キャバ嬢時代は散財生活、夜の世界の学びを生かして1億円の営業社員に 30歳女性の“奇跡の転職”
偏差値27で「高校には行きたくない」と駄々をこねて、アパレル勤務の副業で始めたキャバクラの稼ぎを散財。「今のままじゃダメだ」と気付いて……。一念発起して転職、エクセルを知らなかった状況から営業担当として中古車販売で年間1億円の売り上げを達成した。現在は、総務・広報・人事として会社を支えるための裏方業務にまい進している。「一歩引いて、人の話を聞く」。夜の店でも、営業の仕事でも、聞き役スタイルに磨きをかけ、成果を出してきた。そんな“元キャバ嬢”30歳女性社員の、前を向き続ける人生に迫った。

アパレル勤務の副業でキャバクラに勤め始めて…
偏差値27で「高校には行きたくない」と駄々をこねて、アパレル勤務の副業で始めたキャバクラの稼ぎを散財。「今のままじゃダメだ」と気付いて……。一念発起して転職、エクセルを知らなかった状況から営業担当として中古車販売で年間1億円の売り上げを達成した。現在は、総務・広報・人事として会社を支えるための裏方業務にまい進している。「一歩引いて、人の話を聞く」。夜の店でも、営業の仕事でも、聞き役スタイルに磨きをかけ、成果を出してきた。そんな“元キャバ嬢”30歳女性社員の、前を向き続ける人生に迫った。(取材・文=吉原知也)
優しい笑顔とほんわかした雰囲気が印象的。「それまでがどうだったか、というより、そこからどう働いて、結果を出すか。それが大事だと思います」。説得力のある言葉を響かせる。中古車自社割賦(かっぷ)販売事業などを手掛ける「human joint株式会社」(東京)に勤める鈴木愛実さんだ。
千葉で生まれ育った。もともと勉強が苦手で、中学3年生の時に、まず何から勉強したらいいのか分からなかったため、ひとまず塾の夏季講習を受講してみた。テストで出た偏差値は27。先生たちは「初めて見た」と衝撃を受けていたという。希望校の受験結果は不合格で、「もう高校に行きたくない」とごねた。心配する両親から説得され、通信制の高校に入学。月1回の登校日などに積極参加し、友達を作って楽しく過ごした。
高校卒業後は、地元でアパレルスタッフとして働き始めた。「アパレルで働いていると、結構持ち出しが多いんです。洋服は社割があって6割引きとかですが、季節ごとにたくさん買う必要があります。化粧品代もかかります」。20歳を過ぎてお酒が好きということを自覚するようになると、「飲みに行くことも多くなり、『あれ? お金が足りないな』となって。田舎だからなのかは分かりませんが、周りではキャバクラで働く子も多く、私自身も接客が好きなので、友達と一緒に『やってみよう』となりました」。22歳の時だった。
本業の収入では足りず、軽い気持ちで始めた夜の副業。持ち前の明るさから指名客が付き、週2、3回の勤務で本業以上の月収を得る時期もあった。「お酒が大好きなので、キャバの方は仕事に行くという感覚はあまりなく、苦に思うこともなかったです。お客さんにテキーラを勧めるのが得意でした(笑)。でも、今となっては後悔しているのが、副業の稼ぎは、飲みに行ったり、自分の好きなブランド服を買ったり、ほぼ使い切ってしまったことです」。若さもあって「今が楽しければいい」と、貯金をまったくしない生活を送ってしまった。
25歳を前に、次第に“現実”が見えてくるようになった。「高校の友人が離婚をしてシングルマザーになって、子どもを抱えながらの就職活動で苦労するのを間近で見て、私自身も年齢を意識し始めて、『このままじゃダメだ』と気付きました」。アパレルを退職し、約3年間のキャバ嬢生活に区切りをつけるべく、転職活動を始めてみたが、「学歴も手に職もなく、かなり苦労しました。面接の際にアパレル勤務からの空白期間を聞かれると、キャバクラ勤めのことを正直に話しました。ウケがいい時もありましたが、人事の方が『あっ』となって気まずい感じで終わってしまうこともあって……」。困って常連の指名客に相談したところ、「うちの会社で働きなよ!」と誘いを受けた。現在勤める会社の男性幹部社員だったのだ。光明が差した。
