「よう囲まれてたもんな、ここで」大阪“伝説の喧嘩師”が語る高校時代 転機になった幼なじみの死

初の大阪開催となる13日の『BreakingDown16』(おおきにアリーナ舞洲)はチケット完売の盛り上がりを見せている。地元から大応援団が駆けつけるのが、第10試合でてると対戦する“伝説の喧嘩師”アンディ南野だ。ENCOUNTは、少年時代、大東市で暴れまくっていたアンディを母校の前やジムで緊急取材。けんかに明け暮れた意外な背景、さらに運命を変えた幼なじみの事故死について、口を開いた。

母校の前で高校時代を振り返った【写真:ENCOUNT編集部】
母校の前で高校時代を振り返った【写真:ENCOUNT編集部】

高校卒業に6年… 金髪ボンタン姿でけんかの相手を探した日々

 初の大阪開催となる13日の『BreakingDown16』(おおきにアリーナ舞洲)はチケット完売の盛り上がりを見せている。地元から大応援団が駆けつけるのが、第10試合でてると対戦する“伝説の喧嘩師”アンディ南野だ。ENCOUNTは、少年時代、大東市で暴れまくっていたアンディを母校の前やジムで緊急取材。けんかに明け暮れた意外な背景、さらに運命を変えた幼なじみの事故死について、口を開いた。(連載全3回の2回目)

 新大阪から在来線を乗り継いで20分あまり。JR住道(すみのどう)駅が、アンディの地元だ。北口を出ると広場があり、どす黒く濁った寝屋川が流れる。その先に住宅街が広がっている。

 アンディが青春時代を過ごしたのは、大東高校だった。現在は名称を変えたが、雰囲気は当時のまま。久しぶりに校門の前に立つと、懐かしそうに校舎を見上げて言った。

「けんかする相手をずっと探してましたね。高校になったら、少年から青年になるし、もうアルバイトもできるじゃないですか。学生やけども、青年なのか、社会人なのか、その垣根ってすごい本人次第というか、小学校の頃のように簡単に人ど突いてなんかしたら罪に問われるけんかもある。自分のほうが正当防衛と思われるようなけんかの場面で、しかも弱いもんいじめにならない、強いやつとけんかできる場面をずっと探してましたね。そこにばっかり頭使ってた。どういうふうにしたら強いやつと、こっちがボロ勝ちしても、正当防衛で収まるけんかができるのかなっていう。だから、よう囲まれてたもんな、ここ(校門の前)で。『南野出てこい!』よう来てた。校門の前でなんか南野くんのこと探しに来てんで、みたいな。で、向こうのほうからちょっとのぞいたりして。ようやったねえ」

 地元では進学校で、中学3年の時、猛勉強して入学した。しかし、アンディは同級生となじむことはできなかった。

「もっとバイオレンスな日々が待ってるかなと思ったら、ここ進学校やってん。入学したところで一人残らずめっちゃ真面目。全然けんかはなかった。なら自然と外に打って出なあかん。だから学校がもう退屈で退屈で」。自分はどこまで通用するのか。腕っぷしに自信のあったアンディは、腹をすかせたライオンのように獲物を探す毎日だった。

 入学当初の写真がある。アンディは左目の下から血を流しながらも、さして気にしない様子で、カメラに収まっている。

 状況について聞くと、「これ、高校入りたての時やね。けんかの後っすね。相手がメリケンサックはめてて。それも相手3人ぐらいおって、ゲームセンターの駐車場で。今も覚えてるわ」。アンディ1人に対し、複数の不良が武器を持って取り囲む光景は日常茶飯事だった。

 とにかく曲がったことが大嫌い。相手が大人であろうと、容しゃはしなかった。授業には出席しなくなり、高校1年で留年すると、17歳で一人暮らしを開始する。

 その生活は完全に“昼夜逆転”していた。

 登校するのは、通常の授業が終わってから。通ったのは、クラブ活動のためだった。入部届を出したのは、体操部。大会に出ることが目的ではなく、けんかに強くなることが狙いだった。

「強くなるために機械体操やってた。6時間目終わってからクラブにだけ行く。雨の日も毎日行った。で、先生おらんから。古本屋で体操の本立ち読みして、独学で」

 頭を金髪に染め上げ、ぶっといボンタンを着用。真面目な生徒が多い進学校で、悪い意味で目立っていたアンディに対し、体操部の顧問は指導を“拒否”した。

 他に部員は一人もいなかった。

「留年生で金髪の変形制服着てるようなやつ真面目に続かんやろっていう理由で、たぶん、初めは一切何も声もかけてくれんかったけど、1年ぐらいした時にこっちから、鉄棒の大車輪教えてほしいって言いに行ったら、めっちゃ教えてくれた。そっからやね」

入学当初からけんかが絶えなかった【写真:本人提供】
入学当初からけんかが絶えなかった【写真:本人提供】

暴走族を必要以上に敵視したワケ 孤高の喧嘩師の葛藤

 学校でのやりがいを見出したアンディは、同時に利用できるものは他の部活であっても何でも利用した。筋トレはラグビー部のバーベルを使い、柔道部で柔道技を教わりつつ、乱取りで汗を流した。

