米倉涼子、転機は米NYのブロードウェイ「真っ白になった。記憶ない」

俳優の米倉涼子が12日、都内で行われたウブロ「ビッグ・バン」20周年記念イベントに出席した。自身の転機について語った。

イベントに出席した米倉涼子【写真:ENCOUNT編集部】
イベントに出席した米倉涼子【写真:ENCOUNT編集部】

山崎賢人との“再会”にしみじみ「手の届かないくらい大人に」

 俳優の米倉涼子が12日、都内で行われたウブロ「ビッグ・バン」20周年記念イベントに出席した。自身の転機について語った。

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 スイスの高級時計ブランド「ウブロ」は、2005年に発表したアイコンウォッチ「ビッグ・バン」の20周年記念イベントを開催。ブランドアンバサダーの山崎賢人、そして長年ウブロを愛用している米倉がトークセッションなどに参加した。

 同時計の商品名にちなんで、自身の転機を問われた米倉は「本当に今でも思い出せるくらい、自分の中でビッグバン、怖さとうれしさと、衝撃があったのがニューヨークのブロードウェイで『シカゴ』をやらせていただいたこと」と回顧。「(ステージへ)バッと出ていったときに、本当に真っ白になった。自分が最後までやりきったことが、あまり記憶にないというか。それくらい緊張とうれしさがあって、なんか本当に爆発した感じだった」と振り返った。

 同じ問いに山崎は「まずこの芸能界にスカウトされて入ったのが、ビッグバンだった。そこから1個1個、どの作品も大事に、自分の中でやってきた。それこそ18歳のときに、米倉さんと共演させていただいたドラマ(『35歳の高校生』)で、(世間の人々に)すごく見ていただいて、注目してもらった。それこそ転機になった。2回目のビッグバンが来たなと思いました」と語った。米倉は「うれしいです。今日賢人くんに会えたこともビッグバンだと思う。本当に一緒に、私同級生として仕事していた。だからそのときの賢人くんとはぜんぜんもう、手の届かないくらい大人になってしまって」と目を細めた。それを聞いて山崎は「もう30になりました」と笑った。

※山崎賢人の「崎」の正式表記はたつさき

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