極悪女王・ダンプ松本が振り返る「今だったら必ず捕まってる。『極悪』を作った後は毎日ボコボコでしたから」

21日まで東京・新宿にある京王百貨店で開催中の「INOKI EXPO」では、所狭しとアントニオ猪木関連の展示物やグッズが並べられ、連日さまざまな催しが実施されている。そのなかでひと際、興味の引く催しが実施された。

ダンプ松本(左)とのトークイベントでブル中野はA猪木から贈られた「道」の詩を披露した
ダンプ松本(左)とのトークイベントでブル中野はA猪木から贈られた「道」の詩を披露した

A猪木とダンプ松本の接点は一度だけ

 21日まで東京・新宿にある京王百貨店で開催中の「INOKI EXPO」では、所狭しとアントニオ猪木関連の展示物やグッズが並べられ、連日さまざまな催しが実施されている。そのなかでひと際、興味の引く催しが実施された。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

 今回の「INOKI EXPO」で最も意外性のあるゲストが登場したのが、17日に行われたダンプ松本とブル中野による「極悪同盟」のトークイベントだった。

 確かにブルは、そもそもA猪木に影響を受けてプロレスラーを目指したことを公にしており、1995年4月には、北朝鮮で開催された「平和の祭典」にも参加しているため、接点がないわけではない。また、実物は今回初めて確認したが、ブルが引退後に米国でプロゴルファーに挑戦した際、A猪木から「道」の詩を贈られ、挑戦を後押しされていたことも聞いたことがあった。

 しかしダンプ松本とA猪木となるとどんな接点があったのか。率直にそこに興味が湧く。

 昨年はNetflixで『極悪女王』が配信されると同時に、再び爆発的な人気を博したダンプだが、A猪木との接点に関して触れると、「1回だけ、ダンプ松本になり初めの頃かな。後楽園ホールで(新日本が)試合をやっていて、(ダンプの後輩の)立野記代が藤波(辰巳/現・辰爾)さんが好きで、『会いに行きたい』って観に行った時に、猪木さんがちょっと来てごあいさつしたくらい」と明かした。

 接点という接点はそこだけらしいが、その理由が「自分たちの頃は、男子プロレスを観に行ってはいけないって言われていたから」だという。

 また、ダンプは『極悪女王』の影響に関して、「若い子に声をかけられるようになったのと、試合会場にも高校生とかが来てくれるようになった」と話し、それによる収入の増加に関しては「いくらもらってどうとかは全然知らないんですよ。増えていればいいッスねえ」と述べつつ、ダンプ役を演じたゆりやんレトリィバァについて、「頑張りましたねえ。背中から見るところなんか、もう自分かなって思っちゃうくらい頑張ってたよ。大変だったと思う。30キロか40キロ体重を落としたのに、オーディションでダンプの役に合格したから、それから一気に食べながら練習しながらだったからツラかったと思う」と続けた。

 一方、ブルは「(ブル中野の登場場面は)ちょっとしか出てこないのでお金はいただけませんでしたけど、それよりも去年、WWEの殿堂(入り)をいただいたので、今ドルが高いので、アメリカでの仕事がいっぱい入って、やったぞって感じですね」と笑った。

まだまだ血気盛んな極悪女王・ダンプ松本
まだまだ血気盛んな極悪女王・ダンプ松本

「『極悪』の厳しさを見せるためにリングの上でさらされました」(ブル中野)

 時折、「極悪女王」では、当時両者が所属した“全女”の闇の部分が描かれているといわれる。

 これに関してブルは「でもキレイなところしか入ってないですね。あれでは全然、イジメのうちにも入っていないので。ホントはもっとすごいんですけど、たぶん演じきれないと思います」と語ると、続けてダンプが「自分と長与千種はいじめられていたんでね。いじめられやすいタイプといじめられにくいタイプがあって。(同期の)大森(ゆかり)と(ライオネス)飛鳥は全然いじめられないで、ダンプ、クレーン・ユウ、千種はよくいじめられていたね。文句を言いやすいのかもしれなくって」「大森と飛鳥はズル賢いから、同じことをやっていても『私はやってません』っていう優等生だったからね、二人ね」と口にした。

 しかし、結局は大どんでん返しで、ダンプと千種の人気が上がって行ったのだから世の中は何が起こるか分からない。

 当時のダンプは「怒ることがプロレスなので、(日常的に)殴る蹴るで教えていた」という。

「今だったら必ず捕まってるよ。死刑になるぐらい、『極悪』を作った後は(ブルらを)ボコボコでしたから。(最近も)お相撲さんが、(カラオケの)曲を入れる四角いヤツ(リモコン)で殴ったとか。あんなの毎日だよね」と話すと、これに関しては傍にいたブルが「それは、ホントに(私たちが)仕事ができないと、なんですよ。だけど、まれに(ダンプの)機嫌が悪い時はちょっと多く殴ったんじゃないかなっていうのがありましたけど」と笑った。