25歳の冬に転職すると、早速営業部に配属された。エクセルのことを知らず、「緑のファイル」と呼ぶような“ずぶの素人”から、努力を重ねていった。
「最初はたくさん怒られました(笑)。うちの会社は少し特殊な中古車販売のシステムになっています。主に自己破産や債務整理などの金融トラブルの経験がある人で、地方で暮らしていて車がないと仕事や生活ができないという顧客に、信販会社を通さない自社ローンの形式で中古車を販売しています。数字が大の苦手だった私ですが、データ活用を学んでいきました」
着目したのは、売れなかった時の事例だ。「『なぜ商談の途中で離脱したのか』をテーマに、やりとりを解析するツールを用いて、商談時間や顧客の反応などを分析していきました。商談時間が長ければ成約率が高いわけではなく、短過ぎると判断材料が少なくて悩んでしまう。最適なデータを活用すると共に、『ダメなところも伝える』ことを重視しました。例えば、顧客がデザインを気に入っている車であっても、Bluetoothが付いていないといった機能性のデメリットを伝える。顧客に不利なことも、正直に言うようにして、信頼を勝ち取ることを大事にしてきました」。入社6年目で、月間30台をたたき出すなど年間で100台以上、1億円超の売り上げを記録した。6~7人のチームを引っ張る役職で活躍し、営業担当として大きな成果を導き出した。

「常に一歩下がって接客すること、一線を引くことを心がけています」
キャバ嬢時代からの“接客術”も原動力になった。「相手の感情に入り込み過ぎない。これは、夜の世界から学んだことの1つでもあります。キャバの新人時代に、指名客にマンションを買ってもらった同僚の子がいたのですが、感情の行き違いがあって、指名客が店に怒鳴り込んできたことがありました。その場を目撃して、相手と距離感を保つことは大事だなと実感しました。私自身、人の話を聞くことが好きなので、基本聞き役です。相手の話や振る舞いを見聞きして、相手が楽しくなるような雰囲気を作り出す。そんなスタイルです」。
相手に親身になりながらも、一歩引いて、冷静に考える。それは、営業の仕事にも通じるものがあった。「今の会社の顧客は事情を抱えている人が多く、大丈夫という話であっても、支払いが滞ってしまうこともあります。営業担当の私が『信じていたのに』と感情的になってしまうと、人間不信に陥り、コミュニケーションがうまくいきません。常に一歩下がって接客すること、一線を引くことを心がけています」と教えてくれた。
今年2月からは、バックオフィスの中核を担う立場で、会社の労働環境改善など、重要任務を任されるようになった。明確な数字目標はなく、社員間のコミュニケーションをより円滑にすること、多くの企業が抱える悩みである“離職問題”など、新たな課題に取り組む日々だ。社員の平均年齢は27歳で、地方店舗の社員と本社はリモートのやりとりが中心。上司や幹部との会話はどうしても受け身になってしまう。風通しをよくすることに腐心している。ベトナム・ダナンへの海外研修や国内研修を幹事として取りまとめるなど、「社内のなんでも屋」として奮闘している。
水商売の勤務経験があるからと言って、卑屈になることはない。「私は、キャバクラで働いていたからどうだ、ということは気にしていません。『この職業に就いているからこの人はこうだ』という見方をすることもありません。人は置かれた環境で、自分がどう動くかということが大事だと思います」と語る。今現在は、産休に入っている女性社員の復帰後の職場環境を整えることに力を注いでおり、「こんな私を拾ってくれた会社への恩返しの思いで、日々業務に取り組んでいます。男性社員の育休も含めて、より働きやすい会社にすること。少しでも実現できるように頑張っていきます」と、笑顔で前を見据えた。