「1対4で、手足1本ずつ、寝技かけさして、そこから全員やっつけるとか。そんなことばかりやってた。1対1は絶対負けないんで」

 夜になると、ギターを持って住道駅前に繰り出し、日付が変わるまで路上ライブを行った。高校は留年3回、通信制に入り直して22歳で卒業。年下のクラスメイトに囲まれ、ガタイのいい青年は硬い表情を見せていた。

 なぜ、アンディは戦いを好んだのか。そこには、ただ強さを追求するだけでない、孤高の喧嘩師らしからぬ葛藤もあった。

「自分の自己表現が、暴れるしかできない。なんかあったらすぐど突く。好きな子のスカートめくるみたいな感じ。コミュニケーションの引き出しがなかったですね」

 子どもの頃から口下手で、感情表現が苦手だった。仲間とつるむことができず、心から笑うこともない。学校では人間関係を構築できずに孤立。集団でわいわいやっている暴走族を必要以上に敵視し、争い事を腕力で解決する道を選んでいった。

「近所のおばさんにおはようって言われて、おはようって小学校登校していたのが、あいさつもできなくなってしまって。何をしゃべっていいのか分からなくなった。その思春期が中1から25まで続いたからね。全然しゃべられへんかったね」

 その25の時に、何があったのか。アンディが語り出したのは、幼なじみの衝撃的な死だった。

「あいつが死んでから、僕ちょっと変わろうと思って」

 幼なじみのYさんは、周りに常に人が集まるような人気者だった。「もうスーパースターみたいに太陽みたいに人が集まるやつやって」。幼稚園、中高と一緒で、数少ない気の置ける存在だった。

「どっちか言うたら僕が常に偉そうにしてて、向こうも『なんやねんお前、偉そうに言うてくんな』みたいな感じで。僕の家をたまり場にしながら遊んで、だべって。あいつも、かなりふらふらしてたから」

 突然の別れは事故が原因だった。大阪環状線の道路で、先輩の車に同乗していたところ、急にドアが開いて、外に投げ出された。

「横乗りしてて、ドアがボン開いたんですよ。自分たちで組み上げているような、パーツ寄せ集めている車だったから」

 葬儀は近所の公民館を借りて行われた。家族葬のような形で営まれたが、通夜には数百人が駆けつけ、深い悲しみに包まれた。

「4、500人ぐらい来たんかなあ。すごい人気あったから」

高校で3回の留年、クラスメイトは年下だった【写真:本人提供】
高校で3回の留年、クラスメイトは年下だった【写真:本人提供】

拳だけの人生を変えた幼なじみの死… 「亡くなってから分かった」

 そしてYさんを失ったことは、アンディの人生に少なからず影響を与えた。

「あれぐらいの人間になりたいな」

 10代から暗黒のような月日を過ごしてきたアンディは、無口で無骨な生き方に終止符を打ち、己を変えようと決意する。

「人を引き寄せる、惹き付けることのできる太陽みたいな人物って、世の中に絶対必要だなっていうのを改めて思って。亡くなってから分かったんですね。こんなヘラヘラしてるだけのやつ、いらんやろって思ったし、ちゃんとコト成せよって思ってたし。でも、存在しているっていうことが、何か意義あったんやなって」

 とはいえ、性格は急には変わらない。アンディはしゃべりのうまい人の話を聞き、まねすることを繰り返した。

「こういうふうに言われたら、なんて返したらいいんやろ。出会った時のあいさつ、おはよう、こんにちは以外に何をしゃべったらいいんやろ。しゃべるん上手なやつの話もめっちゃ聞きましたね。なんてしゃべったらいいん? って言うて」

 取材の最中、口ベタだったアンディの面影を感じることはない。仲間に囲まれ、冗談を言い合い、笑い声が絶えない。元抗争相手からは、後輩に慕われ、友人作りがうまいとの評もあった。

「いまだに悩んでますもんね。やっぱり、対人コミュニケーション、むずいっすわ」

 本人にとって、道のりはまだ半ば。BreakingDownのような激しい言葉の応酬には、面食らうこともある。だが、20年前の出来事が、転機になっていることは確かだ。

「あそこで僕の人生は変わったと思う」とアンディは言い切った。

□アンディ南野(あんでぃ・みなみの)1979年2月10日、大阪・大東市出身。若い頃からけんかに明け暮れ、高校卒業に6年を要す。28歳のとき、格闘技デビュー。地下格闘技「喧王」で2度優勝。2019年の選挙では腕っぷしを買われて故安倍晋三元首相の警護を務めた。現在は天満警察署と大阪市の要請で、北新地のパトロールを行い、違反者を摘発している。エンセン井上プロデュースのジム「PUREBRED大阪」を、創設者太田隆司より継承し、格闘技ジム「T.B.NATION」を設立。172センチ、80キロ。

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