「NiziU」のプロデューサー、J.Y.Parkは超リッチでヨン様の親友、私生活では新米パパ
顔はゴリラ似でも実際はカッコイイ
大学在学中の92年、グループ「パク・ジニョンと新世代」のメインボーカルとしてデビュー。しかし鳴かず飛ばずで、翌年、人気歌手キム・ゴンモのマネージャーにスカウトされバックダンサーに。その際、キム・ゴンモの歌の作曲を担当していた作曲家キム・ヒョンソクに出会って弟子入りし、彼の家に住み込んで熱心に作曲を学んだことが、J.Y.Parkの人生を変えた。
94年、R&B歌手として自作曲「Don’t Leave Me」でソロで再デビューすると、奇抜なファッションやセクシーなダンスなどで注目され人気を獲得した。
「実は、再デビュー前、『Don’t Leave Me』を携えて芸能事務所のオーディションを受けまくったのに、なかなかチャンスを得られなかったんです。『東方神起』らが所属する大手の『SMエンタテインメント』のオーディションでは顔を理由に不合格になったそうです。彼は自分がゴリラに似ていて“餅ゴリ”と呼ばれていることをネタにしていますが、実際の彼はなかなかカッコイイですよ。身長が180センチ以上あって引き締まった体をしていますからね」(前出の韓流に詳しい芸能ライター)
97年に独立し、現在の「JYPエンターテインメント」の前身となる芸能事務所「テホン企画」を設立。03年には米国進出し、さらに09年には“ヨン様”ことペ・ヨンジュン(48)と共同出資しドラマ制作会社を起ち上げ、11年、青少年ドラマ「ドリームハイ」などを制作した。13年には会社をたたみ別々の道へ進んだが、一緒に教会へ足を運ぶなどペ・ヨンジュンとの親しい関係は続いている。
「ペ・ヨンジュンが15年に女優のパク・スジンと結婚したときは、J.Y.Parkも出席し歌を歌っていますよ」(ペ・ヨンジュンの元ファンの女性)
ひと目ぼれで2度の結婚
“男”としてのJ.Y.Parkはロマンチストのようだ。13年10月に、9歳年下の一般女性にひとめぼれし、交際約1年で再婚。19年1月に長女、20年3月に次女が誕生した。47歳になる直前に第1子が生まれた際には、その感動を表現した歌を発表するなど喜びでいっぱいだった。
最初の結婚は99年6月。お相手はソウル女子大学衣類学科を卒業し、ソウル市内で花屋を営む同い年の女性だった。大学時代に知人の紹介で知り合いJ.Y.Parkがひとめぼれして交際に発展したが、J.Y.Parkが芸能人であることを理由にお相手の両親が交際を反対。1度は破局した。
「J.Y.Parkは失意のなか、芸能界引退を宣言して兵役についた。ところが、兵役中に彼女と再会し電撃結婚したんです。お相手はJ.Y.Parkにとって初恋の女性で、大恋愛の末の結婚でしたが、10年4月に離婚してしまいました。子どもができず、J.Y.Parkの米国進出で別居したりするうち心が離れていったようです。金銭面でなかなかまとまらず調停まで持ち込まれ、最終的にはJ.Y.Parkは慰謝料30億ウォン(約2億7000万円)と月2000万ウォン(約179万円)の生活費を支払うことで合意したそうです」(前出の韓流に詳しい芸能ライター)
大富豪は離婚にかかるお金も破格だった……。