【プロレスこの一年 ♯9】クラッシュ・ギャルズで日本中が女子プロブームになった85年 馬場と猪木のトップ会談
ハワイで実現した馬場、猪木、坂口によるトップ会談
ブロディに去られた新日本だが、その6日前、12・6両国で旧UWF軍団が新日本マットに登場。前田日明、藤原喜明、木戸修、高田延彦、山崎一夫の5選手がリングに上がり新日本参戦をアピールした。新日本とUWFが業務提携を結んだのだ。
この年、旧UWFは前田とスーパー・タイガー(佐山聡)のスタイルをめぐる対立から崩壊。9・2大阪での一騎打ちが決定的亀裂をもたらしてしまったのである。結局、UWFは9・11後楽園を最後に消滅。10月9日&20日におこなわれるはずだった「無限大記念日」は中止となり、10月11日に佐山が脱退を宣言、11月には事実上の倒産となった。そして、前田らはマット界での生き残りを賭け古巣に舞い戻る決断を下したのである。
一方、ジャパン陣営を囲い込んだ全日本ではリング上の戦いが充実。秋には日本テレビでのゴールデンタイム放送が6年半ぶりに復活し、10・21両国ではNWA世界ヘビー級王者リック・フレアーとAWA世界ヘビー級王者リック・マーテルが史上初のダブルタイトルマッチで対戦。両者リングアウトで2冠王者誕生はならなかったとはいえ、日本でこのカードを実現させたのは馬場だからこその外交手腕だった。その馬場は年末の世界最強タッグ決定リーグ戦で長州と初対決(12・3名古屋、馬場&ドリー・ファンクJr組VS長州&谷津組)。「俺たちの時代」を叫んでいた長州との30分フルタイムのドローで底力を見せつけた。長州はこれに先立つ11・4大阪城ホールでは鶴田との初シングル。こちらもフルタイム(60分)によるドローだったが、鶴田の無尽蔵なスタミナがより強調される戦いとなった。勢いに乗る長州軍に対し、全日本のトップクラスが立ちはだかった一年とも言えるだろう。全日本にとって、ジャパン軍は実現し得ない仮想新日本でもあったのではないか。
そして年末には、全日本と新日本の両団体が目に見えないところで歩み寄りを見せる。度重なる引き抜きをよしとしない風潮が両団体に芽生えはじめ、12月13日に馬場と猪木が極秘対談、選手引き抜き防止協定を締結するに至ったのだ。さらに同19日にはハワイにて馬場、猪木、坂口によるトップ会談が実現。81年からつづいてきた引き抜き合戦に一応のピリオドが打たれる形となったのである。
この年、海外では3月31日にWWFがニューヨークで「レッスルマニア」を開催。大会の模様は全米135カ所でクローズドサーキット上映された。前年にスタートしたハルク・ホーガンをエースとする全米侵攻作戦が大きな前進を見せることとなるのである。「レッスルマニア」は現在もつづくWWEの年間最大イベントだ。11月にはシカゴでホーガンVSロディ・パイパーをメインに初のPPVイベントを開催。85年はWWF(現WWE)の新メディア戦略がスタートした年と位置づけられるだろう。また、年末の12月29日にはハンセンがマーテルからAWA世界ヘビー級王座奪取を果たしている。
クラッシュブームによる女子プロの繁栄と新日本VS全日本の興行戦争。リング上では全日本マットで全日本とジャパン勢の対抗戦が激化し、新日本はピンチにさらされながらも常に話題を提供、年末にはUWFを加え起死回生の一手を打った。今思い返してみても、すごい時代だったのだ。