父の借金4000万円で大学中退、就職したバイト先で「金のなる木」と呼ばれて…26歳で起業した女性の壮絶半生
建築業一家で何不自由なく育ち、子役として活躍。幸せな幼少期を送ったが、数々の悲劇に見舞われた。兄の死、父親の借金で極貧生活、大学中退……。就職すると事業に成功して「金のなる木」と呼ばれたが、勢いに乗って独立するも、売り上げゼロで窮地に。度重なる逆境をはねのけてきた女性経営者がいる。自らの苦労の経験を原点に、中小企業に寄り添おうと、勤怠管理システムの自社開発と普及に力を注ぐ。「置かれた環境で、自分ができることをするだけ」。不撓不屈(ふとうふくつ)の半生に迫った。

「私は“ギャルの生き残り”」 甲子園球場ビールの売り子経験も
建築業一家で何不自由なく育ち、子役として活躍。幸せな幼少期を送ったが、数々の悲劇に見舞われた。兄の死、父親の借金で極貧生活、大学中退……。就職すると事業に成功して「金のなる木」と呼ばれたが、勢いに乗って独立するも、売り上げゼロで窮地に。度重なる逆境をはねのけてきた女性経営者がいる。自らの苦労の経験を原点に、中小企業に寄り添おうと、勤怠管理システムの自社開発と普及に力を注ぐ。「置かれた環境で、自分ができることをするだけ」。不撓不屈(ふとうふくつ)の半生に迫った。(取材・文=吉原知也)
株式会社アンドエーアイ(東京)の西真央社長。はきはきとした口調で、瞳に力強さが宿っている。33歳ながら紆余曲折の人生を歩んできた。
兵庫・尼崎出身。実家は瓦ぶき・内装の建築業を営んでおり、職人の父親の作業場が遊び場だった。天性の明るい性格の持ち主。幼稚園から小学校低学年まで、子役として演劇やCM、パンフレットのモデルなどで活動した。小学1年生の時、突如悲劇が。年の離れた兄が交通事故に遭い、亡くなった。18歳だった。笑顔の絶えない家庭は一変。両親はひどく落ち込み、「家庭が真っ暗になりました。夫婦げんかを繰り返すようになり、10年ぐらいは夜に泣いていました」。幼いながら、自らも生きる意味を考えるようになった。
つらさを抱えながらも、受験を経て中高一貫校へ進学。生涯の友人に出会い、ギャル文化にもハマり、華やかな学生生活を送るようになった。大学は、小さい頃からずっと好きだった「ものづくり」を志望。京都工芸繊維大に入学した。「理系の大学で建築を学び、ダンスサークルに所属しました」。ギャルとしても充実。「私は、パラパラを踊っていた黒ギャルの先輩たちに憧れた、“ギャルの生き残り”と言っていいと思います。学生時代は居酒屋やカラオケ、それに、海の家でバイトしたり、甲子園球場のビールの売り子をしたり、日焼けで真っ黒。『日サロ代が浮く』と喜んでいたぐらいです(笑)」と振り返る。
大学3年、20歳の時、人生が再び暗転する。父親が知人の連帯保証人になり、4000万円もの借金を抱えてしまったのだ。「ある日突然、家族会議が行われ、借金について告げられました」。持ち家を売り、家族3人と飼い猫がぎりぎり住める狭い家に引っ越し。両親が集めていたブランド品や貴金属はすべて手放した。外食はできず、食事はほぼカップ麺で、おにぎりは買っても1個。一般的な中流家庭だったはずが、極貧生活に急変した。両親の不仲が加速。けんかは激しくなり、罵声だけでなく食器が飛び交うこともあった。
学業にも深刻な影響が。大学の学費を払うことが難しくなったのだ。1年間休学して生活再建を試みたが、「私も働いて家計を助ける必要が出てきました。当時アルバイトで働いていた美容商材を扱う会社が、正社員として受け入れてくれることになりました。大学を途中で辞める悔しさはありましたが、私を拾ってくれた恩返しの思いもあり、決断しました」。
