『ゴゴスマ』MC石井亮次が告白した新人アナ時代のまさかの失敗「実況をクビになりました」
フリーアナウンサーの石井亮次とミツカンホールディングスの中埜裕子(なかの・ゆうこ)代表取締役社長とのトークショーがこのほど、愛知・半田市のMIZKAN MUSEUMで開催された。CBC・TBS系情報番組『ゴゴスマ』(月~金曜午後1時55分)のMCなどで知られる石井が、中埜氏に同社の成功と失敗例を聞き出しつつ、自らの失敗談も明かした。

ミツカンホールディングスの中埜裕子社長とトークショー
フリーアナウンサーの石井亮次とミツカンホールディングスの中埜裕子(なかの・ゆうこ)代表取締役社長とのトークショーがこのほど、愛知・半田市のMIZKAN MUSEUMで開催された。CBC・TBS系情報番組『ゴゴスマ』(月~金曜午後1時55分)のMCなどで知られる石井が、中埜氏に同社の成功と失敗例を聞き出しつつ、自らの失敗談も明かした。
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ミツカンは江戸時代後期の1804年に創業。看板商品の「味ぽん」などで知られ、近年は海外事業の展開に力を入れている。中埜氏は創業家の長女で2021年5月24日に社長就任。5年目に入った大手企業のトップに、石井氏はいきなり切り込んだ。
「誕生60年以上の味ぽんですが、発売当初は全く売れなかったそうですね」
49歳の中埜氏にとっては生まれる前のことだが、味ぽんの歴史を分かりやすく説明した。
「博多の水炊き屋さんで当時の社長が感銘を受けて商品化しましたが、関東では水炊き文化がなく、味ぽんの存在を理解してもらえませんでした。そのため、(営業担当が)屋台カーでコンロを持ち込み、登場の築地(市場)で水炊きを作ってみなさんに試食してもらったんです。築地から味ぽんの逆襲が始まったと言えると思います」
それでも、鍋の季節が終わると返品が続出したが、一部の消費者から「うちでは夏でも味ぽんを使っている」との声が届いたことをきっかけに、冷しゃぶや唐揚げなどの使い方を全国に提案。それが、年間を通して安定消費のヒット商品化につながったという。
そんな成功の歴史だけでなく、石井が「失敗もあったそうですね」と突っ込んだ。中埜氏は「1971年に『ハンダス』というハンバーガー店を東京で5店舗出しましたが、ノウハウがなくて失敗し、10年ほどで撤退しました」と冷静に告白。さらには「『タイムディッシュ』というワントレー型冷凍食品を開発しましたが、解凍ムラがどうしても解決できず、お客さまに満足いただける商品になりませんでした」と振り返った。
すると、石井は「失敗から学んだことが今の強みにつながっているんですね」とうなずき、「実は僕も新人時代に失敗しまして……」と打ち明けた。
「野球実況で情景描写に集中しすぎて、肝心の第1球を言い逃してしまい、実況をクビになりました(笑)。でも、それがあったからこそ情報番組に挑戦でき、今があります」
中埜氏も「失敗が次への学びになりますよね」と同意し、「現状に満足すると成長が止まってしまいます。挑戦を続けることでお客さまの声を聞き、ニーズを見極め、進化し続けることが大切だと思っています」と実感を込めた。そして、「挑戦し続けることでしか成長はありません。これからもお客様に新しい価値を届けられるよう努力していきます」と宣言。石井も「失敗を恐れず挑戦することの大切さをあらためて学びました」と感謝の言葉を述べ、温かな拍手の中でトークイベントは終了した。
