紗倉まな「成績は良かった、でも…」 高専出身の異色作家が抱える“教養コンプレックス”
作家・セクシー女優として活動を続ける紗倉まなが、自身の原点ともいえる千葉の国立の工業高等専門学校(以下、高専)での青春時代を振り返った。新刊エッセイ集『犬と厄年』(講談社)では、自身の半生を率直につづっており、そのルーツとも言える高専での日々についても触れている。

エッセイ集『犬と厄年』を刊行
作家・セクシー女優として活動を続ける紗倉まなが、自身の原点ともいえる千葉の国立の工業高等専門学校(以下、高専)での青春時代を振り返った。新刊エッセイ集『犬と厄年』(講談社)では、自身の半生を率直につづっており、そのルーツとも言える高専での日々についても触れている。(取材・文=平辻哲也)
もともと、千葉県内の小中高一貫の女子校に通っていた紗倉。そのまま高校に進学せずに高専を選んだのは、担任の理科教師からの一言がきっかけだった。
「女子校では理科と数学だけ異常に成績が良くて、先生から『分かりやすく理系なんだな』って言われたんです。このままずっと女子校にいるのも飽きそうだなあ、と思っていたタイミングだったので、自由な校風の高専にひかれて受験しました」
千葉県にある国立の高専は、中学卒業後に入学し、5年間で専門技術を学ぶ国立の高等教育機関。全国に51校ある国立高専のひとつで、理系・工学系分野に特化した人材育成を目的としている。
実際に通ってみると、好きな科目が多く、学業は充実していた。高専時代は寮生活。テレビは禁止され寮の規則も厳しく、その当時に流行していたものや時事的な情報がまるで分からなかったという。
「自分でいうのはなんですが、成績は良かったんです。とはいえそれは高専内での話で、専門的な勉強に没頭しつつも一般教養は身についておらず、それが仕事を始めてからのコンプレックスになってしまいました。当たり前な話ですが、私のこの仕事だと高専で得たものを生かせる場ってあまりなくて……。ニュースのコメンテーターや執筆業をしていると、ああ、大学の文学部とか政治学部に行っておけばよかったって思うこともあります」と苦笑いする。

AV界で高専出身の女優は極めて珍しく、その背景は彼女の個性や話題性にもつながっている。高専時代は「自由すぎる空気」があった。
「授業中にギターを弾いたり、パソコンを分解し始める人がいたり、とにかく変わった人というか面白い人ばかりでした。でも、同級生からは『お前が一番変わっている』と突っ込まれます。まあ、AVの道を選んでいるんですから、そりゃそうですよね。校則も『法律を犯さなければOK』みたいな感じで、髪も金髪やピンクやオレンジとみんな華やかでした。私も自分でブリーチをして、てっぺんだけ真っ白な下手くそな染め方での金髪でした。その写真を今の事務所に応募する際の履歴書に使っていて、マネジャーからは『金髪じゃない方が似合うと思うよ』とアドバイスされましたね」
また、学科によって男女比は異なるものの、全体的には男子が圧倒的に多かった。
「私の学科は女子が多めだったのですが、学科によってはクラスに1人だけ女子、といった具合で圧倒的に男子比率が高かったです。コンドームに水を入れてドッジボールしてるのを見たときは、本当にやめてって思いました(笑)」
高専では卒業後は企業就職に直結するケースが多いが、大学3年次への編入制度も整備されており、進学志向の学生にも門戸が開かれている。紗倉も当初は大学編入を視野に入れていた。2011年に『工場萌え美少女 紗倉まな 18歳』でイメージビデオデビューを果たした。
「(工場夜景や機械に魅力を感じる)“工場萌えキャラ”の設定に合わせて川崎まで行って工場を見たり、図鑑で部品を調べたりして、レポート三昧や試験前も熱心に工場関係の勉強をしていました(笑)」
当時は土日に撮影を行い、寮に戻ってレポートを書き勉強をする日々。
「今思えば、よくそんな生活が成立していたなって思います。あの頃の私はあまりにも若くて元気でパワフルで、とにかく全力で走り続けていました」。その青春の日々は間違いなく、原点になっている。
□紗倉まな(さくら・まな)1993年3月23日、千葉県生まれ。工業高等専門学校(高専)在学中の2012年にSODクリエイトの専属女優としてAVデビュー。著書に小説『最低。』『凹凸』『春、死なん』『ごっこ』『うつせみ』、エッセイ集『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』『働くおっぱい』などがある。初めて書き下ろした小説『最低。』は瀬々敬久監督により映画化され、東京国際映画祭のコンペティション部門にノミネートされるなど話題となった。文芸誌「群像」に掲載された『春、死なん』が20年度野間文芸新人賞候補作となり注目される。
