TVから消えたニューハーフタレント・ゆしんが語った激動の半生…女性不信からの同性愛、裏切られて借金苦、恩人との別れ

かつて多くのバラエティー番組に出演していたニューハーフタレント・ゆしん(35)が7月25日、初のオリジナル楽曲『永遠』をリリースした。作曲・編曲家の近谷直之氏と東京芸術大卒のバイオリニスト・相知明日香が作曲。自身は「命」をテーマに、初めて作詞にも挑戦した。高校時代に女性不信で同性愛に目覚めたこと、人に裏切られて借金苦に陥ったこと、恩人との別れ…。ゆしんがその激動の半生を振り返り、同曲に込めた思いを語った。

激動の半生を語ったゆしん【写真:増田美咲】
激動の半生を語ったゆしん【写真:増田美咲】

35歳・ゆしん 「ミスコン世界一」をへての歌手活動

 かつて多くのバラエティー番組に出演していたニューハーフタレント・ゆしん(35)が7月25日、初のオリジナル楽曲『永遠』をリリースした。作曲・編曲家の近谷直之氏と東京芸術大卒のバイオリニスト・相知明日香が作曲。自身は「命」をテーマに、初めて作詞にも挑戦した。高校時代に女性不信で同性愛に目覚めたこと、人に裏切られて借金苦に陥ったこと、恩人との別れ…。ゆしんがその激動の半生を振り返り、同曲に込めた思いを語った。(取材・文=柳田通斉)

「1000人の中の1人に選ばれた」 成金イメージが先行する有名社長の“本当の顔”

 都内の弊社オフィス。勤務中の社員たちを気遣い、ゆしんは少し抑えた音量で話し始めた。

「6年前、カバー曲を出してはいますが、オリジナル楽曲は初めてです。もともと歌をやりたくて、この世界に入ったのですが、ひょんなことからバラエティー番組に出るようになって…」

 大阪の下町、東大阪市で育ったゆしんは高校時代まで女性と交際していた。だが、自身は荒れていて「少年鑑別所と行き来する状態」だったという。

「私は彼女と結婚を前提に付き合っているつもりでした。ただ、(少年鑑別所から)出てきたら自分の同級生のお兄ちゃんと籍を入れていて、子どもまでできたいたんです。それで『こんなことがあるのか』と思い、女性不信になりました」

 このことをきっかけに家出。18歳にして単身上京となった。

「もともとはバイセクシャルだったんだと思いますが、悩みながら男性しか愛せないことに気づきました。そして、飲食店で働きながら自分のことを『私』と言える世界に魅力を感じるようになりました」

 一方で芸能界への憧れを持っていた。テレビをつけると、はるな愛が出演。グッとひきつけられた。

「ちょうど、愛さんの松浦亜弥さんのものまねが話題になっていた時で大好きになりました。そして、一般のファンを集めた誕生日会があって初めてお話できました」

 当時のゆしんは、内面は女性でも外見は男性のまま。だが、はるなにはすぐに気付かれたという。

「ステージ上の愛さんから突然、『あなた、上がって来て』と言われたんです。驚きながら持っていた花束を渡したら、『あなた、同じ組合でしょう』と言われました。私は思わず『はい』と…。これが、私が人前でカミングアウトした瞬間でした」

 以降、はるなと同じステージに立つべく、歌手のオーディションを受けるようになった。プライベートでは、新宿歌舞伎町でバーの共同経営を知人と始めた。

「その方もゲイでしたが、従業員とトラブルになって店は私が20歳の時に個人名義になりました。ただ、その方が抱えた借金約800万円まで私が背負うことになりました。店の家賃は上がり、自宅の家賃は滞納状態。借金取りに内側のカギを電動ノコギリで切られ、2階から飛び降りて逃げたこともありました。地獄に落ちる感覚でメジャーをクビにまいてみましたが、死に切れませんでした」

 我に返って、思い浮かんだのは母親の顔だったという。「せっかくもらった命なのに『何てことをしようとしたんだ』とひどく後悔しました」。その後は店を閉めて、昼夜なしに働いたという。

「夜は銀座で働き、昼は知り合いの方の会社で受付業務をして、借金は2年で完済しました」

 この大きな山を乗り越えたゆしんは、再びオーディションを受けるようになった。その中でトーク力を評価され、2012年4月からTVK(テレビ神奈川)バラエティー番組『ありがとッ』でレギュラー出演。同年、エイベックス・マネジメントと契約し、テレビ朝日系『ロンドンハーツ』で「かわい過ぎるオネェ」として全国放送デビューを果たした。

