AKB48など手掛けた衣装は4万着以上…デザイナーが語った“秋元康マジック”「実はとても情に熱い」
女性アイドルにとって衣装とは、かわいらしさと個性を演出するもっとも重要な要素の一つ。ファンも“推し”の衣装には熱視線を注ぐ。そんなアイドル衣装を生みだしてきたクリエイティブディレクター・茅野しのぶさんが自身の半生と衣装への愛をつづった初の著書『アイドル衣装のひみつ~カワイイの方程式~』(Gakken刊)を6月5日に発売した。その歩みはAKB48から始まり、これまで実に約4万着以上も手掛けてきたという。成功の背景には、音楽プロデューサー・秋元康氏の存在があった。

オサレカンパニー・茅野しのぶさんインタビュー
女性アイドルにとって衣装とは、かわいらしさと個性を演出するもっとも重要な要素の一つ。ファンも“推し”の衣装には熱視線を注ぐ。そんなアイドル衣装を生みだしてきたクリエイティブディレクター・茅野しのぶさんが自身の半生と衣装への愛をつづった初の著書『アイドル衣装のひみつ~カワイイの方程式~』(Gakken刊)を6月5日に発売した。その歩みはAKB48から始まり、これまで実に約4万着以上も手掛けてきたという。成功の背景には、音楽プロデューサー・秋元康氏の存在があった。(取材・文=福嶋剛)
――秋元康さんとの出会いからお聞きします。著書にはAKB48第1期生募集のポスターを見て「衣装を作らせてもらえるなら何でもやります」と自ら売り込んだことで始まったと書かれています。
「22歳の時でした。もし、これが3年、5年後だったら、今の私はいなかったなって」
――なぜでしょう。
「振り返ってみると、私自身、若くて元気で『アイドルに素敵な衣装を着てもらいたい』という情熱だけで突っ走っていました。そのため、当時は秋元さんや(衣装の)メーカーさん、工場の方にもずいぶん迷惑を掛けましたが、同じくらい、秋元さんをはじめ、みなさんに助けていただきました。そうやって世の中のことを深く知る前に教えてもらった探求心、好奇心、行動力が今の私の大きな財産になっています」
――具体的には、どう突っ走ったのでしょうか?
「若くて無鉄砲だったからこそ、できたと思っていますが、2007年のヒット曲『会いたかった』の衣装を作る時、実は予算が足りなくて自分でネクタイとスカートを作り、シャツは既存のものを買って加工しました。でも、ジャケットだけは、欲しいブランドがあって、予算内で収まらなかったんです。それでメーカーに足を運び、『AKB48というアイドルに着せたい衣装なんですが、何とか安くしてもらえませんか』と直談判しました。メーカーさんは『2、3割なら』と言ってくださったのに私は無謀にも『半額にしてもらえませんか』とお願いをしました。今だったら絶対できないことですが、何度断わられてもお願いに行きました。そしたらメーカーさんも根負けして承諾してくださいました。それからそのメーカーさんの制服を使わせていただき、とても良い関係になりました」
――では、茅野さんから見た秋元康さんはどんな方ですか。
「秋元さんこそ情熱の人だと思います。やっぱり情熱がないと人を動かすことはできませんし、秋元さんはそんな人たちの熱意を絶対に無下にしない方です。見た目がクールな印象ですが、実はとても情に熱くてスタッフ一人ひとりを大切にされる方です。受け身の人より、『怒られてもいいや』という感じで向かってくる人に対しては、誠実に向き合ってくれますし、チャンスを与えてくれる方です」

「秋元さんが想像できるようなものを出しているうちはダメ」
――チャンスをもらえる一方で厳しい教えもあったのでは。
