15歳で自衛隊入隊「最初は人間扱いされなかった」 『北斗の拳』武論尊氏が漫画と出会うまで
武論尊先生は、『北斗の拳』や『サンクチュアリ(「史村翔」名義)』などを筆頭に、日本漫画史に残る名作を生み出してきた漫画原作者だ。これまで多彩なジャンルの作品を手掛けてきたが、そのルーツは自衛隊にある。自衛隊員だった武論尊先生は、なぜ漫画原作者の道を歩み始めたのか。その重要なターニングポイントは、同期の自衛隊員で、のちに『男一匹ガキ大将』や『サラリーマン金太郎』などで一世を風靡する漫画家・本宮ひろ志先生との出会いにあった。

「とにかく家を出たかった」地元を離れ、航空自衛隊生徒隊へ
武論尊先生は、『北斗の拳』や『サンクチュアリ(「史村翔」名義)』などを筆頭に、日本漫画史に残る名作を生み出してきた漫画原作者だ。これまで多彩なジャンルの作品を手掛けてきたが、そのルーツは自衛隊にある。自衛隊員だった武論尊先生は、なぜ漫画原作者の道を歩み始めたのか。その重要なターニングポイントは、同期の自衛隊員で、のちに『男一匹ガキ大将』や『サラリーマン金太郎』などで一世を風靡する漫画家・本宮ひろ志先生との出会いにあった。(取材・文=関口大起)
しかし、そもそもなぜ、武論尊先生は自衛隊員になったのだろうか。
「実家が本当に貧乏な“百姓”だったから。もし高校に行ったって、卒業後はずっと貧乏で忙しい毎日が続く。そんなことは考えたくもない。そこに、金をもらいながら高校も卒業できる自衛隊って選択肢があった……というより、それしかなかったんですよ」
長野県佐久市で生まれ、農家の末っ子として育った武論尊先生。小学6年生の頃に父親が亡くなったこともあり、生活の中心は家業の手伝いだった。
そうして進んだ先は、航空自衛隊生徒隊。ペーパーテストと体力測定をクリアした優秀な人材だけが入隊を許される、特別な部隊である。
「全国で100人くらいしか採らない。自分であまり言いたくないけど、そこそこに選ばれた部隊なの。航空自衛隊生徒隊は、埼玉県の浦和高校の通信制っていう形で高校に入学するんだけど、同じ内容のテストを受けたら、僕たちのほうが少し成績が良かったくらいです」
自衛隊で出会った本宮ひろ志先生「隊員時代に描いているのを見たことなかった」
学力と体力をともに認められ、航空自衛隊生徒隊となった武論尊先生だったが、その先で待っていたのは過酷すぎる毎日だった。
「15歳で入隊して、最初の1年間は人間扱いをされなかったね。そのころって、戦争が終わってから10数年しかたってないでしょ。だから上官にあたる小隊長とか副隊長とかは、戦争の生き残りなのよ。経験者。陸軍出身とか特攻隊とか。もう精神が違う。何かあればすぐポンポン拳が出るし」
しかも、厳しいのは隊長たちだけではない。先輩たちからの苛烈なシゴキも待っている。その厳しさゆえ離脱する人も多く、入隊して1週間で20人は辞めていったという。
「理不尽すぎて、なんで俺はこんなところにいるんだって毎日思っていましたね。いまだに同期とは集まって話すことがあるんだけど、“誰か1人死んでくれ”って思ってたって皆言うんです。流石に死者が出れば、シゴキもユルくなるだろうからね」
一方で、同期たちはともに乗り越えた親友だと話す。そしてその中には、漫画家の本宮ひろ志先生もいた。
「本宮は、漫画家になるって自衛隊を辞めていったんだけど、隊員時代に描いているのを見たことはなかったですね。辞めるって話を聞いてはじめて、本宮って漫画が好きだったんだって知った感じ」
週刊少年ジャンプデビューは、“はじめて書いた”作品で
武論尊先生は入隊から約7年後、22歳で自衛隊を辞める。その理由は、“先が見えた”からだった。
「自衛隊ってある意味レールが引かれてるから、自分の能力を踏まえると10年、20年後が分かるわけです。それってつまんないなと思ったんですよ。じゃあ同い年の連中が大学を出て社会人になるタイミングで、外の世界に出て勝負してみようと」
そうして武論尊先生は、コンピュータソフトのプログラミング学校に入学する。しかし、たったの半年で資金が底を尽きた。
「自衛隊を先に辞めて、プー太郎になっていた奴らに“たかられて”ね(笑)。いい言い方をすれば、同窓の仲間が協力しあって……ってことなんだけど。それで学校も行けなくなって、俺も半年くらいプー太郎をすることになった。そしたら本宮が『フラフラしてんならうちに来ないか?』って声をかけてくれたんです」
当時の本宮先生は、『男一匹ガキ大将』の連載を終え、次作の準備を進めているタイミング。そこで武論尊先生は、漫画の資料集めを手伝うことになった。
「手伝いっていっても、ほとんど暇なんですよ。俺は絵も描けないしベタも塗れない。だから時間を持て余して、本宮の仕事場で酒を飲んだり麻雀したり。偉そうな顔をして、アシスタントの面接をしたこともあったね。『銀牙 -流れ星 銀-』の高橋よしひろ君なんかはまさにそう」
本宮先生のアシスタントたちからは、「なんだこのオヤジ」と思われていたはずだと振り返る。大人気漫画家・本宮ひろ志のもとにいる謎の“お手伝い”。当然、担当編集者も良い顔はしない。
この男に、何か仕事を与えなくては……。そう考えた編集者は、武論尊先生に「漫画原作を書いてみないか?」と声をかける。これが先生の転機となった。
「とりあえず書けっていうから、思いつくままストーリーの流れを書いたんですよ。そしたら編集者が、『お前書けるかもしれないぞ』と言ってきた。でも原稿用紙の使い方も知らないような状態だったんで、基本を教えてもらってからシナリオの形に落とし込んでね。それでまた見せたら、『じゃあこれで行こう」と。だから、はじめて書いたのがデビュー作になっちゃったんです」
そうして書き上げた『五郎くん登場』(作画:ハセベ陽)は、1972年に週刊少年ジャンプに掲載されている。
初作品でジャンプデビュー。しかも、本当に“はじめて”書いた物語で。信じがたい話だが、のちに『ドーベルマン刑事』『北斗の拳』『サンクチュアリ』と数々のヒット作を生み出す先生だ。圧倒的な才能に、疑う余地はない。
