お笑い芸人→教師→起業家の異色人生 向き合った娘の不登校、悩んでばかりの妻にかけた驚きのひと言とは

お笑い芸人から教師の道に進み、40歳で正規教員を辞めて独立。教育事業で活躍の場を広げる起業家がいる。「株式会社ドラゴン教育革命」(東京)の代表取締役を務める坂田聖一郎さんだ。コーチング(相手の自己成長を支援するコミュニケーション技術)の専門家で心理学にも詳しく、社会人塾を運営し、子育てママや教員たちの悩み解消をサポートしている。一方で、現在中学1年生の娘が小学校時代に不登校を経験。個性を大事にする姿勢で娘と向き合っている。相次ぐ教師の不祥事で学校と保護者の間の信頼関係が揺らぐ今、何が大事になってくるのか。47歳の異色の“先生”に、教育界へのメッセージを聞いた。

お笑い芸人から教師転身を経験した起業家の坂田聖一郎さん【写真:株式会社ドラゴン教育革命提供】
お笑い芸人から教師転身を経験した起業家の坂田聖一郎さん【写真:株式会社ドラゴン教育革命提供】

お笑いコンビ『しずる』純と当時コンビを組んでいた

 お笑い芸人から教師の道に進み、40歳で正規教員を辞めて独立。教育事業で活躍の場を広げる起業家がいる。「株式会社ドラゴン教育革命」(東京)の代表取締役を務める坂田聖一郎さんだ。コーチング(相手の自己成長を支援するコミュニケーション技術)の専門家で心理学にも詳しく、社会人塾を運営し、子育てママや教員たちの悩み解消をサポートしている。一方で、現在中学1年生の娘が小学校時代に不登校を経験。個性を大事にする姿勢で娘と向き合っている。相次ぐ教師の不祥事で学校と保護者の間の信頼関係が揺らぐ今、何が大事になってくるのか。47歳の異色の“先生”に、教育界へのメッセージを聞いた。(取材・文=吉原知也)

 愛知・豊田市出身。幼少期からお笑いが大好きで、テレビに夢中になってダウンタウンに憧れた。「人気者になりたかったのですが、僕自身は面白くはなかったので、どうしたらいいのかなと考えました。浜田雅功さんをまねて、クラスや部活でツッコミを始めたのがきっかけです」。愛知教育大に入学後もお笑いに傾倒。「大学だけは出てくれという親の願いもあって卒業、教員免許を取得しました。でも、当時一緒にやっていた相方とコンビを解消して、その後2年近くはふらふらフリーターみたいになっていました」。

 いつまでもこのままではいられないと、勝負に出た。吉本興業の養成所・東京NSCに通うため、上京。本気でお笑いに打ち込んだ。ハリセンボンやライスが同期。お笑いコンビ・しずるの(村上)純と当時コンビを組んでいた。「でも、結局半年ぐらいでフラれちゃいました(笑)。心が折れてしまい、ドロップアウトする形で、26歳で地元に戻りました」。大きな挫折を味わった。

 バイトに明け暮れ、「何のために生きてるんだろう」と自問自答した。「その時に浮かんできたのが、大学時代の教育実習の思い出。小学校に1か月、中学校に2週間行ったのですが、全然涙もろくない自分が、最終日に号泣したんです。なんであの時あんなに泣けたんだろう。その理由がよく分からなかったのですが、子どもたちのことは大好きでした。そこで、『先生をやろう』と決意しました」。大学時代の恩師に相談。愛知教育大大学院に進み、教員採用試験に合格し、29歳で小学校教員になった。

 中学校に異動し、40歳まで正規教員を続けた。「すごく楽しかったです。職員・同僚間で仲良く、生徒たちともそれなりにうまくやっていました。教師の仕事に不満があったわけではないのですが、やはり労働時間に対して残業代がない。そこはモヤモヤしていました」。

 40歳になった年に、初めて受け持つ中学3年生の学年主任と進路指導主事と、途中から入院した先生の代替で担任まで務めた。「残業は月平均200時間を超えていました。先生の犠牲の上に成り立っている学校教育はなんなんだろう。強く疑問に感じました」。思い悩んだ末に、2019年春に教職を退いた。

 退職後は常勤講師を1年間勤めた。起業して速読スクールを開校するも約2年で廃業。社会人向けのコーチング塾は成長を示して、メイン事業に。YouTube番組に出演するなど精力的に活動している。

 一方で、子育てで課題に直面した。娘の不登校だ。「小学校4年の頃から登校渋りが見られて、5年生の夏休みが明けから完全不登校になりました」。家に閉じこもってしまった。

