中山秀征の芸能人生を変えた「結婚」 妻との出会いで“愛されキャラ”の地位を確立
芸能生活40周年を迎えたタレントの中山秀征(57)が自身のコミュニケーションスキルの極意を言語化したビジネス書『気くばりのススメ』(すばる舎)を5月26日に発売した。長年にわたり、テレビ業界の最前線を走り続け、芸能界きっての“愛されキャラ”としての地位を確立した中山だが、過去には“裸の王様”になりかけていた時期もあったと明かす。そんな中山に意識の変化を与えたのが「結婚」という大きな人生の転機だった。

最愛の家族への感謝「妻や子どもが一番」
芸能生活40周年を迎えたタレントの中山秀征(57)が自身のコミュニケーションスキルの極意を言語化したビジネス書『気くばりのススメ』(すばる舎)を5月26日に発売した。長年にわたり、テレビ業界の最前線を走り続け、芸能界きっての“愛されキャラ”としての地位を確立した中山だが、過去には“裸の王様”になりかけていた時期もあったと明かす。そんな中山に意識の変化を与えたのが「結婚」という大きな人生の転機だった。(取材・文=中村彰洋)
2025年、中山は渡辺プロダクション(現:ワタナベエンターテインメント)からデビューして40周年を迎えた。そんな節目のタイミングに中山の処世術ともいえる「気くばり」に特化した書籍が刊行された。昨年には約30年ぶりの著書『いばらない生き方―テレビタレントの仕事術―』(新潮社)を執筆したが、これで2年続けての出版となった。
「去年は連載をしていたこともあって、それを1冊にさせてもらいました。それまでも本のお話をいただくこともありましたが、照れくささがありました。でも、『私が経験してきたことで良いのであれば』ということでやらせていただくことにしました。前回執筆している中で、自分の頭の整理をすることもできました。それに、自分では当たり前と思っていたことが、意外と当たり前じゃないということにも気付けました。
今回、この本を書くにあたって、ベストセラー作家の永松茂久さんがこの話を持ってきてくださったんです。『人は話し方が9割』という本が有名ですけれども、『それを地でいってるのはヒデさんですよ』と言っていただいたんですよね。僕も読ませていただいた時、『あ、しゃべり方をこうやって分解すれば良いのか』とハッとさせられました。『どうやったら分解できるの?』と聞いたら、『できますよ! 実はタイトルは“気くばりのススメ”にしようと思ってるんです』と言うわけです。『ヒデさんこそ気くばりです。日常でやってることを本にしませんか』と」
芸能界だけでなく、さまざまな職種の人たちと会話する中で、コミュニケーションに悩んでいる人が多いという現実に気付かされたこともきっかけの1つになっていた。
「上司部下の関係で言うと、互いに気を使いすぎているんです。上司は上司で『これを言ったらセクハラ、パワハラになる』と気にして言葉数が減っていく。下の子はタイミングが分からず、すぐ近くにいてもLINEで連絡を取ろうとしたりする。そうなってくると、日常的な会話がないんですよね。
会話というのはあいさつから始まるんです。言葉のキャッチボールは、最初は軽く天気の話などから始めればいいんです。そこから徐々に本題に向けて強いボールを投げればいいのですが、その距離感がつかめずに始めから強いボールを投げてしまっているんです。そういったノウハウをできる限り伝えられたらと思っています」
これまでの芸能生活で偉大な先輩たちから学んだコミュニケーション術。今回、言語化することで再認識することもあったという。中でも改めて「笑顔」の重要さを強調する。
「自分では笑ってるつもりでも、笑ってないと言われる人って結構いると思います。そんな人は鏡を見てみたほうがいいと思うんです。こういった『私はそんなつもりじゃない』というのが日常にはあふれています。もう1回見直してみるだけで、印象が変わるはずです」

