走行距離67万km、修理費1500万円以上…それでも走り続ける理由とは 東名高速で「死を覚悟」した過去
「67万キロも走れるんだぞ。愛さえかければ」──。X(@L150s_kai)にそう投稿したのは、在宅で認定心理士(心理カウンセラー)として活動する35歳の下川眞敬(まさたか)さん。2006年に納車された愛車「ダイハツ・ムーヴ カスタムX(L150系)」を乗り続け、現在の走行距離は驚異の67万キロを突破した。これまでの整備、修理費用は累計1500万円を超えるという。なぜここまで走り続けることができるのか、その理由と背景を聞いた。

現在の1日の走行距離は70~150キロ
「67万キロも走れるんだぞ。愛さえかければ」──。X(@L150s_kai)にそう投稿したのは、在宅で認定心理士(心理カウンセラー)として活動する35歳の下川眞敬(まさたか)さん。2006年に納車された愛車「ダイハツ・ムーヴ カスタムX(L150系)」を乗り続け、現在の走行距離は驚異の67万キロを突破した。これまでの整備、修理費用は累計1500万円を超えるという。なぜここまで走り続けることができるのか、その理由と背景を聞いた。
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下川さんがこの車に出合ったのは16歳の頃。母親が前期型ムーヴからの乗り換えを検討していた際、「私が運転するから選ばせて欲しい」と父に願い出て、こだわり抜いて選んだのが後期型ムーヴカスタムX(オプションカラーのミスティックレッドクリスタルメタリック)で、価格は約180万円だった。
2006年4月1日に新車が納車されると、免許を取るまでは母が慣らしをしてくれた。高校卒業と共に免許取得後、大学通学や家族の送迎、遠距離恋愛中の彼女の家へのドライブなどで活躍し、当時は1日の走行距離が200~300キロ、多いときには500キロを超えることもあった。現在もほぼ毎日運転を続けており、1日あたりの走行距離は70~150キロにのぼる。
「最初の車でしたので大切にしようとしていました。18歳で4か月だけ2台持ちになったのでムーヴは母に渡そうか悩みました。12月になって大事故を起こしてしまい、またムーヴに戻ってきました。19歳になって間もないときでした」
長年の相棒との間には数え切れないトラブルもあった。特に印象に残っているエピソードを聞くと、キリがないようだ。
・夜の東名高速を走行中にオルタネーター(発電機)が故障し、「死を覚悟」しながら母の勤める病院駐車場までたどり着いたこと
・家族と恋人との旅行帰り、2台体制で走っていた帰路、高速道路でスロットルがフルスロットルで固着し、途中途中でエンジンを止めながら固着を防ぎつつ、彼女の家まで持っていき修理予約したこと。父親がいなかったら大変なことになっていた
・信号待ちで走行モード(Dレンジ)に入れた瞬間、ドライブシャフトが粉砕するトラブルも2回経験
・7~9万キロ時点でクラッチの役割を果たす部品・トルクコンバーターが故障し、廃車かリビルト(再生)かの選択を迫られたとき、父の「ここまで凝って買ったんだから直そう」という言葉に背中を押され廃車になるまで乗る決意を固めたこと
37万キロに達した頃にはエンジンの圧縮が抜け、廃車かエンジン交換の選択を迫られた。
「結果、今のエンジンに載せ替え、使えるパーツはなんとか流用しました。なぜか私以外の車もウォーターハンマーやらでエンジン交換待ちだったのが印象に残っています。この当時は父親の親族が工場長でしたので行きつけにしていました」
これまでの修理・整備費用は「ムーヴ5~6台分」──ざっと1500万円以上にのぼるという。それでも廃車にはせず、使えるパーツを流用しながら維持する姿勢を貫いた。
下川さんは「車によっては逆効果になるものもあるので……自己責任で」と前置きしながらも、経験をもとにした維持のコツを紹介する。
・オイル交換は3000~5000キロごとに。色や減り具合も確認
・スロットルやピストン内部をクリーナーで洗浄
・プラグや点火系、エアクリーナーはこまめに点検・交換
・コンディションに応じて添加剤を使い分ける
・たまにハイオクを入れて燃焼室をきれいに
・クーラントやラジエターバルブは夏と冬で調整
・エアコンガスは半年ごとにチェック、エアフィルターも5000~10000キロ毎に交換
・最低限、電動空気入れと油圧ジャッキに工具箱にブースターケーブル、脱出用具、あれば救急セットに防災セットは持っておく
・タイヤのローテーション、空気圧はこまめに。片減りを見つけたらアライメントを見てもらうこと
・少しでも不具合を見つけたら早めに修理に出す
「年老いた車ほどお金がかかるのは当然」と語るが、その言葉には深い愛情がにじむ。
最後に「ここまで維持できているのは愛と金とおやじとお袋、工場のおかげですね。私だけの力だけではさすがに……」と語った下川さん。
67万キロを超えてなお走り続けるムーヴは、単なる移動手段ではなく、家族や人生の思い出を積み重ねてきた“相棒”そのものだった。