 悲観的にならず、冷静に受け止めた。「もともと僕がお母さんたちや先生方にコーチングで伝えていることがあります。『プラスにもマイナスにも等しく価値がある』ということです。不登校で言うと、学校に行かないことの価値にも目を向けていこうという考え方です。これは、不登校の子どもたちとよく触れ合っていた教員時代の経験からきています。じゃあその子たちはかわいそうでダメな存在なのか。僕は決してそうは思わないです。娘のことも『そうなんだ』と、ありのままに接しました」。娘を責めることなく、「何かあったら、お父さんに声をかけてね」と、温かい目で見守り続けたという。

 むしろ、親である自分たちを見つめ直した。学校に行かずに家で過ごす娘に、坂田さんの妻は動揺し、イライラを募らせることもあった。「悩んでばかりの妻からコーチングの相談を受けて、妻と向き合いました。僕は『暇なんだね』と妻に言いました。切り取られるとひどい言葉に思えてしまいますが、『自分の人生を生きていないんだね』という意味で伝えました。頭の中が娘のことばかりで自分の機嫌がアップダウンしていたので、自分の人生に集中できるようにしようと。心配する気持ちは当然ですが、妻は『娘が、娘が』と、他人のことを基準・軸にしてしまう考え方になっていました。生き方の主語を自分に持っていくように、妻に『本当は自分は何がしたいの』と問いました。妻は料理が好きで、パンが好きだ、と。じゃあお店をやろうって」。ビジネスに挑戦しようと夫婦で準備を進め、名古屋で米粉ドーナツ専門店をオープンするに至った。

坂田聖一郎さんはコーチングの専門家だ【写真:株式会社ドラゴン教育革命提供】
坂田聖一郎さんはコーチングの専門家だ【写真:株式会社ドラゴン教育革命提供】

「子どもたちには健やかに成長してほしい」

 開店は昨年10月1日。母親が前を向いて歩み始めると、娘に大きな変化が見られるようになった。「ちょうどその頃、娘が『そろそろ学校行きたいな』と思い始めたようです。小6の後半でちょっと行きづらい面があるとのことで、中学校に進学するタイミングで、学校に行こうと」。今年の春から娘の不登校は解消。家族の絆もより深まった。

「中学生になった娘は新しい環境で『クラスが楽しい、友達が楽しい』と言っています。この夏休みは定期テストの勉強を一生懸命にやっていました。娘を見ていると、コミュニケーション能力が、元芸人の僕から見ても抜群なんです。大人と会話ができる、人前で僕をいじって、場を回せるんです。実際に娘が小6の不登校の時に、私とコラボの講演会を実施したこともあります。また、娘が参加したがるので、僕の講演会の懇親の場に連れて行くなど、大人と話す機会を提供しています」

 子どもの個性を伸ばしてあげることも重視しているという。

 子どもの不登校への親としての対応。ハンドリングは難しい。だが、親がパニックになり、状況を悪化させてしまうことは避けたい。「まず、落ち着きましょうということです。お子さんが不登校になると自分を責めるお母さんが多いです。『自分の育て方が悪かった』『あの時の一言がよくなかったんじゃないか』と自己嫌悪に陥ってしまいます。もしくは、逆に『クラスが悪い』『担任が悪い』と恨みを募らせてしまう。自責にするか、他責にするか。自分や他人を傷つけてしまうその考え自体がよくないことです。もちろん、お子さんのせいでもありません。まずは握りしめている人を傷つけるナイフを置きましょう。そう伝えたいです。原因究明の観点も大事ですが、何かを必要以上に責め立てる必要はないと、僕は思っています。冷静になること。それに、お医者さんや心理カウンセラー、僕らのようなコーチング従事者など、外部の専門家に相談してみることも一手です」。優しくアドバイスを送る。

 今年6月、教員グループによる児童生徒の盗撮事件が明るみになり、世間を震撼(しんかん)させた。性犯罪事件が相次ぎ、学校と保護者の溝が広がっている。「言語道断で、あってはならないことです。娘を持つ親としても、世間の怒りをよく理解できます。『学校は変な先生ばかりで、教師というものは信用できない』という論調がありますが、僕は本当にそうなのかな? と思っています。残念ながら中にはそういう人間もいますが、ほんのごく一部です。ほとんどの先生は真面目に全力で頑張っています。子どもたちには健やかに成長してほしい。それは保護者の皆さんだけでなく、先生たちも心からそう願っています。教育は信じることで成り立つと考えています。先生は子どもたちの可能性を信じる。保護者や子どもたちは先生の力量、学校のことを信じる。これしかないかなと思っています。教員の多忙の問題など、解決するべき課題は多くあります。学校教育を今一度、みんなで考えていければと思います」と語りかけた。

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