没後20年で盟友・小川直也が明かした橋本真也の最後の晩餐 まさかの場所で「カツ丼とナポリタン」
11日は2005年に亡くなった、“破壊王”橋本真也の命日になる。これにほぼ合わせるカタチで、橋本の盟友・小川直也がYouTubeチャンネル「暴走王チャンネル」を更新。20年前を振り返り、亡き“破壊王”を偲んでいる。

「蝶野、お前連絡来てるか?」(ビッグサカ)
11日は2005年に亡くなった、“破壊王”橋本真也の命日になる。これにほぼ合わせるカタチで、橋本の盟友・小川直也がYouTubeチャンネル「暴走王チャンネル」を更新。20年前を振り返り、亡き“破壊王”を偲んでいる。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
橋本の命日に合わせ、“暴走王”小川直也が公開したのは、新日本プロレス時代、橋本の同期でもあった“黒のカリスマ”蝶野正洋との対談の際に出た、橋本に関する言動にあたる部分だった。
「橋本さんの葬式の時も、蝶野さんと2人で(棺に横たわっていた橋本の顔を)見て。まだ覚えているのは、ちょっと時間が経っちゃうと水分が抜けちゃうじゃないですか。それでちっちゃくなっちゃったじゃないですか。その時に、ちっちゃくなっちゃったなあって(いう会話を蝶野とした)。それは覚えている」(小川)
一方、蝶野は橋本が亡くなった11日の朝の様子を振り返る。
「俺には最初、新日本の坂口(征二)さんから連絡が来て。『蝶野、お前連絡来てるか?』って言われて、『なんのことですか?』って言いながらピンときたんだよ」
蝶野に対し、新日本の幹部でもある坂口氏は「(橋本が)亡くなったみたいなんだけど、まだ連絡が取れないんだ」と話したため、蝶野はすぐに橋本の携帯電話に電話を入れた。
すると、電話口には「奥さん。違う奥さん(内縁の妻)が出て。『病院からは伏せてくれ、って言われているんですけど、蝶野さんだから言います。今朝亡くなったばかりなんです」と蝶野は聞き、橋本が亡くなったことを確認したという。
実を言うと蝶野は、橋本とは亡くなるひと月前に会っていた。
「(その年の5月にあった)新日本の(東京)ドーム(大会)の後に飯でも食おうって久しぶりに2人で会って。麻布かな、西麻布か。(その時に橋本は)けがもしてて、『(橋本が創設した)ゼロワンにクーデターを起こされてて、それが許せない。でも……』っていうことで、『次のプランを考えているので、何かの時に蝶ちゃん、協力してよ』って(橋本と)話をしていて」(蝶野)
その際に蝶野は橋本に対し、「(協力することは)いいよ。だけど、まず先にリングに上がることに専念したほうがいいよって話をしてた」という。要は「経営者・橋本じゃなく、レスラー・橋本を見せなきゃダメだ」(蝶野)と橋本に伝えていたのだ。
ところが橋本は、ゼロワンの選手や関係者に裏切られたことが許せなかったそうで、「あいつらを成敗しないと俺は前に行けないんだ」と話していたため、蝶野は「そこにこだわりすぎて」いると感じたと明かす。
「真也だけに深夜」(橋本の師匠・アントニオ猪木)
蝶野としては、「俺はホントは5月もドームがあって、ホントは武藤さんも(ドームで)試合があって、(橋本も)リングに上がろうって。(橋本・武藤・蝶野による闘魂)三銃士の時代も終わりかけてたから、(3人で)リングに上がって花火をぶち上げようと思っていたから。だから当日のドームの近くにも(橋本は)来ていたんだけど、数時間前に電話がかかってきて、『ドームは行けない。俺が今、公に出てると、(借金の関係で)非常に厄介なことになる」と告げられていたと明かした。
また、蝶野はその段階で「(橋本には)心臓の不整脈もあって、カテーテルを入れるっていう話を聞いていたのね。だから顔色が悪かったよ」と話し、橋本の体調が決してよい状態ではなかったと感じていたという。
ちなみに、橋本の訃報を正式に確認した蝶野が思ったことがある。それは橋本が空腹で亡くなったかどうかだったが、最後を看取った女性から「前日は腹一杯飯を食ってました。ファミレスで好きなだけ食べていた」と聞き、「じゃあ、大丈夫だ。悔いなく逝けたと」「空腹のまま死んでいたら、呪って出てきそうだもんな。成仏しないと思っちゃう」と当時の心境を明かすと、小川の口から、橋本の最後の晩餐はナポリタンと聞いたという話も語られた。
いつだったか小川から、橋本はナポリタン以外にカツ丼も平らげており、場所はクラブのVIPルームだったらしいと聞いたことがあるものの、そうした話がどこまで事実だったのかは定かではない。
以下、両者のやりとりを記載するが、両者が橋本と深く関わり、かつ非常に敬愛していたことがうかがえる。
小川「若手時代は同じ釜の飯を食うわけじゃないですか。その時も(橋本は)腹一杯食っていましたか?」
蝶野「食ってたよ。量をさらに食ってたよ。俺とか武藤さんはそんなに食わないけど、橋本選手の場合は量を食ってたよ。寿司も焼肉も行って、体重計に乗ると8キロ増えてたもん。『これでパワーアップしてる』って言ってベンチプレスを200キロを上げて。わけがわかんない」
小川「夜に(練習を)やるのが大好きなんだよ。だから(師匠の)猪木さんに言われてたもん。『真也だけに深夜』って。『夜やるのが大好きらしいぞ』って。大変だったんだよ、猪木さんはすぐそういうことを言うからさ」
蝶野「だけど、よく(橋本と)一緒にいられたよね」
小川「焼肉と寿司のコンビネーションが(大変でした)。焼肉屋に行くじゃないですか。その後、寿司屋にも行くんですよね。あれはなんなんですかね。その頃(の小川)は食事を(制限して肉体を)シェイプしていたから(量を)食えないので、いつも隣で(橋本が)『お前、食えねえのか』って自分ばっかり食ってて。遠慮がなかったですね」
蝶野「だから(小川は)橋本選手と一番長くいられた選手だと思うんだよなー。だから変わってるんだよね」
小川「(橋本は)お兄さんみたいな感じだったですよ。弟みたいにかわいがってくれたんで、面白かったですよ」
あれから早20年。もし今も生きていたら、今年で還暦を迎えていた“破壊王”橋本真也。たしかに生前、問題行動は多岐に渡ったかもしれないが、それでも橋本が愛すべきプロレスラーの筆頭株だったことは、決して忘れてはならない。
(一部敬称略)