時代への順応は意識せず「ただ環境が変わっていっただけ」
かくいう中山も、初めから“気くばり”ができていたわけではなかった。30歳で迎えた結婚という人生のビッグイベントが大きな転機だったと明かす。
「10~20代中盤ぐらいまでは、自我が強かったと思います。人の意見も聞くけれど、半分は聞き流していたと思います。それが結婚したことによって、それぞれ意見が違うんだ、ということを痛感しました。夫婦といえど他人と生活することになったわけです。習慣も違ってくると、それで揉めたりするわけですね。
例えば、僕は群馬出身なので、何にでも醤油をかけるんです。ある日、妻の塩鮭に醤油をかけていたら『キャー!』と叫ぶわけです。僕は『え?』って(笑)。そしたら『何やってるの!』と怒られちゃって。僕は良かれと『やってあげた』つもりで、『ありがとう』と言われると思っていました。でも僕の良かれが彼女の良かれではないということに気付かされました。妻と生活するようになって、これまでにもありがた迷惑だったことがたくさんあったんだろうなと分かったわけです」
そんな経験をしていく中で、過去の自分の言動と向き合った。そうすることで過去の自分が“裸の王様”になりかけていたと気付くこともできたという。
「16歳から芸能の世界だけで育ってきたので、その世界の当たり前がしみついていたんです。でもそれは日常生活には当てはまらないことだらけでした。それに、僕が主役やMCをやっていると周りが気を使って、意見を押し切れちゃっていたんです。小山の大将だったんでしょうね。収録が終わったら必ず打ち上げをする、それが労いだと思っていたわけです。『飲みに行くぞ、俺についてこい』と豪快でかっこよくいたかったんでしょうね。でもそれは、ただ自分が大将でいたかっただけなんですよね。自分の話をして、みんなが『そうですね、そうですね』と言ってるのを聞くのがうれしかった。人の話を聞こうとしない、典型的なコミュニケーションがへたな人間だったと思います」

子どもが生まれたことによって“芸能一色”だった交友関係も徐々に変化。自然と考え方も変わっていった。
「テレビの世界から昭和の香りが段々と抜けていき、平成、令和と移っていく中で、『どうやってヒデさんは変化していったんですか?』と聞かれることがあるわけです。でも私は無理に変化させたことは1度もなくて、結婚して、子どもが1人生まれて、7年後には4人目。そうやってただ環境が変わっていっただけなんです。
変わりゆく日常の中で、考え方も自然と変わっていきました。テレビでの私の発言内容も変わっていると思います。全ては夫婦の問題、家族の問題、他者との人間関係というものに真正面から向き合っていった結果なんですよね」
「あの時に結婚していなかったら、どうなっていたか分からないですね」と笑うほどに、中山の芸能人生に影響を与えた。
また、息子たちには日々の生活の中で、日常的に同著で記したような内容を伝えているという。
「この本は僕が普段伝えていることのまとめのような形になっています。外に出た時に息子たちが実際に実践している姿を目の当たりにすると、『ちゃんとできているな』とホッとしたりもします。息子たちにも機会があったら読んでもらいたいですね。『あ、こういうことが言いたかったんだな』と気付いてもらえると思います」
50歳のタイミングで両親を亡くしたことで、家族との向き合い方にも変化が生じた。
「僕は散々自分のやりたいことをやってきたので、年齢を重ねてからは、親が喜んでくれることが喜びでした。そんな両親を50歳で失った時に、息子たちはこういうふうに親を思える子どもになっているんだろうかと考えるようになりました。それと同時に、この子たちのやることを喜んであげられているのだろうかと考えさせられました。これまでも当然やってきたつもりでしたが、両親の死をきっかけに、ハッキリと変わったと思います」
「妻や子どもが一番。まずは幸せであることですね」。家族の存在がなければ、芸能界の第一線で活躍し続けることは難しかったかもしれない。“気くばり”の大切さに気付かせてくれた感謝の思いとともに、これからも家族孝行を続けていく。
