被爆80年の節目にUターン 広島出身・やのほのかが背負う「8.6誕生日」の運命と受け継いだバトン
本日8月6日午前8時15分。広島に人類史上初めて原子爆弾(原爆)が投下されてから80年を迎えた。厚生労働省によれば、被爆者健康手帳を持つ被爆者数は今年3月末時点で9万9130人、平均年齢は過去最高の86.13歳。被爆者の高齢化と減少が進み、風化への懸念が高まっている。そのなかで、「広島県出身、8月6日生まれ」の運命と向き合うのが、歌手・タレントのやのほのかだ。26歳となった彼女が、戦後80年の今年に広島へ戻り、自身の活動を通じて伝えたいことを聞いた。

どこか喜べなかった小学生時代の8月6日の誕生日
本日8月6日午前8時15分。広島に人類史上初めて原子爆弾(原爆)が投下されてから80年を迎えた。厚生労働省によれば、被爆者健康手帳を持つ被爆者数は今年3月末時点で9万9130人、平均年齢は過去最高の86.13歳。被爆者の高齢化と減少が進み、風化への懸念が高まっている。そのなかで、「広島県出身、8月6日生まれ」の運命と向き合うのが、歌手・タレントのやのほのかだ。26歳となった彼女が、戦後80年の今年に広島へ戻り、自身の活動を通じて伝えたいことを聞いた(取材・文=小田智史)
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さかのぼること26年前、8月6日に広島県江田島市で生まれたやの。呉で海上自衛隊に勤めていた祖父の影響から、「帆を張り夏の海に前進する」という意味で帆夏(ほのか)と母に名付けられた。
約14万人が亡くなった(広島市推計)とされる1945年(昭和20年)8月6日の原爆を体験した人は家族にはいない。それでも、物心がついた時には、8月6日に原爆ドーム前の元安川で行われるとうろう流しに家族で浴衣を着て行くのが習慣だったという。
「海上自衛官だった祖父は、私が2歳の時に亡くなったと聞いています。広島をすごく大切に思っていた方で、その思いをお母さん、そして私が受け継いだ感じです。今思えば、小学生の頃からとうろう流しに行っていた友達はそんなに多くはなかった気がします。8月6日は自分の誕生日でもあるけど、広島にとって大切な日。お母さんからは『どんな時も絶対に(とうろう流しには)行かんといけんよ』『大事にしなさい』と言われていて、何があっても行っていました」
8月6日が誕生日。特に広島で生まれ育っただけに、「すごく運命を感じます」とやのは語る。
「8月6日が誕生日だと言うと、広島の方にびっくりされるというか、『平和記念日だよね』と言われるたびに、珍しいんだと実感します。小学生の頃は8月6日に生まれたことを少しマイナスなことだと思っている部分がありました。普通は夏休み期間だと思いますけど、広島県の小・中学校では原爆が投下された午前8時15分よりも前に登校して平和学習をします。体育館で被爆者の方のお話を聞いて、悲惨さ、事の重大さを知ったので、『誕生日だ!』と手放しには喜べなかったです。でも、自分のバックグラウンドを発信することで原爆の日だと伝えること、覚えてもらうこともできる。今は、広島で8月6日に生まれて育った、生粋の広島県民だと思うようになりました」

