TOKIO解散は「甘えの根源」を断ち切った決断…松岡昌宏が言っていた「1日でも早くなくした方がいい」【記者コラム】

TOKIOが25日、解散を公式サイトで発表した。解散は同日付。20日にメンバーの国分太一(50)のコンプライアンス(法令順守)違反が判明し、無期限活動休止が発表された。これに端を発し、「再び信頼をいただき、応援いただくことは難しい」と判断した。1994年9月に5人でCDデビューしたグループの幕切れ。TOKIOを90年の結成時から取材してきた笹森文彦記者が、この結末の背景を指摘した。

TOKIOの松岡昌宏【写真:ENCOUNT編集部】
TOKIOの松岡昌宏【写真:ENCOUNT編集部】

TOKIOをデビュー前から取材してきた笹森文彦氏が指摘

 TOKIOが25日、解散を公式サイトで発表した。解散は同日付。20日にメンバーの国分太一(50)のコンプライアンス(法令順守)違反が判明し、無期限活動休止が発表された。これに端を発し、「再び信頼をいただき、応援いただくことは難しい」と判断した。1994年9月に5人でCDデビューしたグループの幕切れ。TOKIOを90年の結成時から取材してきた笹森文彦記者が、この結末の背景を指摘した。

 TOKIOは旧ジャニーズ事務所から、アイドルバンドとしてデビューした。リーダー城島茂(54=ギター)、松岡昌宏(48=ドラム)、山口達也氏(53=ベース)、長瀬智也(46=メインボーカル)、国分(キーボード)の5人組。ジャニー喜多川氏が「東京発の世界アイドルに」と願い、「TOKIO」と命名した。

 デビュー当時のマネジャーは、後に旧ジャニーズ事務所の社長となる藤島ジュリー景子氏だった。同氏はTOKIOや嵐のマネジメントに力を注いだ。TOKIOはNHK紅白歌合戦に、同事務所所属では最高となる24年連続24回出場を果たしている。

 そんな順風満帆のTOKIOに衝撃が走ったのが、2018年に発覚した山口氏の女性への不祥事だった。山口氏は反省をしつつも謹慎に入る前から「TOKIOに戻りたい」と口にした。だが、松岡は残る4人で会見した際に「その甘えの根源が僕らTOKIOだったとしたら、あくまで自分の意見ですけど、そんなTOKIOは1日でも早くなくした方がいい」と言い放った。そして、山口氏は復帰を諦め、グループを脱退して事務所を退所。芸能界も引退した。

 その後、長瀬が「裏方として新しい仕事をしたい」と21年に事務所を退所した。TOKIOは城島、国分、松岡の3人となった。振り返ると、城島と松岡はインタビューでこう話していた。

城島「城島茂というリーダーがどこに向かって走っていくのかを考える時、『TOKIOが走り続けるから自分がある』に行き着くんです」

松岡「夢を持って意地を張って生きて行く。この夢と意地の生きざまを僕は常に意識しています。これからもずっとです」

 TOKIOの解散は、城島と松岡の2人で決断したと聞いている。もちろん、けじめの意味合いが大きいだろうが、城島は「TOKIOが走り続けられなくなった」と感じ、松岡は「夢を持てず意地を張れなくなった」と思ったのではないか。山口氏による不祥事での会見の際、松岡が言った「その甘えの根源が僕らTOKIOだったとしたら、1日でも早くなくした方がいい」の言葉。まさに、根源を断ち切った解散だった。

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