丘みどり、女性初の国技館公演を完走「ここで歌えるような人生になるとは」…花魁姿も披露

演歌歌手の丘みどりが6日、東京・両国国技館でデビュー20周年特別公演「花道」を開催した。相撲の殿堂の国技館で、女性演歌歌手がコンサートを行うのは史上初。デビュー直後に最愛の母を失うなど、曲折もあったが、大きく成長した丘が45曲を歌い上げた。歴史的な特別公演を完走した。

ドレス姿で歌う丘みどり
ドレス姿で歌う丘みどり

デビュー20周年特別公演「花道」を開催

 演歌歌手の丘みどりが6日、東京・両国国技館でデビュー20周年特別公演「花道」を開催した。相撲の殿堂の国技館で、女性演歌歌手がコンサートを行うのは史上初。デビュー直後に最愛の母を失うなど、曲折もあったが、大きく成長した丘が45曲を歌い上げた。歴史的な特別公演を完走した。(取材・文=笹森文彦)

 国技館は、116年前の1909年に初めて建設された。現在の国技館は85年に建てられ、両国国技館の呼称で親しまれている。コンサートは、甲斐バンドがこけら落とし公演を行った他、ポール・マッカートニーやさだまさしらが公演を開催している。

 その国技館116年、現在の両国国技館40年の歴史で、女性演歌歌手がコンサートを行うのは史上初だ。

 公演前、丘は「ここで歌えるような人生になるとは、想像もできませんでした。何でも1番はありがたいことです」と話した。

 メインステージから花道ができ、土俵の位置に特設ステージが設けられた。

 升席には2人が座れるようにし、約4000人が詰めかけた。その大観衆を前に、丘は米歌手レディー・ガガが着た花魁(おいらん)の着物姿で登場。花道を渡って、特設ステージに立つと、喝采が起きた。

 開演直後から『佐渡の夕笛』『紙の鶴』『鳰の湖(におのうみ)』を連続で歌った。『NHK紅白歌合戦』に3年連続で出場した際の歌唱曲だ。

『三味線ブギウギ』などのお座敷唄、『おてもやん』『ちゃっきり節」などの民謡。ドレス姿に変身しての歌謡曲カバーのコーナーでは、『六本木心中』『DESIRE』など、激しい踊りで披露した。

 丘の代名詞が「演魅(えんび)」。妖艶で魅力的な世界観を、歌で演じて魅せるコンサートシリーズのタイトルだ。この日も『千年の古都』『北の蛍』などを優雅に華麗に歌い上げ、観客を魅了した。

 人見知りで、5歳の時に母の勧めで民謡教室に通い始めた。メキメキと頭角を現し、11歳で初めて出場したふるさとの兵庫県日本民謡祭名人戦で『シャンシャン馬道中唄』(宮城県民謡)を歌い、当時の最年少で優勝した。演歌歌手になるが夢になった。

 高校卒業時、芸能事務所のオーディションを受けた。それはアイドルのオーディションだったが、「ステップを踏めば演歌歌手への道は開ける」と川に飛び込んだり、犬に追われたりする仕事にも体を張って向き合った。

 それでも、「私は何をしたいの?」と自問自答し、入った事務所を辞めて、音楽の専門学校に通った。そして、20歳の時に大阪を拠点に演歌歌手としてデビューを果たしたが、ヒットはしなかった。

花魁(おいらん)姿で登場する丘みどり
花魁(おいらん)姿で登場する丘みどり

心の支えは母が残した言葉

 翌06年には、自分を歌の道に導いてくれた最愛の母を大腸がんで失った。47歳の若さだった。その母が病床で丘に言った言葉がある。

「ママは幸せだったよ。でも、後悔もたくさんある。ママの分までしたいことをいっぱいしてほしい。やらずに後悔するより、やって後悔のない生き方をしてほしい」

 丘はその言葉を心の支えに歌ってきた。約10年前に心機一転上京して、キャンペーンなど地道な努力を続けられたのも、「後悔のない生き方をしてほしい」という母の言葉があったからだ。

 そんな思いも胸に、丘は記念曲『夜香蘭(ひやしんす)』『千年の花』なども歌い上げ、両国国技館での女性演歌歌手として初の特別公演を完走した。そして、「これからも歌い続けます」と宣言。丘が、一回りも二回りの大きく見えた。

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