた時。たとえば南アフリカに行った際、早朝のすごく寒くて真っ暗なサファリに太陽が昇ってきた瞬間、太陽の暖かさを人生で初めて感じたんです。自然と涙が出てきました。そんなふうに自分自身が見る景色、体温、空気に心を揺さぶられることもありますし、ドラマを作って見てくださった方の感想を聞いてすごく心を揺さぶられることもあります。そういう瞬間のために自分は生きていると思うんです。その瞬間をなるべく生きている間に多くの人と味わいたい。逆にそう思ってもらえるような作品を作りたい、届けたいと強く思います」

 映像作品への熱い思いはさらに続いた。

「リアルタイムか配信かもこだわっていません。何人の人の心に届いたか、何人の心に深く刺さったか。日本だけでなく世界中の人に見てもらいたいです」

 世界中の人の感情をぐらんぐらんに揺さぶる映像を作って生きている実感を得る。並みの人間ではない。最後にそんな超人的パワーをどうやって維持しているか聞きたくなった。

「どうしても自分には才能がないと思い、人がうらやましく見えるんです。ドラマ業界に限らず、いろんな世界で活躍する方たちに触れるたびに自分は特別な才能の持ち主ではないと分かるんです。何者でもない自分に対するコンプレックス。だから走り続けることを自分に課しています。いろんな人の活躍に触れるたびに悩むし、いろんな批判を目にするたびにへこみます。それは自分が退屈だからなのでは、と思うんです。だから自分は走り続けないといけない。それはのぶの最初の夫・次郎の“走れ、絶望に追いつかれない速さで”という言葉と重なり、すごく共感します。走っていないと自分はダメなタイプ。コンプレックスをバネに頑張っているという感じです」

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