渡辺謙「目で読むより逃げ場がない」 “音で伝える”『黒い雨』の衝撃と朗読の意義「語り継ぐ責任がある」
俳優の渡辺謙が、Amazonオーディブルで井伏鱒二の名作『黒い雨』(8月1日配信スタート)を朗読した。1966年に刊行されたこの長編小説は、広島に原爆が投下された直後の実相と、その後の人々の暮らしを静かに、しかし深く描いた戦後文学の金字塔だ。戦後80年の節目を迎える中、渡辺は「語り継ぐ責任がある」として本作に新たな命を吹き込んだ。

Amazonオーディブルで井伏鱒二の名作『黒い雨』を朗読
俳優の渡辺謙が、Amazonオーディブルで井伏鱒二の名作『黒い雨』(8月1日配信スタート)を朗読した。1966年に刊行されたこの長編小説は、広島に原爆が投下された直後の実相と、その後の人々の暮らしを静かに、しかし深く描いた戦後文学の金字塔だ。戦後80年の節目を迎える中、渡辺は「語り継ぐ責任がある」として本作に新たな命を吹き込んだ。(取材・文=平辻哲也)
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今回のオファーには「二つ返事だった」。渡辺はこれまで『硫黄島からの手紙』(2006年)や『GODZILLA ゴジラ』シリーズなど、戦争や核を扱った作品にも出演してきた。
「語り部が少なくなっている中で、僕らの世代が伝えていかなければならないと思ったんです」と語る。
井伏の原作は、実際の被爆者の手記を基に、広島市への原爆投下後の市民の生活を「日記」という形式で克明につづる。主人公・閑間重松とその妻シゲ子、めいの矢須子の三人を通して、放射能の後遺症、風評被害、そして静かにむしばまれる日常が描かれる。
渡辺は、今村昌平監督による映画版『黒い雨』(1989年)もかつて鑑賞していた。
「あれはモノクロだからこそ成立したと思うけど、それでも本当に辛い」と当時の印象を語る。田中好子が矢須子役を演じた同作は、日本アカデミー賞最優秀作品賞をはじめとする多数の賞を受賞。映像化によって原作の静けさと悲劇性を際立たせた作品として評価されている。
今回、原作にあらためて向き合った渡辺は、「読むのが本当につらかった」と明かす。「目読だと辛い描写をどこかでフィルターにかけてしまう。でも、声に出すと逃げ場がない」。練習中、家事をしていた妻が「つらい」とため息を漏らしたという。「これは音で伝えるからこそ、強いメッセージになると感じた」と語る。
収録は約1週間。「どんどん引っ張られていくから、フラットでいるのが難しかった」と振り返るが、「それだけの重みを持った作品だから」と力を込める。「朗読しながら、風景がどんどん浮かんでくる。小説でありながら、まるでドキュメンタリーを見ているような感覚でした」
渡辺は1959年の戦後生まれ。幼少期に育った田舎町には、耳の不自由な傷痍軍人が身近にいた記憶はあるが、「直接、戦争体験を聞いたことはなかった」という。「たぶん、多くの人が“話したくない”という思いを抱えていたのだと思います」。だからこそ、「作品を通じて語り継ぐこと」に自らの役割を重ねている。
また、クリストファー・ノーラン監督の『バットマン ビギンズ』(2005年)、『インセプション』(10年)にも出演した渡辺はノーラン監督の映画『オッペンハイマー』(23年)にも言及した。原爆を開発したアメリカの理論物理学者ロバート・オッペンハイマーの半生を描いたこの作品は、原爆開発の過程と葛藤に焦点を当てたものの、投下の瞬間や被害者の視点は描かれていない。
「『オッペンハイマー』が投下の描写をあえて避けたのは、直視されることを恐れての判断だったのかもしれない」と推察する渡辺。一方で、「“40キロ先に落とせば大丈夫”みたいな誤解が、いまだにアメリカには根強い」と警鐘を鳴らした。
さらに、映画『硫黄島からの手紙』のプロモーションで広島・長崎の高校生とティーチインを行った経験を振り返り、「彼らの原爆や戦争に対する知識や感覚は他の地域とはまったく違った。こうした意識がもっと全国に広がらないと」と語る。
今回が初の長編朗読。渡辺は「読者ではなく、“届け手”であることを意識した」と語る。「耳をふさぎたくなるような話だけど、だからこそ聴いてもらいたい」。ナレーターとしての客観性と登場人物への共感。そのあいだに立つ“声”の力が、作品の重みを静かに支えている。
井伏の静謐な語り口が描き出すのは、ただの過去ではない。被爆者たちの苦しみと尊厳、社会における偏見、そして“記憶”の継承。それらが、渡辺謙の声によって、いま再び私たちの耳に届く。
■渡辺謙(わたなべ・けん)1959年10月21日生まれ、新潟県出身。NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)で人気を博す。2003年『ラスト サムライ』でハリウッド進出し、アカデミー賞助演男優賞にノミネート。以降『インセプション』(2010年)、『GODZILLA ゴジラ』(2014年)など国際作品に出演。国内では『明日の記憶』『沈まぬ太陽』で日本アカデミー賞を受賞。ブロードウェイ『王様と私』ではトニー賞にもノミネート。2025年にはNHK大河ドラマ『べらぼう』、『国宝』に出演。さらに映画『盤上の向日葵』(10月31日公開)も控えている。