就職の再スタート。店頭販売員として勤務していたが、社内でほぼ放置されていた通販事業に目を付けたことで、人生の転機が訪れる。大学時代にウェブ制作の勉強をしていたことから、自ら手を挙げ、本社に異動。海外客の1回の購入金額が大きいことに着目し、英語サイトを立ち上げて海外販路を拡大させると、中国とオーストラリアからの注文が爆増。月数千万円をたたき出す中核事業に押し上げた。売り上げを60倍にした功績が認められ、25歳で事業責任者に抜てき。「金のなる木」というあだ名までついた。ゼロからものを生み出す成功体験は「めっちゃいいやん!」。その後の人生を決定付けた。
ここで、人生の勝負をかける。インターネット社会においてアプリが主流になることを予測し、アプリ開発を軸とした会社の創業を決意。2018年、26歳の時に、同じ志を持つ仲間3人と一緒に独立した。現在でも前の会社の幹部とは良好な関係を築いているという。
当時の資本金は持ち寄った100万円、わずか3畳のシェアオフィスからの出発だ。「根拠のない自信があり、それに、突き動かされていました」。創業1か月で資金を使い果たし、無料のドリンクとお菓子サービスをエネルギー源にしながら、3人で夢を語り合った。K-POPにちなんだ地域のお店巡りとクーポンを掛け合わせたアプリなど、アイデアを次々と展開していったが、1年目の売り上げはまさかの0円。ことごとく失敗に終わった。
それでも、「楽しくて楽しくて」。2年目以降は他企業からのアプリ開発のオファーを受託する事業にかじを切り、フリーランスのITエンジニアの人脈を広げていき、受注を拡大。企業3年目で、当初の目標に定めた売り上げ1億円を達成した。

「置かれた状況で、どうやりくりして、どう成功をつかみに行くか」
会社に余裕ができ、従業員も増えて現在は17人に。本丸の自社アプリ開発に再び挑戦する。働き方改革への対応を念頭に、勤怠管理システムの開発に着手したのだ。「私自身、接客業の勤務や父親が建設業を営んでいる経験から、中小企業の現場運営や勤怠管理の大変さを知っています。そこで、手が届く価格で、より簡単に使えるアプリを目指しました」。2024年に自社アプリ『カンリル』をリリースし、会社は順調に成長している。
過去には「毎日がつらい時期もありました。大学を中退した時は、『本当にこれでよかったのかな』と自問自答する日々もありました」。それでも、折れない心で、難局を乗り切ってきた。そこには原点がある。「兄が亡くなった時、親族が集まったのですが、ある親戚から『しっかりしないといけないよ。あなたが幸せに生きていけば、お父さんお母さんも楽しく生きていけるんだよ』と言われました。この言葉はずっと心に残っています」と明かす。
2歳半の長男を育てる働くママとしても奮闘する毎日。働き者の父親は借金を完済することができ、今では借金苦の過去を笑って話せるようになった。「父と母からは『何も心配してないよ』と言われています。元気に暮らしていて、夫婦げんかはだいぶ減ったと思います(笑)。育児は大変ですが、夫と夫の家族、うちの両親みんなで協力して育てています」。笑顔に充実ぶりが伝わる。
経営者としての理想。「日本の99%は中小企業です。小規模事業者を救いたい。この思いをずっと持ち続け、日本がもっと元気になるような、底上げに貢献できるような事業を展開していきたいです。それに従業員を含めて、周りの人たちが少しでもハッピーになれるよう、人生をいいものにできるよう、私自身、頑張っていきたいです」と決意を語る。
若い世代にとっても、現役世代にとっても、閉塞感に包まれ、どこかあきらめがちになってしまう世の中だ。「自分の人生は自分のものです。環境に左右されてしまうともったいないと思います。置かれた状況で、どうやりくりして、どう成功をつかみに行くか。過去や環境にとらわれず、先を見ること。自分が楽しいかどうか。そこを大事に生きていきたいですね」と、前を向くためのメッセージを寄せた。
