「大学生活はヤンキー漫画」中央大法学部→大手商社→RIZINデビュー…“新星”芳賀ビラル海とは何者か

中央大法学部卒、日本拳法国内準V、大企業に採用。勝ち組として歩めた生活を捨ててまで追いかけたのはプロ格闘家の夢だった。現GRACHANライト級王者・芳賀ビラル海(28=MASTERJAPAN TOKYO)は「RIZIN.51」(9月28日、愛知・IGアリーナ)でRIZINデビューを飾る。大舞台を前にこれまでの歩みについて聞いた。

RIZINデビューが決まった芳賀ビラル海【写真:ENCOUNT編集部】
RIZINデビューが決まった芳賀ビラル海【写真:ENCOUNT編集部】

陸上に励んだ幼少期。偶然の出会いで日本拳法に転向

 中央大法学部卒、日本拳法国内準V、大企業に採用。勝ち組として歩めた生活を捨ててまで追いかけたのはプロ格闘家の夢だった。現GRACHANライト級王者・芳賀ビラル海(28=MASTERJAPAN TOKYO)は「RIZIN.51」(9月28日、愛知・IGアリーナ)でRIZINデビューを飾る。大舞台を前にこれまでの歩みについて聞いた。(取材・文=浜村祐仁)

「誰やねん」。8月上旬に生配信された会見のコメント欄には、ビラルに対して無頓着な言葉が飛んだ。「よくいじられるんですよ。水道橋とかを自転車で行き来していると、あれ○○じゃね? みたいにその時流行りの黒人の名前で呼ばれて。いや聞こえてるんだけど、日本語喋れるんだけどみたいな(笑)」。インスタグラムのフォロワーは約1200人。プロMMA選手としてはまだ無名の存在だ。

 ガーナ人の父と日本人の母を持ち、日本格闘技界のスターである朝倉未来・海兄弟と同じ愛知県の豊橋市で生まれ育った。「両親は離婚しているんですけど、(ガーナは)一夫多妻制なのでアフリカに異母兄弟が7人くらいいるんです」と明かす。当時は、生きづらさを感じることもあった。

「やっぱりハーフだし、周りは日本人ばっかりなんで仲間外れにされることはありました。でもコミュニケーションを取ることが好きなんで、最終的に仲良くなってみたいな。自分の意見を主張できる子どもでしたね」

 幼少期から身体能力に恵まれていた。「周りの人からも言われることは多かったですね。でも自覚はなくて、それなりにという感じでした」。最初に始めたスポーツは陸上だった。4歳で市のクラブに入ると、中学、高校も陸上部に入部。「真剣に(陸上に)向き合っていました。練習は人よりも積んでいた覚えがあります」と語る。格闘技とは無縁な日々を過ごしていた。しかし、偶然の出会いがビラルの人生を変えた。「高校の担任が日本拳法部の顧問だったんです。全国大会で優勝経験のある先生でした。そんな人に教えてもらえたら、自分の才能が開花するかもしれない、近道だなと思いました」。直感で陸上を辞め、日本拳法部に入部することを決めた。

 日本拳法は、防具を着用した状態で打撃、寝技、関節技を繰り出す日本版の総合格闘技とも言われる。RIZINフェザー級で活躍する木村柊也や、DEEPウェルター級王者の角野晃平などMMAにも日拳をバックボーンにもつ現役選手は数多く存在する。

「(初めた当初は)頑張って力で耐えようとしましたけど、バチバチにしばかれました」と難しさを語ったが、適応は早かった。「高校から投げ技が解禁になるんですよね。他の人のやってないことを極めたら、勝ち切れると思って投げ技をかなり練習しました。それが自分のフィジカルとも上手く噛み合ったんです」。長所を見つけ、すぐに大会でも知られる存在となった。全国大会でも上位まで勝ち進み、日拳の名門である中央大の推薦を勝ち取った。しかし、待っていたのは想像を絶する大学生活だった。

異色の経歴を歩んできた【写真:(C)GRACHAN】
異色の経歴を歩んできた【写真:(C)GRACHAN】

中央大法学部在籍も「ヤンキー漫画のような生活」

「あんなヤンキー漫画みたいな大学生活を送ったら、何でも乗り越えられそうな気はしますね」

 苦笑しながら、4年間を過ごした日本拳法部での日々を語った。「もう(当時は)荒れ狂っていましたね。“自由稽古”っていう先輩が後輩を自由にできる伝統といいますか稽古もあって、インタビューには書けないような今では考えられないことが日常茶飯事でしたね」。卒業前にこの伝統は廃止されたというが、理不尽な上下関係が存在していた。しかし、そんな環境がビラルを強くした。在学中には全日本体重別選手権中量級で準優勝。総合選手権でもベスト4まで勝ち進んだ。「そこまで頭良くないので」と謙遜するが名門の法学部にも在籍し、人生の礎を作り上げた。

