“梶原です”の一言で出頭した爆弾犯の父 脚本家となった娘が今、その過去を本に綴った理由
毎熊克哉主演の映画『「桐島です」』(公開中、高橋伴明監督)、大西礼芳主演の映画『また逢いましょう』(公開中、西田宣善監督)の脚本を手がけた梶原阿貴さんは、初めて出自を明かした自伝的エッセイ『爆弾犯の娘』(ブックマン社刊)も四刷が決定するなど大きな話題を呼んでいる。父親は1971年の「新宿クリスマスツリー爆弾事件」に関与した人物。複雑な人生を歩んできた梶原さんが思いを語った。

父が出頭した日、脚本家・梶原阿貴さんが封印してきた記憶
毎熊克哉主演の映画『「桐島です」』(公開中、高橋伴明監督)、大西礼芳主演の映画『また逢いましょう』(公開中、西田宣善監督)の脚本を手がけた梶原阿貴さんは、初めて出自を明かした自伝的エッセイ『爆弾犯の娘』(ブックマン社刊)も四刷が決定するなど大きな話題を呼んでいる。父親は1971年の「新宿クリスマスツリー爆弾事件」に関与した人物。複雑な人生を歩んできた梶原さんが思いを語った。(取材・文=平辻哲也)
梶原さんは、映画『桜の園』で俳優デビューした異色の経歴を持つ脚本家だ。その後、『あぶない刑事』『ルパン三世』などで知られる柏原寛司氏に師事し、2007年に『名探偵コナン』でデビュー。テレビアニメやドラマの脚本を手がけ、高橋伴明監督とタッグを組んだ映画『夜明けまでバス停で』(22年)ではキネマ旬報ベスト・テンや日本映画脚本賞など、数々の脚本賞を受賞した。
高橋監督との再タッグとなった『「桐島です」』では、1970年代に連続企業爆破事件を起こし、実行犯として指名手配されたまま約50年にわたり逃亡生活を送った男・桐島聡の半生を描いた。なぜ梶原さんがここまで重厚でリアルな作品を書けたのか。その背景には、自らの出自にある。
父、梶原譲二さんは、元俳優で、1971年12月24日に起きた「新宿クリスマスツリー爆弾事件」に関与した疑いで、長らく指名手配されていた人物だった。この事件は新宿伊勢丹前にある四谷警察署追分派出所にクリスマスツリーに隠された爆弾が仕掛けられ、警察官が左足切断など重傷を負っている。
譲二さんは、指名手配されたが、その逃亡生活中の1973年5月に阿貴さんをもうけた。当時は譲二さんをかくまっていたが、表面上は母子家庭を装い、母が家計を支えていた。
「母からは固く口止めされていたので、父のことを『お父さん』と呼んだこともなかったです。呼ぶときは『ねぇ』とか『ちょっと』とか。小5ときに事件のことを初めて聞いて、『えっ』と驚きましたが、同時に『なんか知ってたかも』と思ったんです。それまでの父の不審な行動に、腑に落ちた部分がありましたから」
そんな生活は1985年12月に終止符を打つ。事件から14年が経過していた。譲二さんは警視庁を訪れ、出頭をしたのだ。
「父は全身真っ白な格好で出頭したそうです」
白い服装は「撃たれたり、切られたりしないように」という、どこかドラマチックな心理の表れだったという。しかし、警視庁の前に立って「梶原です」と名乗った瞬間、思いもよらない対応を受ける。
「『梶原です』と言ったら、『どなたですか?』と返されたそうで(笑)。本人は、名乗ればすぐに分かってもらえると思っていたみたいなんです」
職員の反応に拍子抜けした譲二さんは、その場でただ待たされることに。
「その間に『今なら逃げられるかも』って気持ちになったらしいんです。あれだけの覚悟を持って来てるのに、そんな雑な扱いをされたら心折れますよね」
結局、指紋照合の結果で本人確認が取れ、そのまま身柄を拘束。裁判では実刑6年を受け、静岡刑務所で服役した。阿貴さんは俳優、脚本家として活動する中も、自らの出自は隠し続けた。
「何人かには話したこともありましたが、ある人から『それが君の切り札なんだね』と言われ、話すのはやめようと思いました。デメリットの方が多かったんです」
父の反応に拍子抜け「思いのほか軽かった」
実は『爆弾犯の娘』の取材自体は、何年も前から続けていた。
「母や父から、話せるタイミングで断片的に聞き取りをして、年表も作っていました。最初はフィクションにしようと思っていたんです。でも結局、どこも企画が通らなくて」
公表に踏み切ったのは、同じ逃亡犯の桐島聡の半生を描いた『「桐島です」』を手掛けたことが大きい。映画の企画プロデューサーからも執筆を勧められた。完成した書籍は両親にも贈り、思わぬ反応を受けた。
「読んだ母は『これ、めっちゃ面白いじゃん。売れるんじゃない』って。父は『これを知人に送りたい』と、思いのほか軽い反応だった。こちらは身構えていたので、なんだか拍子抜けしました」
実際、譲二さんは高校時代の同級生である放送作家の高田文夫に送り、ニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』でも、大々的に取り上げられた。
「高田先生には本当に感謝しています。東野幸治さんにもラジオで紹介していただき、多くの反響を得たことで重版が決定したのだと感謝しています」
一方で、長年「お父さん」と呼ぶことすら避けていたという梶原さんだが、本を書いたことで「出自と向き合うことができた」と語る。逃げずに言葉にすることで、人は過去を昇華できる。その体験が、彼女の脚本に深みとリアリティを与えているのだろう。
□梶原阿貴(かじわら・あき)1973年5月10日、東京都生まれ。1990年、『櫻の園』で俳優デビュー。映画出演作品に、『青春デンデケデケデケ』『M/OTHER』、『のんきな姉さん』『ふがいない僕は空を見た』などがある。2007年『名探偵コナン』で脚本家デビュー。その後、アニメ、テレビドラマを経て、映画『WALKINGMAN』で脚本、監督補を務める。22年『夜明けまでバス停で』でキネマ旬報ベスト・テン、日本映画脚本賞など多数の脚本賞を獲得。自伝的エッセイ『爆弾犯の娘』(ブックマン社刊)が発売中。