「もちろんプロデューサーでいらっしゃいますから、厳しいことをたくさん言われてきました。でも秋元さんのダメ出しにはいつも学びがありました。どうしてダメなのか丁寧にその理由を説明してくださったんです。よく言われたのは『受け取る相手の琴線に触れるような考え方をしなければいけない』ということです。そばで学んでいくうちに秋元さんの頭の中を少し覗けるようになった気がしています。そこで分かったのは『秋元さんが想像できるようなものを出しているうちはダメだ』ということです」
――独創的で秋元さんが思いもよらぬ形を、ということでしょうか。
「そうですね。もちろん秋元さんが望むことを形にするのが私たちの仕事ですが、その中でも『へえ、そんな風にしたんだ』って秋元さんが感心してくれるようなものを作らないといけないと思いました」
――印象的なエピソードがあれば教えてください。
「AKB48の『根も葉もRumor』(21年)を初めて聴いた時、ダンスもそろっていてカッコいい曲だったので、私は洗練された衣装のデザイン画を提出しました。すると秋元さんは『違う』とおっしゃって『カッコ良さだけならどんなに彼女たちが努力しても、K-POPには負けてしまう。AKB48の良さは、泥臭さのあるカッコ良さなんだ』と。それで学校でダンスをしているような制服をモチーフにした衣装にしました。加えて秋元さんから『メンバー1人ずつ何か小物をつけて欲しい』と言われ、『誰かにマスクを付けてみては』とアドバイスされました。ファンに推しの顔の一部が見えないマスク姿を受け入れてもらえるのか不安でしたが、秋元さんと相談した結果、大西桃香(2024年2月卒業)に決まり、桃香に説明すると『大丈夫です!』と言ってくれました」
――やってみていかがでしたか。
「それが予想をはるかに超え、桃香のSNSのフォロワーが爆上がりしたんです。歌番組に出るたびに『あの子だけマスクをしているのはなぜ』と注目され、マスクの下の顔が見たいとネットで検索されました。『何でこんなにかわいい子がマスクなの』って、それこそファンの琴線に触れて桃香の人気に繋がりました。これぞ『秋元康マジック』だなって思いました」
――著書では、衣装を作る上で「プロデューサー目線」「アイドル目線」「ファン目線」という茅野さんにとって大切な3つの視点で触れています。秋元さんの視点とは?
「秋元さんは『AKB48に興味のない人をどうやったら振り向かせることができるのか』を考えてきた方なので、メンバーのこと、ファンのことを大切にした上で常に物事の全体を俯瞰(ふかん)で見ている方だと思います」
――最後の質問になりますが、茅野さんは現在、現場だけではなく、後進の指導にもあたっています。次の世代を育てる上で大切にしていることとは。
「私は昔から才能があるタイプではなく、運が良かっただけでここまで来たと思っています。ただし、チャンスが巡ってきたら後先考えずに、とにかくやってみました。若い方たちにはたくさんのチャンスがありますけど、情報があふれた今の社会では、かえって惑わされ、挑戦しない方も多いと感じました。私が秋元さんから教えてもらったことは『優れた先人たちがやってきたことをなぞってもしょうがない。感心するような発想を』ということです。今度は私が彼らの長所を見つけ、才能を伸ばしてあげたい。次の未来につながればという思いで、活躍の場を作りたいと思います」
□茅野しのぶ(かやの・しのぶ) 1982年7月9日生まれ。埼玉県出身。株式会社オサレカンパニー取締役兼クリエイティブディレクター。AKB48創設当初より総合プロデューサー、秋元康氏の下で衣装担当として活動。その後、デザイン・衣装・ヘアメイクなどの事業を担うオサレカンパニー社のクリエイティブディレクターに就任。メンバーの個性を引き出すデザインと豊富なバリエーションで、これまでに携わってきた衣装はおよそ4万着。AKB48以外にも、=LOVE、≠ME、≒JOYといったアイドルから、声優、コスプレイヤー、2.5次元アーティストの衣装も手掛ける。さらに近年は、学校・医療の制服のプロデュースにも尽力している。