 卒業後は、大手鉄鋼商社のJFE商事に採用された。原料の仕入れやメーカーへの販売業務を行うサラリーマンとしての日々を送りながら、中央大のOBで構成される白門拳法会で競技を続ける道を選んだ。19年にはついに全日本総合選手権の決勝戦に進出。しかし、頂点が見えたなか立ちはだかったのが、当時明治大学に在籍していた木村柊也だった。「仕事が忙しくてほとんど練習できてなくて、そんな中で明大に練習に行ったんですよ。そこで木村っていう強いやつがいるって聞いて、手合わしてもらえよって言われて(一緒に)練習して。その相手と(決勝で)当たってしまった。手の内ばらしちゃったなみたいな(苦笑)。でも彼は本当に上手かったし強かったですね」。延長戦にまでもつれた激戦に惜敗し、日本一を逃した。

 充実していたかにみえる会社員と日拳の二刀流生活。しかし、ビラルにとっては消化不良だった。「格闘技に向き合える時間がどんどん減っていて。もともと働きながらプロになることを目標にしていたんですけど、それが不可能になった。自分のライフスタイル的にも企業でサラリーマンとして働くのってあんまり合ってなくて、会社辞めて格闘技一本でやろうって思ったんです」。安定した生活を捨てる決意を固めMMAに転向。プロ格闘家として生計を立てる道を選んだ。しかし、プロの世界は厳しかった。

 22年2月のプロデビュー戦に判定で敗戦すると、その後はPANCRASEを主戦場に移したが敗戦を重ねた。「アマチュアでは全勝してKO率もかなり高かった。なんで、おかしいなって。これまでやってきたことも何故か通用しないし、いつもの自分と違うなって感じていた」と当時の苦悩を口にした。「(当初は)ボーナスって何みたいな感じで。ほんとに貧困生活すぎてガスが止まったりとかもありましたね」。貯金を切り崩しながらのギリギリの生活が続いた。

5月に初のベルトを獲得した【写真:(C)GRACHAN】
5月に初のベルトを獲得した【写真:(C)GRACHAN】

父の訃報後に掴んだベルト「格闘技で燃え尽きたい」

 苦しい日々の支えになったのが周囲のサポートだった。「UNITED GYM TOKYOの中村K太郎先生にトレーナーとして雇ってもらったりとか。いま所属しているジムのフィットネスショップでスタッフとして働かせてもらったりして、生計を立てられるようになりました」と感謝を口にする。

「負けながらもどこが駄目なのか細かく分析して、一戦一戦改善を重ねていきました」と気持ちは折れなかった。その後はGRACHANに主戦場を移し、23年5月にデビュー5戦目でプロ初勝利。今年3月にはRIZIN参戦経験もあるロクク・ダリを完封し、破竹の5連勝を飾った。

「(成長したのは)特にメンタル面ですね。練習の勝ち負けを気にせず、自分が持ち込んだ課題に対してどれだけ成果が上げられたかに注目したりとか。あとは、何も考えないシングルタスクの時間を増やして心を整えるようにしていました。フィジカルも強化して、テクニックも色々な練習場所に行って、人の話を聞いて細かく練習して。本当に全てが変わったと言っても過言ではないですね」

 5月には当時の王者・林RICE陽太とのタイトルマッチが組まれ、ついにベルトへの挑戦権を手に入れた。しかし、決戦の一週間前に想像もしていなかった知らせが届く。遠くアフリカに住む実父の訃報だった。「父と過ごした時間はあまり長くはなかった。当時の経済状況的にも、大事な試合前に(現地に)行けるわけでもない。勝つことで父を弔いたいと思った」。悲しみを抑え、試合に集中した。結果は3-0での判定勝利。「いろんな思いが重なったので、僕にとって、そうですね。貴重だなって今でも思いますね」。机に大きく広げたベルトを大事そうに見つめて回想していた。

 地元開催のRIZINの舞台。対戦相手はプロキャリア42戦を誇り、タイトルマッチも経験したベテランの矢地祐介だ。「かなりキャリアのある選手と思いました。でも、ネームバリューのある選手と戦うことは、リスクがあるのと同時にリターンが大きい。自分の戦い方的に、矢地選手と噛み合うとも思いますし、勝ってる部分もあると思います」。会見でも一歩も引く様子は見せなかった。

「いま死んでもいいなみたいな試合ができたらいいというか。格闘技で燃え尽きるような人生を送りたいんです」。リングでの孤独な闘いに全てを捧げる覚悟を決めている。もう後戻りはできない。あとは己の力でそれが正解であることを証明するだけだ。

次のページへ (2/2) 【動画】RIZIN“新星”木村柊也と対戦する芳賀ビラル海
1 2
あなたの“気になる”を教えてください