発信への意識が高まったSTU48時代
平和学習のほか、原爆ドームや広島平和記念資料館に足を運ぶことで、被爆した広島の歴史を学んだ。原爆ドームは世界遺産となり、平和記念公園とともに世界的な観光スポットに今でこそなっているが、「何も考えずに素通りはできない」とやのは思いを明かす。
「広島では、8月6日のテレビは原爆関係の番組が大半です。原爆ドームの前の元安川に被爆者の方の焼死体が流れないくらいぎっしりの光景を映像で見たり、被爆された方のお話を聞いてきたので、平和記念公園の近くを通る時に毎回、『お洒落なカフェがあったり、元気な街になっている今が想像できないくらいのことが起こったんだ』と思い出します」
2017年からの約5年半、瀬戸内7県を拠点とするアイドルグループ・STU48の一員として活動したことも、自分の考え方が変わる一つのきっかけになった。「自分で発信しようと思ったのは、STU48に入って以降だと思います」と振り返る。
「STU48に入って、意識が変わったかもしれません。それまでは控えめにしておこうと思っていましたけど、『誕生日おめでとう!』と言ってくださるファンの方に、『8月6日は広島にとって大事な日だからまず黙とうをして、平和を考える時間を持ってほしい。そのあとにお祝いしてくれたらうれしい』と伝えていました」
ネット全盛の社会ゆえ、「今の時代はやっぱり、SNSもデリケートなことは発信しづらいところがある」のは事実だ。ただ、原爆の歴史と真実を風化させてはいけないという思いも強い。
「一つひとつの言葉でいろいろ誤解を生むこともあるので、あまり発信してはいけないという暗黙の空気感がありました。でも、私は被爆を経験したわけではないですけど、広島生まれ、8月6日が誕生日だからこそ、おじいちゃんとかお母さんの話とかを聞いていたら、間違ったことではないのだから、逆に私がたくさん発信しなきゃと思ったんです」
やのは22年にSTU48を卒業後、翌23年に芸能活動を再開する際、人生で初めて広島を離れて上京。今年3月末までの2年間、東京でタレントとして活動した。その間も、広島への思いは片時も頭から離れることはなかった。
「東京に出た時に、『広島には原爆ドームがあるよね。世界遺産だよね?』と言われて、改めて、すごいものが広島にあるんだと思ったら、誇りを持って、『広島に行ってほしい』と言うべきだと感じました。観光地ではあるけど、原爆ドームは県外の人に絶対に見てほしい場所です。私自身、帰省した時に友人と広島平和記念資料館に行ったら、小中高の頃とはまた違う感覚があって、より理解することができました」

米国人観光客に伝えた“素直な胸中”
東京での、ある米国人観光客との会話も記憶に深く刻まれている。
「東京で、席が隣だった海外の方と話す機会がありました。『広島に旅行に行くんだよね。アメリカの人間が広島に行くのは正直、どう思う?』と聞かれたんです」
やのは、「私は嫌な気持ちは一切ない」と率直な気持ちを伝えたという。
「むしろ、広島の街を訪れてくれること、平和のことを知りたいと思って行こうとしてくれるのはうれしいと、つたない英語で自分なりに伝えたんです。そうしたら、『良かった』『アメリカの人間が広島に入っていいのかなと思った。そういう人も多いよ』と。私はそう思っている方たちがいるとは思わなくて、ぜひいろんな人に広島に来てほしいと思いました」
4月から広島で歌手・タレントとして活動を再開したが、くしくも地元に戻った今年は戦後80年の節目。「東京での2年間をへての今年は、また感じるものが違うと思います」。広島で迎える平和記念日に思いをはせる。
「一昨年は帰省してテレビで広島平和記念式典を見ながら黙とう、昨年は東京から黙とうしました。今年は(広島平和記念)式典にも行きたいです。8月6日に原爆ドームの前で島谷ひとみさん、HIPPYさんたちが平和の歌を歌うイベント(『広島 愛の川』プロジェクト)に私も参加させていただきます。被爆80年。このイベントが、(11回目の)今回が最後だそうで、広島に帰ってきたタイミングで出させていただけるのもまた何かの運命かなと思います」
やのは「今はより自分の意思を発信できる立場にあります」と、今後の活動に向けて目標を口にした。
「私が小学生の頃は、イベントが平和について考える時間でした。でも、これからの世代は、同じように知るとしても、きっかけがSNSかもしれない。原爆・被爆はデリケートな話で、触れにくく、嫌な気持ちをする方も少なからずいるかもしれませんし、詳しいことは語れないかもしれませんが、決して忘れてはいけないので、風化させないためにも伝えていきたいです。8月6日だけでなく、日ごろから広島で平和のことを発信していくタレント・表現者になりたいと思います」
□やのほのか(本名:矢野帆夏)1999年8月6日、広島県出身。2017年、アイドルグループ・STU48に加入。22年9月にグループ卒業とともに芸能界引退も発表。23年4月に芸能活動を再開した。今年4月に広島に戻り、地元愛を忘れず活動中。8月1日に初のソロシングル『おかえり』が配信スタート。
