【マリーゴールド】3.11で暗くなった故郷に力をくれたプロレス…柔道少女だったMIRAIがプロレスラーになるまで
マリーゴールドにおいて会場人気の高さといえば、MIRAIの名前が挙がるだろう。格闘技経験に裏打ちされた実力はもちろん、その練習量の多さは関係者の多くが認めるところ。自身の生まれ故郷であり、観光大使も務める岩手県宮古市での凱旋興行を8.9に終えたばかりのMIRAIを練習後にキャッチ、7月にオープンした道場で話を聴いた。

初の生観戦で暗い空気を一変させたプロレスの凄さを感じた
マリーゴールドにおいて会場人気の高さといえば、MIRAIの名前が挙がるだろう。格闘技経験に裏打ちされた実力はもちろん、その練習量の多さは関係者の多くが認めるところ。自身の生まれ故郷であり、観光大使も務める岩手県宮古市での凱旋興行を8.9に終えたばかりのMIRAIを練習後にキャッチ、7月にオープンした道場で話を聴いた。(取材・文=橋場了吾)
MIRAIが初めてプロレスに触れたのは2011年10月15日。東日本大震災直後に、新日本プロレスが開催したチャリティ興行だった。MIRAIが生まれ育った宮古市も、3.11以降津波だけでなく二次災害も含めて大きな被害を被った。
「震災が起きて半年くらい経ったときですよね。私の家は被害があった地域の中でも高台にあったので壊れはしなかったのですが、漁業をやっていたので船は全部流されてしまって……。少しずつ落ち着いてきて、また船を買おうかというようなタイミングです。(東日本大震災は)津波のイメージが大きいと思いますが、そもそもの地震が凄くて火事が広がった被害も大きかったんです。それにプラスして津波が来たので……海岸に近い方は津波、津波を免れた場所でも火事があって。その後半年くらいですかね、年中行事はできなかった……。
この月はこれ、この月はこれ、というのは1年くらいできませんでした。私は小学校6年生で生徒会長をしていたのですが、今までやってきた行事ができないからどういう風にしていくか話し合いをして、支援をしてくださる方々と対応することも多くて。(物事を進める)難しさを感じると同時に、温かさや優しさも感じましたね。そんなときに宮古に来てくれたのが新日本プロレスでした。
魚菜市場での試合だったのですが、私は当時柔道をしていたもののプロレスのことは全然知らなかったんです。柔道教室の後輩が棚橋(弘至)さんの大ファンで、私は誘われてついていったんですが、ここでプロレスの凄さを感じてはまってしまいました。震災があって周囲はまだ暗い空気だったんですが、試合が始まったらレスラーと一緒にお客さんも戦っているような感じ……いつのまにかどんよりした空気はなくなっていて、プロレスってすごいなと。棚橋さんファンの子が横でずっと語っていたこともあって、プロレスラーに対してヒーローのようなカッコよさを感じましたね」
その後MIRAIは2012年にリアルジャパン主催の巌流島で開催されたチャリティー大会にも参加、初代タイガーマスクや故・新間寿氏との縁もできた。そしてMIRAIに決断の時が訪れる。
「高校時代に進路を決めるときに、好きなことを仕事にしたいという気持ちがあって。好きなことといえばプロレス、でもいわゆる進学校にいたので先生方は進学を進めてくるわけです。それでスポーツトレーナーの道も考えたり、柔道で大学に来ないかという話があったり……でもプロレスに関わる仕事をやりたい気持ちがあって、まとめた結果自分がプロレスラーになるしかないなと思って(笑)。自分がプロレスをやったら、プロレスに関わる仕事そのものですし、柔道はもちろん演技の学校にも通っていた経験も生かせそうだろ。私は『やる』って決めたら曲げない性格なので、色々な人たちを説得しました」

基礎を大切にして短い動きをつなげていく、団体に関わらず練習は似ているような気がするが…
2018年4月にKAIENTAI DOJOに入門後、東京女子プロレスに移籍したMIRAIは2019年5月にデビュー。その後、スターダム、マリーゴールドと渡り歩いてきた。柔道経験があったMIRAIだが、最初につまずいたのは後ろ受け身だった。
「高校の部活を引退してからも、基礎体力の練習はやっていたのでそこは大丈夫で、前方回転や前受け身もポンポン進んでいって……後ろ受け身の練習になった瞬間に全然できなかったんです。周りにも置いていかれて、皆がロープワークに進んでいるのに一人で後ろ受け身の練習をやっているような状況でした。先輩たちも『どうしたらできるようになるんだろう?』と。そこで教えてもらったのが『バナナの皮』でした。歩いて3歩目にバナナの皮があって滑ってしまったようなイメージでやる練習なんですけど、スパン!っていけないんですよ……とにかく練習あるのみでしたね。あとはロープワークで、相手が腕を出してきたときに低い姿勢になって走り抜ける“ダック”という動きが苦手で、すぐ止まっていました。くぐったとしても、低い態勢のまま走っているとロープの距離感がわからなくて。プロレスならではの動きは、覚えるのが遅いといわれていました」
それが今では豊富な練習量を誇り、安定感のある試合を見せるようになったMIRAIは、スターダム・東京女子・マリーゴールドの3団体に所属経験がある唯一の選手でもある。
「私の感覚ではありますが、東京女子の練習も、スターダムのミラノ(・コレクションAT)さんの練習も、近藤(修司=マリーゴールドの道場ができたタイミングでコーチに就任)さんの練習も似ているような気がします。基礎を大切にして、短い動きを練習してそれをつなげてやっていくみたいな感じです。理論的なんですよね、こういう動きをするからこうなるんだよという。でも。その範囲の中の見せ方に重点を置いているのが近藤さんで、その範囲から少し外れてこっちの動きの方が次の動きにつなげやすいよね、という崩し方をしていたのは東京女子かなと思います。あ、一人だけ全然違う練習をする方がいました……朱里さんです」
(22日掲載の後編へ続く)
