蝶野正洋、小川直也との初対談で“1・4事変”に言及「ゴールデンを経験した人は世間の動かし方が違う」
YouTubeチャンネル「【公式】蝶野正洋チャンネル」と「小川直也の暴走王チャンネル」のコラボ企画後編が8日に公開された。前回に続いて衝撃の内容が明かされている。

「猪木さんの言うことは絶対だよ、オーちゃん」(佐山)
YouTubeチャンネル「【公式】蝶野正洋チャンネル」と「小川直也の暴走王チャンネル」のコラボ企画後編が8日に公開された。前回に続いて衝撃の内容が明かされている。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
のっけから話題になったのは、例の「1・4事変」について。「1・4事変」とは1999年1月4日に開催された新日本プロレスの東京ドーム大会において、UFO(世界格闘技連盟)の小川が、当時、新日本の看板選手だった橋本真也に対し、プロレス界における暗黙の了解を超えて仕掛けたとされ、業界史に残る大騒動に発展した件。
この件について蝶野は、「あの時、手術かなんかしていて、解説なんですよ、メインの。あれはだからモニターで見ていて、なんで(橋本真也は)やり返さないんだっていうのがものすごく不思議だったんだけど、ただ、YouTubeなんかに出てるけど、前の試合(1997年5月に大阪城ホールであった、小川VS橋本戦の2戦目)でとんでもない蹴られ方をしているよね。あれはやり返されてもしょうがないなっていうくらい、橋本選手は同じような蹴りを(小川の)顔面か何かにパカーンと入れている」と小川の際どい攻撃の発端は、プロ入りした直後の橋本戦にあったと推察した。
実は「1・4事変」での小川VS橋本戦を見聞きした蝶野は、「この会社、腐ってる」と吐き捨てているが、蝶野はこの時のことを「(小川に)一緒についてる先輩が曲者でしょ。佐山(サトル)さんに(アントニオ)猪木さんでしょ。やっぱねえ、ゴールデンを経験した人は違うんだよね。振り幅が違うのよ、遊び方が」と振り返る。
さらに蝶野は、「世間の動かし方がなんか、ちょっとねえ、俺なんかは変なふうに見られるんじゃないかとか、そういう狭い幅で気にしちゃうのが、関係ないもん、あの人たち」「あれ、なんなんだろうね?」と語り、小川の後ろ盾となっていた、佐山(初代タイガーマスク)と猪木という世間を相手に闘ってきた先人のすごみが事件の発端になったと分析した。
しかも蝶野が小川に対し、「大丈夫なの?」と問うと、小川が「(大丈夫も何も)そういうもんだと……。いきなり(プロ入りして)猪木さんと佐山さんの教えしかないので。佐山さんはあおるわけじゃないですか。『猪木さんの言うことは絶対だよ、オーちゃん』って。俺が『いいんですか?』って言うと、(佐山)『いいに決まってるだろう』って。そう言われちゃったらそれで終わりじゃないですか」と返す。
A猪木の手かざし治療を受けた、若き日の闘魂三銃士
これには蝶野も「佐山さんが小川選手をつくったようなもんだよね」と苦笑しながら、「ただ、もし普通のカタチで会社が神輿を担ぐような、2、3年かかったかもしれないけど、ってやってたらどうなってたんだろう」と、柔道世界王者だった小川を新日本が会社全体で担いでいたら……という興味深い見方を示した。
「そういう見方をしていたのは蝶野さんだけだったですよね。当時レスラーで。コメントとかも見ていたんですけど、蝶野さんて一番分かっているじゃん、と思いながら。あのとき、色んなことを言う人がいっぱいいたじゃないですか」(小川)
これに対して蝶野は、「俺らの上には藤波(辰爾)さん、長州(力)さんがいて、まだ猪木さんもいるわけで。そこをなんとか俺らが世代交代を、っていうのがあったから、だからあそこに小川選手が入っていたら……。俺はね、北尾(光司=元横綱・双羽黒)も同じ感覚で考えていた。北尾っていうデカい看板があったら、藤波、長州、アントニオ猪木っていうのを敵に回せる」と当時の構想を振り返った。
小川は「猪木さんとしては橋本さんを置きたかったんですよね。だから三銃士ををバンと置きたかったんですよね。みんなあちこちに向いちゃってたから」と続け、蝶野は「でも、ストーリーの置き方として、俺らを抜いて、ボンと(小川が)上に立つ立ち方もあったと思う。そんな一歩ずつ行かなくても」と振り返った。
なお、「【公式】蝶野正洋チャンネル」では、A猪木による各選手への手かざし治療に関する話に言及。若き日の橋本真也が「温かくなってきた気がします」と答えたのに対し、武藤敬司と蝶野正洋は「分かりません」と正直に答えた話を披露すると、小川が、A猪木のツボを熟知した佐山のリアクションの仕方を明かし、そこから蝶野は猪木の手かざしで外国人選手がどう反応したかにも触れていた。
最後に蝶野は猪木の手かざしを振り返り、「猪木さんは、空気を読めるか読めないかがレスラーは一番大切じゃない。たぶん、そこを見切って、こいつらはできるかできないかを試したんだと思う」と結論づけた。
ともあれ、蝶野と小川のやりとりを見ていると、これまで実現しなかったのが嘘のように、とても初対談とは思えない雰囲気の良さが感じられた。歴史を巻き戻すことはできないが、それでももしプロ入りした小川が、当時、一世を風靡(ふうび)していた蝶野率いるnWoジャパン入りしていたら、プロレス界の歴史は大きく変わっていたことは想像に難くない。
(一部敬称略)