 これを境に数年間はさまざまなバラエティー番組に出演。だが、時代は刻々と変化していた。

「コンプライアンスが叫ばれるようになり、オネェをイジりづらい感じになってきましたね。結局、残ったのは実力のあるマツコ・デラックスさん、はるな愛さんとあと何人か…。私にはそこまでの力はありませんでした」

浮き沈みを経験し、歌手活動を本格化させたゆしん【写真:増田美咲】
浮き沈みを経験し、歌手活動を本格化させたゆしん【写真:増田美咲】

性適合手術を受けずに出場

 気持ちを切り替えたゆしんは、はるなが09年にグランプリを獲得したニューハーフのミスコン世界大会「ミス・インターナショナル・クイーン」に活路を見いだした。19年から挑戦し、同年は日本大会で特別賞。20年には3位・特別賞を受賞した。21年大会はコロナ禍で中止となり、22年の世界大会には、それまでの実績を評価されて「推薦出場」となった。

「世界大会はタイで開催されるのですが、大会当日までに各国の代表者は『ビューティーキャンプ』というハードなトレーニング期間をへて舞台に立ちます。私のような性適合手術を受けていない出場者は初めてだったので、その面でも注目されました。そして、『BEST NATIONAL COSTUME賞』の部門で世界一になりました。この経験は私の人生の宝であり誇りです」

 この歩みをへて、ゆしんは「やりたかった」ことに立ち返った。1年前からオリジナルの楽曲をリリースすることを目指し、準備を始めた。ボイストレーニングは10年以上継続しており、作曲は一流音楽家の友人たちが手掛けてくれることに。詞を自身で書くことも決めた。

「自分の経験も踏まえ、人命の尊さを書きたいと思いました。LGBTQを区別する世の中ではなくなってきましたが、それでも悩んで命を落とした友人がいます。私に『歌ってみれば』『好きな活字を仕事したら』と言ってくださっていた映画プロデューサー・中林千賀子さんに応えたい思いもありました」

『LOVE MY LIFE』(06年)、『台風家族』(19年)、『犬鳴村』(20年)など数々の話題作を担当してきた中林さんは24年6月、運動神経が徐々に衰えていく「筋萎縮性側索硬化症 (ALS)」と告知された。今春、ゆしんは完成した『永遠』を持って病室へ。「♪君が悲しい時は抱きしめるから」「君が辛い時は 肩をかすから」などとつづられた歌詞、ピアノとバイオリンを軸にした切ないメロディーを聴き、中林氏は嗚咽したという。

「病気が進行して声を出すことも難しい状態だったのですが、驚くくらい声を出して泣いてくださいました」

2022年「ミス・インターナショナル・クイーン」に出場したゆしん(中央)【写真:本人提供】
2022年「ミス・インターナショナル・クイーン」に出場したゆしん(中央)【写真:本人提供】

 その後の7月1日、中林さんは53年の生涯を閉じた。ゆしんは、都内で同曲のジャケット撮影をしている際に訃報を耳にした。

「すぐに会いに行きました。中林さんは穏やかな顔をされていました。望んでいない死であっても、安らかに最期を迎えられたんだなと思いました。とても多くの方に愛された人で、『自分は一人きりではない』と感じてくれていたと私は思っています」

 そして、ゆしんは『永遠』について「今、苦しいと感じる瞬間があるなら、あなたは決して一人ではないということを考えてほしい。この歌が、そんなことに気づくきっかけの一つになり、心の支えになれたらうれしいです」などと話している。今後は、音楽活動を本格化させる予定。波乱万丈だったゆしんの人生が、新たなステージに入る。

□ゆしん 1989年7月25日、神奈川県・横浜市生まれ。大阪・東大阪市育ち、18歳の時に経験した女性との失恋など原因で家出し、上京。遅咲きのオネェとして飲食店に勤務。2012年4月4日からTVK『ありがとッ』でレギュラーコーナーを3年間担当。以降、テレビ朝日系『ロンドンハーツ』で「かわいすぎるオネェ」として全国放送デビューを果たし、日本テレビ系『今夜くらべてみました』『ダウンタウンDX』など数々のバラエティー番組に出演。166センチ。

次のページへ (2/2) 【写真】「男」だった頃に撮ったはるな愛との2ショット&高校時代
1 2
あなたの“気になる”を教えてください