71歳のレジェンドがIWGP世界王者と一騎打ち 無謀と覚悟も…「性分として許せない」藤波辰爾の真意
71歳の藤波辰爾が、新日本プロレスのIWGP世界ヘビー級王者ザック・セイバーJr.とシングルマッチで対戦することが決まった。ドラディション11・14後楽園ホール大会で実現する。英国でのプロレス少年時代、藤波の映像を数えきれないほど見てきた38歳のザックは、「対戦できるなんて夢にも思わなかった」と敬意を払う。一方で、藤波にとっては年齢差を考えれば無謀とも言えるマッチメークだ。古希を過ぎ、なぜ今、プロレス界の最高峰に挑むのか。レジェンドの胸中に迫った。

当初は5月に予定…西村修さんと『無我』をうたう大会やりたかった
71歳の藤波辰爾が、新日本プロレスのIWGP世界ヘビー級王者ザック・セイバーJr.とシングルマッチで対戦することが決まった。ドラディション11・14後楽園ホール大会で実現する。英国でのプロレス少年時代、藤波の映像を数えきれないほど見てきた38歳のザックは、「対戦できるなんて夢にも思わなかった」と敬意を払う。一方で、藤波にとっては年齢差を考えれば無謀とも言えるマッチメークだ。古希を過ぎ、なぜ今、プロレス界の最高峰に挑むのか。レジェンドの胸中に迫った。(取材・文=水沼一夫)
8日に京王プラザホテルで行われた記者会見。藤波戦が決定したザックは、憧れの選手へのリスペクトをあらわにした。「日本だけじゃなくて、プロレス史上最も重要なレスラーの1人」。素の感情があふれ、この時間だけ、プロレス少年に戻ったかのようだった。新日本の頂点に君臨するとはいえ、藤波との対戦はそれだけ特別なものだった。藤波は驚きつつも、ザックの気持ちを受け止めた。
「すごく高評価をしてくれて。もともと彼自身があれだけのしっかりしたものを持っているから、いろんな見方を分析できるんだろうな。期待を外さないように、自分もあと1か月、2か月、コンディションを整えていきたい。自分自身が現役でリングに上がる以上は、自分にとっての大事な部分(の試合)になるだろうしね」
実は「藤波VSザック」は5月に予定していたものだ。まな弟子の西村修さんも呼び、藤波が1995年に西村さんとともに旗揚げしたイベント『無我』を復活させるつもりだった。ザックも藤波戦が決まるや、帰国をせずに日本で備えようとするほど、楽しみにしていた。しかし、2月末に西村さんの訃報があり、藤波は“延期”を決断した。
「西村との一つの時間が経過した中で、やっぱりちょうどいい時期が来たということで企画をしたのが5月だったんですよ。彼自身も戦いが無理であれば、とにかくコーナーで立ってほしいっていうのがあったけど、それすらかなわなかった。だったら1回延ばして、ということで今大会になったんです。本来であれば、5月に何らかの形で、リングのコーナーなのか、客席なのか、とにかくそこに彼もいて、『無我』というのをうたって大会をやりたかったんですよね」
今大会には、『DRAGON EXPO 1995~無我~』というタイトルがついている。無我は、大技が飛び交うハイスパートな流れとは対極の、クラシカルなレスリングへの回帰を掲げていた。07年を最後に、藤波と西村さんは絶縁状態になり、18年にわたり疎遠になる。今年1月、藤波が試合を欠場した西村さんの代役を務めたことから、和解の兆しが見え、2人は互いにリング上での再会を希望していた。そして藤波が水面下で用意していたリングが、5月の大会だった。藤波はザックを無我のスタイルを体現できる選手と考え、闘病中の西村さんを激励するためにも、“復帰”の舞台を描いていた。
「ちょっと時間かかったけど、彼とはそういう時間があって、もう1回お互いに話ができるっていうのがあった。そういう部分では、俺の気持ちの中では、彼がどっかにいるだろうなっていう気持ちで上がります。彼も今現在、まだ元気でいれば、たぶんザックとやりたいぐらいだろうな、タイプ的にね」