 聞いていて思うのは、やられたブルでさえ、いい思い出に昇華されていること。それだけ両者に強い結びつきがあったからこその今なのだということが伝わってくる。

「『極悪同盟』は連帯責任なんですよ。一人誰かがミスをしたら、全員怒っていただけるんです」「そのおかげで絆ができるんですよね。ミスしないでよーって、みんなでかばい合うんです。(誰かがミスをしても)すっと助ける」(ブル)

 そうやってブルが「極悪同盟」の状況を話すと、ダンプが「自分だって(極悪同盟の後にブルがつくった)獄門党で(下の者に)同じことしてるから」と語り、当時は、あえて「お客の前で殴っていた」と口にした。その理由を「そのほうが恥ずかしい思いをするからって。意地悪だよねえ」と明かす。

「控室に帰って殴る時もあるんですよ。だけども、これ、もったいないぞと。どうせだったらリングの上で、お客さんが見ている前でホントに殴って叱(しか)って見せる方が、『極悪』は厳しいんだぞって見せるためにリングの上でさらされましたね」(ブル)

「一日も長くプロレスができたら」(ダンプ松本)

 それでもブルが「それが一番困るのは、自分の地元に時はその時だけはやめてほしい。家族とか同級生とか観に来ているので」と話すと、「あんまり誰の地元とか気にしてないから、いつもと同じようにやっちゃうから」「毎日試合だから、どこだかわからないんだよね」とその理由を話した。

 過去には、家族が一番前で見に来ているにも拘らず、「救急車で運ばれるくらいボコボコにしてしまった」選手がいた、というから徹底している。

 当時は巡業を含め、年間300試合という過酷さで、ダンプが「1日に2試合の時もあったよね」と話すと、「ありました。2試合だと2試合分出るかなと思ったら、1.5試合分なんですよね(苦笑)。あれはどういう計算なのかなと思っていました」と振り返った。

 イベントは終盤に差し掛かり、観覧者からの質問を受け付ける件になると、『極悪女王』を見たとおぼしき小学生くらいの少女が「昔、ダンプさんは千種と友だちだったんですか?」と質問した。

 これに対し、ダンプは「昔は友だちじゃないよ。今は友だちだけど。(当時は)仲が悪かったの。うーんと仲が悪かった。死んじゃえばいいのにって。今は仲良し。昔は仲良しじゃないの」「クラッシュも昔は二人、千種と飛鳥は仲が悪かったけど、今は仲良し。大人になるとねえ、仲良しになるの、みんな。いつ死んじゃうかわからないから」と答え、「友だちとは仲良くするんだよ。ホントの気持ちを言い合える友だちになりなさいね。意地悪な友だちはダメ。意地悪な友だちを意地悪しないようにしてあげなさい」と告げると、「はい!」と元気な声が返ってきた。

 ダンプには「死刑」や「死ぬ」を含め、一見すると物騒な物言いながら「極悪同盟」のキャラを外さない「プロ」に徹した言動が素晴らしい。しかも昨今の若い不良が使う言葉遊びレベルの物言いと違って、死線と修羅場を潜り抜けてきた説得力が圧倒的だ。最近はそういった言葉を教育上の観点からか避ける考え方もあるが、それは一歩間違うと言葉狩りになってしまう側面がある。

 なお、ブルは最近、大手の芸能プロダクションと契約したことから「戦隊もののラスボス役をやってみたい」と話すと、ダンプが「ドラマで共演したいですね」と続けたが、これにはブルが「また、(80年代に『極悪同盟』がゲスト出演していた人気ドラマ)『毎度お騒がせします』みたいにやりましょう、大乱闘を」と語り、観覧者からの大拍手を受けていた。

 ちなみにダンプは今後について、「とりあえずヒザを治そうと思っていることと、『極悪女王』で三冠王(Netflix週間TOP10第1位他)っていうことで賞を三つ取ったので、(三冠の内容は)難しくて覚えられないんだけど。それとゆりやんがソロで歌を出していて、そこにも『ダンプ松本極悪魂』って歌詞に入れてくれていて。まだ周りでも頑張ってくれているので、引退しないで頑張ろうかなって。一日も長くプロレスができたらいいなっていうのが夢ですね」と話していた。

(一部敬称略)

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