「芸名は最初は嫌だった」 『金八』デビューのひかる一平、“事務所社長”としての覚悟「1代で終わらせるわけには」
映画『還暦高校生』(6月27日公開、河崎実監督)で、まさかの“現役高校生”役に挑んだ俳優・ひかる一平。代表作『3年B組金八先生』でデビューし、芸能生活は今年で45年を迎える。10代でスターとなり、現在は後進の育成に当たっている。その歩みを聞いた。

姉が履歴書を送ったことをきっかけに芸能界入り
映画『還暦高校生』(6月27日公開、河崎実監督)で、まさかの“現役高校生”役に挑んだ俳優・ひかる一平。代表作『3年B組金八先生』でデビューし、芸能生活は今年で45年を迎える。10代でスターとなり、現在は後進の育成に当たっている。その歩みを聞いた。(取材・文=平辻哲也)
ひかるは、姉が大手アイドル事務所に履歴書を送ったことをきっかけに高1の時に芸能界入りし、1980年、『金八先生』第2シリーズでデビュー。当時の心境を「何も分からず、ただ申し訳ない気持ちだった」と振り返る。
「芸能界に憧れて入ったわけでもなかったんです。所属していた事務所が大きくて、すべてレールが敷かれていた。自分はその上を、ただロボットのように動いていただけ。演技のことも何も分からず、ただ“やっている”という感覚でした」
そんな中で出会ったのが、『必殺仕事人III』(1982~1986年)で共演した俳優・三田村邦彦だった。
「『必殺仕事人』の頃、ようやく『役者とは?』という疑問を持ち始めたんです。現場が学び場でした。三田村さんは『太陽にほえろ!』との掛け持ちで忙しかったと思うんですが、付き人はつけないで、1人でやっている。それで、スタッフだけではなく、仕出し屋さんまで仲がいいんです。『自分が先頭に立ってやっていれば、相手はちゃんと認めてくれる』と教えてくださいました」
中でも心に残っているのは、「食うに困っても塩を舐めてでも後輩にごちそうしてやれ」という言葉。
「つまり、表現者は『時に見栄を張ることも大切』ってことなんです。以来、その教えをずっと守ってます」
三田村の言葉に背中を押される形で、事務所を移籍。ゼロからの再出発だった。
「『今のお前なら移れるけど、自分で納得いく事務所を探した方が良い』って言われて、手探りで事務所を回りました。ある社長が『面白いね』って拾ってくれて。そこから始まったんですが、結局その会社は解散して…。それでも自分で動いて『人とつながる大切さ』を学べた時期でした」
その後は表舞台を退き、主に裏方に回った。
「10代の頃からずっとやってきたので、表現者としては、どこかやり切った感があったんです。ずっとオファーはお断りしてきたのですが、今回の映画は還暦という節目でもあるし、ある意味“縁”と思ったんです」

2012年にスカイアイ・プロデュースを立ち上げ
子役を養成するプロダクションで9年間、講師を担当。有名な子役の指導にもあたったこともある。2012年に自身で立ち上げたのが、芸能プロダクション・スカイアイ・プロデュース。始まりは、わずか8人だった。
「当時は本当に博打でした。でも『商品ではなく人を育てたい』という気持ちが強かった。芸能界って、若くして売れるとモンスターになりがちです。でも、作られた人間よりも、学力があって常識がある、人として育っていることが一番大切だと思ったんです」
同事務所では、俳優経験者や外部講師を招き、演技だけでなく人間性を育てる指導を行い、約100人の役者志望を抱えている。「講師もまた現場で学び直せる環境をつくりたい」と語る姿勢に、教育者としての覚悟がにじむ。
若手育成の場では、自らの芸名「ひかる一平」の話も題材にしている。この芸名は、旧大手アイドル事務所の幹部だった女性幹部さんに高校の問題で本名が使えず相談したら今の芸名が命名された。
「最初はこの芸名、すごく嫌だったんですよ。20歳になったら絶対変えようと思っていました。でも今は“覚えてもらえる名前”の大事さとスイッチの切り替えや誹謗中傷に芸名の必要さを感じてます。だから所属の子たちにも、家族で芸名を考えさせています。親子で話し合う時間になるし、それが親子の大切なコミュニケーションにつながる」
また、東邦音楽大では非常勤講師として教壇にも立つ。
「若い子と接していると、自分も学び続けられる。『教えることで教えられる』んです。実はそれが一番楽しいんですよ」
プライベートでは1児の父でもある。
「僕が61歳で息子が16歳。息子が会社を継いでくれるのが一番いいのですが、どうするかは本人次第ですね。今は100人の人生を預かっているわけですから、1代で終わらせるわけにはいかない。ただ、優秀なスタッフもいるので、いずれは誰かに引き継いでもらえたらと思っています」
芸能界というフィールドで、10代から走り続けてきたひかる一平。還暦を迎えた今、“表”と“裏”の両方から若者たちに道を示す。その姿は、どこまでもまっすぐで、温かい。
□ひかる一平(ひかる・いっぺい)1964年5月11日生まれ、東京都出身。1980年、TBSドラマ『3年B組金八先生 第2シリーズ』の椎野一役で俳優デビュー。翌81年には旧ジャニーズ事務所より歌手デビューも果たす。『必殺仕事人III』など多くの作品に出演。2012年12月に「株式会社スカイアイ・プロデュース」を設立し、代表取締役に就任。2019年より東邦音楽大学にて非常勤講師としても活動。趣味は野球観戦。身長172センチ。