1995年、藤波は西村さんの紹介で英国ランカシャー地方ウィガンのジムを訪れた。当地はかつて炭鉱の町として栄え、力自慢の労働者が時間を見つけては芝生の上で腕を競い合い、そこからランカシャーレスリング(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)を生み出した。英国出身のザックの試合を見た藤波は、英国本流のスタイルが脈々と息づいていることを確認。それがオファーにつながった。
「どの時代もいい選手がいっぱい来てるし、それぞれがみんないい試合する。でも、僕はどうしてもひいきじゃなくて、『あの選手は1回うちの無我のリングにあげてみたいな』っていうのはあるんですよね。彼はそういう中でトップに挙がる、うってつけの選手だった。彼が後藤(洋央紀)からIWGPのベルト取った時なんか、あの試合なんか見たら、本当にお客さんはプロレスの面白さを再発見したんじゃないかな。僕らが昔、ビル・ロビンソンを初めて見た時に、芸術的なプロレスの面白さを見たのと同じようにね」
最前線に君臨するザックとのシングル「無謀なカードかもしれない」
ザックは16歳の時、英国でデビューし、22年のキャリアを持つ。英国レスリングの継承者で、無我のカラーにぴったりの選手だった。日英の“匠”による技術の応酬は、必ずしや見るものをうならせることだろう。一方で、ザックの腰に巻いたベルトを狙い、新日本ではあまたのチャレンジャーが昼夜しのぎを削る現実がある。スピードやキレ、体力ではどうしてもザックに分がある。このことを藤波はどう捉えているのか。
「全然あるでしょう。今の俺にとっても無謀なカードかもしれません。でも、それぐらいのカード、無謀ぐらいのカードにしてみないと、どうしても性分としてね、自分がレスラー、現役としてリングに上がってる性分として許せないんですよ。ただお茶濁すじゃないんだけど、やっぱり昔の名前で出てますは通じない。リングに上がる以上は、同じ今の世代の選手と渡りあってみたいなって。今回そういう自分のわがままを聞いてくれた」
状況は圧倒的不利でも、レジェンドの気骨は揺らぐこともない。相手が強大であればあるほど、かえって闘志が燃え上がる。それが70を超えてもなお、メインイベンターであり続ける藤波の原動力だ。
「自分がどういう形でスタート切っていくのか。手取り足取りにいくのか、ロックアップから入っていくのか、これは分かりません。逆に、彼もスタートの時はたぶんそういう教えられ方をしてるだろうからね。本当に10年周期で、自分の体の変化っていうのはある。でも、気持ちはとにかく自分のベストな時期を常に想定している。それを自分の中で思い出しながら。要するに、カール・ゴッチは『とにかくコンディションさえ、自分である程度整えておけば、自ずとそういうのは自然と出てくる』とよく話していた。やっぱりこれをやろう、あれをやろうと思ってやるんじゃダメだと。その前に、自分のコンディションが大事だよって。今回は特に、カール・ゴッチの言葉を思い出しながらやっています」
近年、藤波は、ザック以外にも棚橋弘至や高橋ヒロムら新日勢のトップクラスと立て続けにシングルマッチを闘っている。70を超えるまで現役を続けるプロレスラーが数えるほどしかいない中で、経験に裏打ちされた調整法とトレーニングの継続は目を見張るものがある。その根底には師であるゴッチの教えがあった。
「やっぱり無意識でいろんなことが出てこないと。自分がさあこれから、次にこういう技持っていこうとしても、相手の場合はまだ若いわけだし、現役の第一線だし、そういうのは俺よりも先にもっともっと1歩先を行くでしょうからね」
来年のデビュー55周年に向け「自分で大きな冒険というか、試練を与えようかな」と語った藤波。西村さんも見守るリングで、何を見せるのか。奥深いプロレスの魅力が味わえる一戦となりそうだ。
